食は エゴ3

魂の知覚は、人脳から入り、脊髄を通して、

全身の神経網に配分され、脳と感覚の中枢に

到達している。この説明から知るべきは、

わたしは生まれたとか、身体が自分だと

いうのは、魂の知覚が身体内に封じ込め

られた状態に置かれるので、魂は、身体

感覚の思考と感覚とに束縛されているのだ

と分かればいいです。

そして、食することが、思考を作り上げて

いること、食の欲望が根深い生存欲求を生み

出していることを皆さんは、ここで学んだ

のです。食欲はエゴの源と言っていいもの。

このことが、先生の言う「食べたら大変な

事になる」の意味。

このことから、三度の食事を腹いっぱいに

食べている人は、すでに大変な目に合って

いるわけです。ところが大変な目に合って

いるという自覚はまったく無いということ。

 

ガンジーは、インド独立の父と呼ばれる

非暴力・不服従運動の指導者で、英国に

対抗した。そのためにか、彼は3か月も

断食したとか。それは、僕の勘違いかも

知れない。

ガンジーは、断食したけれど不食体に

なった訳でなく、思考を消し去り、解脱

した訳でもなく、断食後は、病院に担ぎ

込まれたと言う。

それゆえ断食が悟りのバロメーターで

なく、生存欲求の消滅でもないことを

知ったうえで、断食などしなくとも、

エゴ性を消し去ることが出来るので、

それがリスクのない取り組み方。

取り組み方法のひとつである没入は、

身体内に封じ込められた魂の知覚を

外すこと。一度、神経を流れるエネ

ルギーを止めてやれば、感覚と脳の

支配から自由になり、それによって、

魂は、初めて自己を悟るのです。

この時、当然ながら感覚が遮断される。

感覚遮断は、主電源を切ったように、

思考もカルマという記憶も遮断されて、

魂は独立を果たすのです。それから

再び肉体を取り上げるだけ。

この再起動は、心とか、エゴが消えて

いるので、思考も欲望も起動しない。

これが真の悟りの姿です。或いは解脱

ともいう。

 

グリコのおまけ

先生の言葉の中に、頭のいい人が入って

来ることを否定しないと言う意味深なる

説明があります。

このことは、頭のいい人たちも思考を

消し去れば、真我、唯一へ入って来ても

いいという意味です。マハラジさんは、

真我に到達するために知識を捨てろと

言った。しかし、知識を捨てることは、

とても難しい。なぜなら、人は誰もが

知識や学問が自分の証明だと勘違いして

いるから。これが知識との同一化。

脳学者達は人脳の10%、20%しか使って

いないと言うけれど、それは本当なのか?

脳学者が考えるのは、脳の働き100%を

目標とする理想論だろうか?

そうであれば、それこそが狂気の思考だと

言えるのです。

なぜなら、実のところ脳は思考の器官では

なくて、受信、受容の器官だということ。

全知全能という魂の知覚を受容するための

神聖なる純粋な器官であり、それが大脳の

本来の姿なのです。

ところが、大脳に10%とか20%の思考する

働きがあれば、それらの知識、記憶などが

魂の知覚を大きく妨げることになります。

或いは極度に歪曲化する。これによって

魂の知覚は、ほぼ完ぺきに破壊される。

つまり魂は、常に思考と感覚に束縛される。

この間違った知覚状態が人の姿。

よって、思考といい、脳の働きは、無想という

思考ゼロ%の状態が最上です。ノンマインド。

これらの事から、思考を消し去れと言う究極の

教えが古来から説かれているのです。

しかしながら、これを現代人は、特に頭の

いい人たちは受け入れないだろうと。特に

脳学者は、断固として認めないだろうと。

しかしながら誰もが、自己の本性である魂は、

いつも無想なので、彼等もまた記憶が喋って

いるだけです。