空間の消失 

【無断転載を禁じます】

丹沢山中での断食瞑想は、期待しない

幾つかの劇的な効果をもたらしてくれた。

その一つ。空間の消失体験がある。

それはと言うならば、100m先の小鳥が

羽ばたく時、羽が空気を震わせる音が、

耳元ではなく、脳内で聞き取れたと感じ。

それはとても大きな音として感受した。

幻覚ではなく、実在なのだと分かる。

丹沢渓谷の夜、下流のおよそ3キロ先には、

二人の霊的存在の修験者を目撃した。川の

せせらぎの音が二人の会話をかき消してい

たので、自分の意識を拡大してみたら彼らは、

なんと、2メートル先にいて驚いたものだ。

100m先の羽音を知覚したこと、3キロ先の

修験者を視覚化したこと。この時、意識が

拡大したと思っていたが、本当は、自分に

何が生じたのかハッキリ分からなかった。

今なら、こういうだろう。「知覚が拡張して、

境界と言うか物のテリトリー空間が消失した

からだ」と。

そうであるから遠隔透視、遠隔ヒーリングは、

勘違いの間違った知識なのだ。

このたとえ話。J,クリシュナムルティーの本に

ある言葉。道を歩いていたら先方に道路工夫が

いた。彼は私だった。彼は、つるはしを持って、

石を砕いていたが、つるはしと砕かれる石は

わたしだった。という描写。これらは霊能では

無くて、知覚の拡張に伴う空間、テリトリーの

解除、空間の消失なのだ、と説明すればいい

ものを神秘体験のように語るものが多くいる。

 

また、古いブログに書いたと記憶するけれど、

瞑想時の自分が拡大してゆく。先ずは奈良の

大仏の大きさなり、やがて地平線が見えてきて、

すぐさま地球が野球ボールの大きさになり、

太陽系のモデルが眼前にあり、無数の銀河が

展開し、暗黒の全宇宙が開示されて、それが

自分の中に在るという体験の知覚。

こうした体験では、全宇宙を知覚する時間は、

やはり1秒ではないだろうか。すると10憶光年

とか100憶光年かかると言う物理学の知識は、

やはり思考でしかないと分かるのでは?

時間と空間は、マーヤの世界に生じ、実在は

時間と空間を超えている。

こうした全宇宙を包含するという体験も幻覚

ではないとハッキリ分かるけれど、自分の体験を

事実として認めない者がいた。

これが「謙虚さを偽装した自我」だと後に知る。

この宇宙即我の体験は、信次さんの所へ行く

前から幾度か体験していた。

しかし信次さんは、講演会などで、わたしは

宇宙即我を悟ったと常々語っていた。その彼は

息をするが如くウソを言う人なので、僕は

宇宙即我と言う言葉を使わなかった。

嘘つきと同じ文言は使わないというこだわり。

自己は、宇宙を包含する純粋意識だと設定

すれば、宇宙即我は虚言だと言える。

ある時、何でも分かる先生いわく、

「あなたは、そうやって(信次との出会い)

ご自分を誤魔化して生きて来たんですね。

ご自分の体験をなぜ認めないのですか?」と

言われて大きなショックを受けた。そして、

この言葉は、三度に及んだ。

このように先生から言われるよりも前、

マハラジさんの「わたしは在る」を読んで

いた。

彼曰く「宇宙は、あなたの中に在る」と。

その書を読んで、そうだと認めながらなお、

自分の体験を認めない自分があった。

想えば小学一年の時、過去世を思い出した。

膨大な記憶が、ほぼ1秒でわかる。だから

僕は人間じゃあないな、と思ったけれど、

人間ではないもとのは何かを知らなかった。

なんせ小学一年生だから。

人生の体験の中で幾度か超越体験をして、

自分は神だという感覚がやって来たけれど、

それは、記憶に蓄積された神という言葉に

過ぎないと知り、僕は記憶の神ではないと

自分に言い聞かせて生きてきた。ある意味、

論理的ないい訳。

先生の言われた「あなたは、そうやって’、

ご自分を誤魔化して生きて来たんですね」は、

僕に限らず、皆さんにも当てはまるのだ。

それを確認しよう。

表題の「空間の消失」とは、時間と距離を

包含して、マーヤとして立ち現れている。

わたしと言う自我、わたしと言う個人は、

マーヤなのだ。それゆえ人が自己を悟る時、

マーヤの世界も実在の一部となる。

ありとあらゆるもの、すべてで一つという

唯一という概念の意識世界の全体性から見れば、

個人意識、自我意識は全体性から分離している。

それが全体性からの破壊。分離。

その自我、個人の消失は、空間、時間、距離を

消失してくれる。それが偏在と言う意味。

これを人は概念として受け止めて、個人と言う

境界、テリトリーから脱出することが悟りだと

言える。

悟りは、単なる観念論では駄目。マーヤの身体

感覚から分離すること。つまり悟りは没入。

同じく悟りは、サマディー。