賞品の力

お礼と短文

1月19日、合気道の稽古中、左足の膝の裏に
ギグッと痛みがありました。ずっと痛かったので
帰った後、護符シ―ルを貼りました。翌日の朝、
椅子に座っていたら、膝の裏の腱筋がスルリと
動いたのを感じました。その時に、アッ直った
かな、とも思いました。
そのまま3日間護符シ―ルは貼りっぱなしにして
ました。痒みがでてきたので、火曜日の夜に剥が
しました。
1月23日の今は、完全に元の足に戻りました。
クイズの参加にいただいた護符シ―ルの効果は
絶大です。どうもありがとうございました。
 
短文は省略した(笑)
 
これ後日に削除。
 

唯一が欠ける

【 無断転載・流用を禁ず 】

千手観音の記事のなかで、行者の話しを出したのは、

行者が取り組む山岳宗教の修験道等は、それ自体が

発祥元ではないということ説明するためである。

地上の霊的修練の流れを俯瞰するとき、インドが

発祥の地である。最古の文献と言われるリグヴェ

ーダが現されるより先に、生じた霊的修練方法は、

幾多のヨーガ誕生よりも先駆的なモノがあった。

それは、秘匿されて伝承されてはいない。

ウパニシャドの中にさえない。

秘密を隠し持ったヨーガは広く拡散され、それゆえ

様々な学派が生じて衰滅し、その繰り返しであった。

秘密を隠し持つシステムが確立するまで試行錯誤の

長い時代が必要だったのだ。後世へ引き継がれた

ヨーガは、禁令が定められ、一般に公開されない。

公開したとしても唯一の確信が隠されている。

なんとなれば、ヨーガは、秘密主義であるから。

唯一の確信が隠されたヨーガは、アジアの諸国に

伝播して、各地固有の文化と同化した。

それらが旧約聖書その他、ユダヤ教、仙道や密教、

日本書紀、真言密教、神道、山岳宗教その他、エト

セトラ。世界の四大宗教でさえ唯一の確信が入って

いない。これらが人類支配のネタ元・シードになった

のだ。

隠されたシードの唯一修練方法を明らかにするなら、

それが客観性を持つので、すべての霊的修練方法は、

秘密を持たない原初の状態へと解体されるのである。

そしてまた地上にある宗教の全てがインチキである

として、転覆する時代が近いのだ。それは、なんで

あるか、読者も気づきつつある。

 

リグヴェーダよりも前に現れた、唯一の確信の種子は、

総ての宗教の中に入っていない。唯一の確信が再び説か

れたのは、ゴーダマ仏陀の教えである。それは、魂の

解放なのだ。この日浦が語っている内容がそうなのだ。

唯一確信の種子が無い宗教・宗派なら、人類を目覚め

させる力はなく、真理と言えない。非真理の宗教思想が

地上を覆っているのだから、全人類は、人生と言う夢の

眠りの中にいるのであって、寝ても覚めても夢の中。

 

密教は、仏教に在らず、阿修羅を祭る秘密の教えであり、

単に力の獲得が目的である。それは、オカルトパワーで

あって、真我の力ではない。仙道や神道、山岳宗教も同じ

流れの分派であり、やはり唯一の確信が入ってはいない。

彼らが求めたのは、知らずと、オカルトパワーであった。

なぜ、そうなるかと繰り返し言うならば、唯一の確信と

言う種子が無いからこそ、求めたものがオカルトパワーに

なったのである。オカルトパワーを獲得すると感覚器官の

知覚が極度に高まるので、エゴの感覚感受が驚くほど増大

して、苦痛が激増するのである。

このオカルトパワーを定義するなら、「エゴと力の結合」

であり「力を渇望するエゴ」であり、悪魔の性質なのだ。

それが権力志向を生み、自分と他者を害するのである。

密教が求めた悟り、霊的力、その本質が知られていない

からこそ、偽書の経典を読み、読経し、また念ずる行為は、

すべからく破壊すべきマインドの運動であった。

マインドを破壊すると言う唯一の知識が無かったからだ。

地上の歴史は、すべからくそのような流れがあった。

日蓮宗は仏教に在らず、日蓮教である。なぜなら日蓮は

ゴーダマの教えに直接触れていない赤の他人であるから。

同じく、原始仏教、大乗仏教、小乗仏教、チベット仏教、

上座仏教などの「仏教」という冠を持つ宗派のその総てが、

ゴーダマ仏陀の仏教に在らず、固有の宗教である。大乗、

小乗、原始というのは、ゴーダマの仏教ではないことを

暗示したものであり、それゆえ各論を暗に主張している

のだと言う事を、どうして気づかないのだろう。

にもかかわらず、最初の偽書(パーリ・仏典)の知識を

採り入れて、自説を加えたものに「仏教」の冠をつける

のである。なぜ、そうなったのかと、人は考えなければ

ならない。考えても答えを得ないかも知れない。

しかし現実は、仏教宗派に様々な違いがあり、それらの

教義と仏典類は、みな異なるのである。それは、唯一の

確信を知らず、ゴーダマ仏陀の本当の教えを知らない

証拠であると言っていいものだ。

例として、チベット仏教、テーラワーダ協会の間違いに

ついて指摘し、過去記事に書いたように、その両者も

唯一の確信が入っていないのは明らかである。

他の宗派も全部がそのようなモノであるから、仏教の冠を

かぶるものの、所詮は固有の宗教である。

 

仏教思想の中で、悟りの彼岸に到達する、或いは、涅槃の

境地に到達する、と書いてあっても、それは、抽象的な概念

であり、単なる言葉でしかなく、それらは当のものでは無い。

何となれば仏教学者でさえ、涅槃とか解脱は、ニルバーナーと

異なるなどと言っているのだから、仏教理論の曖昧さと矛盾を

露呈しているのだ。ニルバーナーとは、神様の名称だと言う

学者もいるから、開いた口がふさがらない。

このように宗派が乱れ異なる経典を持つこと自体、仏教各派は、

唯一の確信が明確ではないという指摘が生まれる。

仏教に疑問を持つ人よ、この説明によって、スッキリと納得

できるのではないだろうか。

北極星の教え

地上の旅をするとき、地図も無い昔の時代であれば、星を

頼りにしただろうが、現代のように緯度、経度を示すほどの

正確さに欠ける。

弟子:親愛なる師匠よ、ニルバーナーとは何ですか?また

涅槃とか解脱とも異なるものですか?

師匠:難しいことを聞くものでは無い。悟れば分かる。

弟子:では、どのようにすれば、悟れるのですか?

師匠:悟りの彼岸がある。そこへ行け。

弟子:悟りの彼岸は、どこに在るのですか?

師匠:あっちだ。あっちへ旅せよ。

弟子:あっちとは、どこですか?

師匠:いまここではないことは確かだ。北極星を見ながら

    旅をしろ。そうすれば、いつの日か分かる。

弟子:(こんな師匠から離れよう・・・)

このような過去の旅の仕方であれば、先ず始めに目的地を

明確に具体的に知らなければ、そこへ到達することは不可能

と言える。この例えは、地上にある宗教の在りようを指して

いるのだ。

歴史に支えられた宗教と言えど、ただ歴史という膨大な時が

流れただけであって、最初から明確な目的のない、しかも、

緯度経度の示された地図なき旅のようなものだった。それが、

あっち、という「北極星の教え」⇦ 響きいいね。

緯度と経度は、国と人種を超えて、また時代や宗教宗派を

超えて、誰もが到達すべく唯一の確信のことだ。これを

二元性を超えた一元性・単一性とも言う。唯一のことだ。

唯一・単一には、宗教の違いや思想の分離も対立も起こり

得ない。相対性も多様性も超えた無限なる絶対なる者。

それ故、「唯一の確信」と言う表現を使うのである。

 

皆さんは、「唯一の確信」について、このブログを通して

知ったのだ。緯度経度を示す正確さを持って。皆さんは、

そこへ行くことになるだろう。「そことは、どこか?」と

聞かないように。繰り返し、様々な語り口を持って、この

ブログに書いてあるのだから。

 

 クイズ

皆さん、自分の成長を促す学習のために「唯一の確信」と

いう言葉の意味を文章にしてみよう。要点を抽出するよう

なるべく短文がいい。今回は、賞品はないよ。

後日、ここに模範解答を書くか、書かないか。 。。

 

千手観音

日浦が幼少期を過ごしたところは、新潟県の

中魚沼郡の千手(せんじゅ)という地名の

町であって、人工僅か7.000人だと聞かされた。

そんな小さな町には、広大な敷地を持つ千手

観音が建立されており、祭りになると全国から

人が集まり、大いに、にぎわっていた。

境内の外側に競馬場があり、全国から競走馬が

運ばれて、競馬が開催されていた。土俵もあり、

そこには、力士たちが全国からやってきた。

ネット検索してみたら、中魚沼郡の千手観音は

掲載されていない。

いつ頃、誰が建立したのか、お札を読んだけれど、

覚えていない。

この街には、国有鉄道(国鉄)の千手発電所が

あり、戦前から建設が着手され、ドイツ、イギリス、

アメリカなどから、エンジニアが集まって、水力

発電のタービンや其の他機器が導入されたと聞く。

日浦の父は、その発電所の電気技師であった。

発電所の収める莫大な固定資産税が町を潤したと

父は語った。戦前は、国鉄所有の多数の寄宿舎が

町を大きく拡張したそうだ。小さな町に映画館が

7件もあり、売春宿も沢山あり、パチンコ屋も乱立

したと聞く。当時の千手は、たばこの売り上げは、

関東一だったというから、どれほど賑わったのかは

想像もつかない。

韓国や中国から連れてきた捕虜?は、過酷な労働を

強いられて、逃げ出す者が大勢いたそうだ。逃げる

奴隷たちを、ライフル銃で撃ち殺すのが監督たちの

仕事でもあったという。そんな歴史を刻んだ大きな

石碑があり、暗い秘話もあっただろうことを思わせる。

続くとしよう

観音様の祭りには、修験道の行者もやってきた。

彼の前に置かれた漬物石ほどの大きさの石には、

縄を十文字にかけて、縄の取っ手があった。行者は

両手で九字を切って、何やら呪文を唱えていた。

「おじさん何してるの?」と聞いた小学生の日浦。

すると行者は呪文をやめて、「この石を念力で持ち

上げる」と答えたものだ。

「ねんりきってなに?」

「手を使わないで石を浮かせるんだ」

「ふーん、じゃあやってみせて^^」

それから10分ほどたつと、行者の顔から汗が流れ

だした。石が浮きそうにないのだ。

「おじさん、浮かない石だね 笑」

そう言うと、なぜか行者も笑った。そうなんだと

思っていたのではないかな。呪文を唱えているとき、

行者の過去世が観えた。過去世も行者なのだ。

子共ながら、なぜ行者の求める結果が出ないのかが

分かったのだ。その時の想いを今の言葉にするのは

難しいけれど、心を使うもの、念力であれ気功であれ、

それはマインドなのだ。その修行のやり方が間違って

いるという確信があった。日浦自身の過去世では、

ありとあらゆる霊的修練をイヤと言うほどやったと

紫蓮さんは言っていた。だから行者のやることを見て

それは違うと言う事が分かったのだ。そして、山岳

宗教や修験道の歴史と言うような流れも観えたけれど、

その全部のやり方が間違っているのだと知った。

しかしながら何が確信的な修行道なのか、それは分から

なかった。

この浮かない石を見たことは、不可知なる霊的世界への

興味を引き出したことは事実だ。同時に「石は浮くんだ」

という確信はあった。

それからは、記事「空飛ぶヒーラー」のような現象は

たびたびやってきた。それでも自分が力を得たいと言う

願望はなにもなく、ただただ、神秘と言うものの真実を

知りたいと思っていた。ここに書けないような超越的

体験がしばしばやってきたが、それらが何故生じるのか

そのことが知りたかったのだ。

まとまりなく千手観音おわり

 

ところで、ラーラ府中の記事「酒を飲むのは誰?」を

読んで、笑ってしまった。面白いこと書いてあるから。

日浦としては、受講生の方に酒をやめろと言ったことは

無い。そうだよね?ね?

飲まないほうがいいかな?と言ったことはある。

若い頃、なぜか金回りがいいので、毎晩酒を飲みに

出かけたものだ。あの頃、今のような居酒屋なんか

無かったと思うが、行ったのは、スナックだね。

ウイスキーとブランディー、カクテルが好物であり、

それを原酒のまま一気に喉へ流し込む。

これが旨いんだ!(笑)

水割りとか、オンザロックなんか、水くさくて飲め

ないんだなー。あんなのお子ちゃまの飲み方だよなあ

なんて豪語した時代。若さはバカさでしたm(__)m

一時間も経てば、ボトルは空になる。一晩にボトルを

数本は空にする。カウンター内のおねんちゃんも飲む

からだ。学生乞食の時代から、多種の酒を同時に飲む

という贅沢さ。誰に教わったのか、いまでは記憶喪失

なんだ。都合の悪いこと、やばいことは記憶喪失のせい

にしよう。

以前にも少し書いたけれど、なぜか、7件のはしごを

しないと帰らない。どうして、あのように金があった

のか。これも記憶喪失ゆえ知らない。

ある時、かなり酔っていたけれど、カウンターにある

グラス等をかたずけてもらい、椅子に座ったままで、

カウンターに両手をついて、「えい!」という掛け声と

ともにカウンターの上に倒立した日浦。びしっと決まる

逆立ちなのだ。こんなことしらふでも出来ないよ。

会場から拍手喝さいあり(笑)

元体操部員だったから。

 

朝になると、昨夜を想いだして、若さって馬鹿さの

表れだなとつくづく思う。もう酒は止めようと思う。

しかし夜になると、マインドががらりと変わり、

ネオン街へまたまた出向くのだ。この繰り返しだ。

日中は平常心のまま、酒はもう要らないと思う。

しかし夜に成ると、ガラリとマインドが変わるのだ。

このようなマインドの急激な変化が「なぜ生じる

のか?」と疑問に思った時があった。

そこで、飲み屋街へ行く途中、「誰が酒を飲みたい

というのか?」という問いを自分の内に問いかけた。

すると「僕が飲みたいんだ」という声が聞こえたが

その声は、自分を偽装したものの声だった。

つまり、酒を飲みたいと言う想念は、これも外来の

想念であり、自分の想念ではないと気づいたのだ。

もっとも想念はすべて外来であり、自分の想念と

言うのは、間違いなのだ。路上に立ち止まって、

行くのを止めようと思ったら、「今夜を最後に

すればいいじゃないか」という想念がやってきた。

一瞬の迷いありながら、「そうだよな」と同調して、

やはりスナックへ行った(笑)

信次もこれと同じことを言っていたけれど、それは

本当なのだ。つまり、酒が好きな霊的存在がやって

きて、あなたをそそのかし(笑)その気にさせて(笑)

酒を飲ませる(笑)しかしお金は、あなたが払うのだ。

さらに酒の席でのトラブル創造と、口喧嘩や醜態を

さらしたりもする。そして、体調不良を引き受ける

のもあなただ。

これって面白いと言うか、あほらしいと言うべきか、

悲しいサガと言うべきか。。。

「もう酒は止めよう!」そう叫んだことは皆さんも

幾度も体験しているだろう。何年も続けてさ(笑)

本当は、あなたは酒など、好きではないんだよ。

ということなんだ。

また千手観音の話しから飛んでしまったm(__)m

ラーラ府中は偉い!ってこと言いたかったのさ。

 

想念否定

【 無断転載・流用を禁じます 】

ここではなぜ、無断転載・流用を禁じているのか、

知らない人は、先に、記事「クイズ答え-1」の

冒頭から中ほどまでを読んでほしい。

 

さて、受講生の方、読者の中にも、想念消滅に

向けた努力をしている人がいる。善いことです。

真剣に取り組んでなお、想念が減らないことで

自己嫌悪に陥る人も居る。それだけ真剣だから

そうなるのだが、自己嫌悪もまた排除すべき

想念だと知ろう。

想念と言い、思考と言い、それを消滅または、

減らすことについて、頭を使おう。

頭が悪いので、、、という人がいるとするなら、

大丈夫、中学生でも分かることだと言わせて

もらおう。中学生よりも頭が悪いという人は

いないだろう。

そしてまた、自分は頭が悪い、という想念も

排除すべきもの。逆に、自分は頭がいいのだ

と思うのは、うぬぼれであるから、排除した

ほうがいい。上には、上がいるから。

 

◉ 第一の手段:モグラ叩き

何かの考え事が生じたその瞬間、その思考に

気づいて、その思考を否定して拒否しよう。

これを「モグラ叩き」だと受講生に教えた。

その考えの続きをやらないこと。思考を中断

する。このような想念否定は一瞬であるから

注意力がいる。ボーッ としていたら失敗する。

幾度も幾度も繰り返す想念でさえ、幾度も

幾度も否定されてしまえば、やがて生じなく

なるのである。これも奇跡の一つなのだ。

大きなものから始めてゆき、次第に細かな

想念を否定し続けるならば、驚くほど心が

静かになるだろう。この状態は、チャンス

なのだ。

 

◉ 第二の手段:人払い

友人とライブに行ったり、飲み会に参加した

なら、無想でいることは無理だろうね。

合コンにでも行って、無想の境地を自慢して

見れば、どうなるのか、試してみるかい?

 

用もないと言うのに友達等とお茶する人は、

何かを喋らないと生きていけない人かな。

それを隣で聞く人から見るなら、こいつら

あほか?というような会話が多いよね~

想念の製造元。

 

大人になっても漫画本を読んでいる人は、

頭のDNAが漫画的になることを知っている

だろうか?

「そうだよ人生は漫画だ」⇦  そうかい。

 

大人でも、ゲームをやってる人が大勢いる。

「そうだよ人生はゲームだ」⇦  そうかい。

 ところで、連勝しているかい?

 

世間と人が恋しくて、ひとりになれないと

言う大人は、まだ乳離れしていないんだね。

意味深な。。。

 

例えとして、ここに述べたように不必要な

ことにおける人払いが出来るなら、想念が

激減するのであって、想念の消滅が容易に

なるのである。ラージャヨーガの教えにも

「人を避けよ」と言う指示があるくらいだ。

 

◉ 第三の手段:想念創造

ヨーガの集中が教えることは、ひとつの

対象物を想い、それに精神集中せよという

指示がある。ラナママハルシさんもまた、

集中ではない、と言いながら、ひとつの

想念に集中しろとも言っていた。

だがそれは、難しいのだ。

高い処へ昇る時、はしごを利用するように

雑多な想念が生じなくなる、という想念を

意図的に作り、それを無想のまま想い続ける

ならば、想念否定は解除されながら生じて

来る諸々の想念は自動的に消し去られる。

という、それは何か?

これをクイズにしたいけれど、全員が回答

するとは思えないので、しばし保留する。

しかしクイズと言うからには、この答えと

なる文章も記事に書いてある。

自分で考えるという力も必要なのだ。

 

想念とは、なにか?

想念と言い、思考と言い、それらは、カルマと

呼ぶ過去体験の記憶の再生なのだ。これを人は

知らない。

では、いったいどうして、記憶が問題なのか?

と言うなら、記憶それ自体は何ら問題は無い。

では、何が問題の核心なのか?

問題になるのは、古い古い過去の体験の記憶を

現在に再生することが現在の人生に問題を生み

出すからである。極度な時差ボケしたり、認識の

間違いを起こす。価値感のズレも起こる。

そしてまた、過去は、決して「今」を認めない。

あなたは何かを考えている今も、このブログを

読んでいる今でさえも、あなたは完全な無想の

状態にあるのだ。それを人は知らない。

いつも無想であるにもかかわらず、なぜ雑多な

想念があなたの心中にあるのだろうかと自問を

しなければならないのだ。本当は。。。

 

しばしば語ったことの一つ。

あなたの心の中に生じる想念は、外来のもので

あり、あなたのモノではないと言う事。自分の

過去の記憶なら、外来の想念と言わないのでは

ないか?と思う人がいるならば、あなたは常に

無想でいるのだと言う言葉の深い意味を理解して

いない人だと言いたい。

 

無限的過去の古い記憶が消滅するまで、過去の

古い記憶が人生のプログラムとなるのである。

このことがあらゆる問題を生み出す原因である。

古い記憶の否定は、つまりカルマの否定であり、

それが想念の否定の意味である。

あなたは、カルマが観えないし、カルマを自覚

できないだろう。しかし想念が在ることを知覚

して認識できるではないか?想念がカルマである。

観えざるカルマ、自覚できる想念、思考がある

限り、不自由な苦渋に満ちた輪廻転生が延々と

続くのだ。そして生まれたなら、新たなカルマを

蓄積する。そうであるから、カルマの自然消滅は

有りえない。何百万年も、その何倍かけても。

 

宗教の大ウソ

魂は、転生をしない。人は生まれて来ていない。

だから死も有りえず、誕生と死は、まぼろしの

現象としてあるのだという真実の教えから見れば、

『人生の苦悩は、魂を鍛える神の試練である』と

言うような宗教的言説は、成りすまし野郎に憑依

された宗教者が語る大きなウソであり、それを

信じてはいけない。そして、『イエスキリストが

人類の罪を被った』というのもイエスの言葉では

なく、偽善の布教者が語る大きなウソであるから、

信じてはいけない。

よく言われるが『人は、魂の体験と進化のために

生まれて来る』と言うの言説は、無知な知ったか

ぶりの輩が言う大きなウソだから、否定せよ。

『教祖だけが偉い人であり、信者はすべからく、

無知な罪業凡夫である』的な言説は、許し難い

大きなウソである。そんな彼らは人類をウソで

束縛しているから罪深い。⇦ すっきりした。

 

苦悩の原因、また幸福である原因の全部が自分の

責任なのだ。それはどういうことか?と問われる

なら、成りすまし野郎と一体化している「あなた

自身の責任である」ということだ。

なぜか?

カルマとは、他でもない、あなたが自身が歩んだ

過去の足跡の全記録であり、それが再生する人生

だからこそ、不幸と幸福とが立現れるのである。

よって、救済は自分の中に在り、外側の宗教に探す

のは、大きな間違いである。宗教に救いを求める

ならば、あなたは騙されるのだ。自分のカルマを

棚上げして。。。

不幸や苦悩があるのは、神の試練でも魂の試練でも

在りえない。あなた自身が、カルマになる生き方を

したからである。これが真実なのだ。

そして、知覚の間違いにより、身体が自分だと勘違い

して、あなた自身が成りすまし野郎のウソ・虚言を

許しているからであり、しかも、成りすまし野郎に

活力を与えているのがあなたであると言う衝撃的な

事実であり、それが想念として立ち現れる。しかも、

他者の想念さえも巻き込んで、あなたの心を支配して

いるのだ。これが真実なのだ。

 

いったい、いつになったら、あなたの自由が来るのか。

ジッと待っていても、自由は来ない。自分の全カルマを

破壊しない限りは。。。

それゆえ、想念・思考の消滅は、カルマ消滅への大きな

大きな事業であり、誰にも必須課題なのだ。

 

身体は、あなたでは無く、道具だ。心も道具だ。

道具の所有者は、道具と自己同一化してしまい、

道具が自分だという知覚の間違いを起こしている

からこそ、あなたは自己の本性を忘れる。

それゆえ『身体は自分だ、心は自分だ』という

観念は、知覚の間違いが生み出す幻想である。

それが自己の本性が覆い隠されていることの、

或いはまた殺されていることの証明と言える。

 

日浦が二十歳の時、突如としてやって来た

強烈な想念であるところの『人は、知的生命

ロボットである』は、本当のことだったのだ。 

 

それゆえに身体と心を動かす意思は、あなたの

意思ではなく、想念と思考の源であるカルマで

あり続けている。それ故、『わたしは、自分の

意思によって、これをしているのだ』は、成り

すまし野郎があなたに言うウソである。

この様なウソが心に生じる時、あなたは自身は

成りすまし野郎によって騙されているか、殺さ

れているのだと知らなければならない。

 

このような不可知なるカルマ・プログラムを

破壊しない限り、あなたは、知的生命ロボット

のままなのだ。或いはまた、成りすまし野郎の

完全なる支配下に置かれる。それは、カルマの

プログラムが支配する知的生命ロボットのまま

なのだ。

おお、なんと、素敵な人生だろう!(´;ω;`)

 

こんにちは、鉄人29号くん!

こんにちは、鉄人28号君、僕は鉄の体で無くて

有機細胞を持つボディーに進化したんだよ?

どうだい凄いだろう?

そうなのかなあ、、、それでもプログラムされた

ロボットに変わりないだろう?

うん。そうなんだよね。でも、お茶の水博士は

他界しちゃったし。。。いったい誰がメンテ

ナンスしてくれるのかな?

自分がやるしかないんじゃあないか?

・・・・・・

 

あなたの中には、成りすまし野郎がいたり、

知的生命ロボットのプログラムがしっかりと

インプットされているのだ。そうだからこそ、

『わたしは自由だ!』と言うけれど、本当は、

プログラムされているから、不自由なのだ。

可愛そうに、、、本当のあなたは、いったい

どこへいるのだろう。

 

 

新宿乞食 8

ずっと忘れていたことを、つい想いだしたので、

新宿乞食の8を書こう。

 

新潟にいて、瞑想教室をやっていたころ、

それは、今から十数年前のことであるけれど、

千葉から男性がやってきた。その彼は特許庁に

勤務しているので、日浦の作る護符シールを

特許出願したらどうかと進言したのであった。

いったい彼は、何を言いたいのだろう。

「こんなもの特許になりますか?」と聞けば

自分が審査官であるから自分が審査して特許に

しますと言ったのだ。

この彼は、いったい何を考えているのか?

聞けば、日浦の瞑想指導を受けた受講生から

見せて貰ったという日浦の護符シール。

彼もエネルギーが分かる人であったが、彼の

友人には10人の千里眼の持ち主がいると言い、

その千里眼たちが、護符シールを絶賛している

のだと言った。そのころ、ペンダントは無くて、

紙製の護符シールしかなかったのだ。

 

なるほど、彼がやって来た訳が見えてきた。

 

彼曰く、千里眼たちは、色々と実験をしたよう

なのだ。護符シールから放射される広大な光りの

エネルギーは、いったい何なのか?

しかも、たかが紙でしかないと言うのに、黄金色の

超微粒子が大量に放射していることの不思議。

紙製護符には、磁気を無力化する効果が認められ、

それがまた、千里眼たちの念を跳ね返すことも

確認されたと言っていた。つまり、他人の想念を

寄せ付けない護符であることが確認された。

それはまた、悪しき霊的なものの介入を寄せ付け

ないという効果であると。

そのような護符、お守りなどは、今までに見た

ことが無いと驚き、それをどこの誰が、いったい

どのようにして作るのか、千里眼たちの謎であり、

疑問であり、大きな興味だと言った。

 

「なるほど。そのノウハウを知りたいからこそ、

特許を出願しろということですね。出願書には、

原理説明と共に具体的なノウハウを書かなければ

ならないからですね。」と日浦は回答した。

審査官だと言う彼は、「そうです。わたしが特許に

するので、それが特許になり権利が守られます」と

愚かな本音を露呈したのである。

日浦の答え。「僕は、これの特許権など、望んで

いません。なぜなら特許にならなくても僕にしか

作れないのだから」と言えば、

彼は、無言のままだった。

更に言った。「原理とノウハウを知りたいのは、

あなたと千里眼たちです。動機が不純な人には、

教えません」と。

なぜ、彼等の動機が不純なのか。。。

特許を出願すれば、わたしが特許にしてあげる

という言葉は、親切さを現すかのように見える。

しかしその実は、護符の原理と制作のノウハウを

盗みに来たのであるから、動機が不純なのだ。

日浦には、特許出願の意思がないことを知って、

彼は意気消沈して帰った。

 

この彼と、彼の仲間だと言う10人の千里眼たちは、

それからの十数年後、再び接触をもつ場面に遭遇

したと言う事だ。それは、開発費300万円を支払う

とウソをついたあの場において。。。

ある意味での出会いも怖さがあるねー。

 

グリコのおまけ

彼らが本当の千里眼であるならば、それを日浦は

霊眼と呼ぶのであるが、日浦のような護符を作れ

なくとも、原理は分かるだろう。だから彼らは、

千里眼では無くて、10里眼かあるいは、30里眼、

よくても100里眼と言う方が適切だと思う。

エネルギーが観えると言う人、霊的なモノが見える

と言う人、さまざまな能力を持つ人がいたけれど、

個体差があり、観る能力、正確さはバラバラなのだ。

だからこそ、霊能者とは、いったい何を観ている

のだろう。そのような問いは、自称の霊能者自身が

自問しなければならないものだ。だが、そのような

問いを持つ霊能者は出会ったことが無い。真実を

観る人は、霊能者にさえ稀なのだ。

 

自称の霊能者には、興味を持ってはいけない。

占い師、ヒーラー、スピリチュアルリーダーに

興味を持ってはいけない。

キリスト教の聖書であれ、仏教であれ、新興

宗教にも興味を持ってはいけない。その理由は、

くどくどと述べてきたのであるから、それの

意味を解せよ。

 

ヒーラーへの道

記事「ヒーリングは危険」の日のアクセス数は、

100近くあり、その記事を読んだ人の中には、

これから先、何かのヒーリングを学ぼうとして

いる人、かつては、レイキやシーターヒーリング

その他を教えた立場にいる人も居て、誰かさんの

セリフじゃあないが、腰が抜けるほどの虚しさを

感じる人も沢山いる。しかし、偽りを偽りと知る

のは、これ良いことです。

しかし記事によって、ヒーリングの真実もまた

同時に知ったと言う気づきを持つ読者は少ない。

記事を読み、メビウスㇶーリングは難しそうだと

勘違いする人は多いと言う事。

 

だとすれば、記事の書き方に問題があるのでは

ないか?と言われそうだけど、確かに日浦の

文章は上手ではない。記事「ヒーリングは危険」

の記事を読み、メビウスヒーリングは難しいと

勘違いしている人に対し、事実は、簡単なのだ

という補足説明をしよう。

 

今年から自主セミナーをやろうと決意した

各地ラーラの人達に対し、その準備について

具体的な指示をした。その人達は、自主的な

具体策を提出していないから。

 

某受講生

自主セミナーに必要な準備の具体的なご指導
ありがとうございました。まだまだ正月ボケで
準備をしておらず、メールを見て焦りました。
 
私のマインドが私には無理なんじゃないか?
霊眼が開いてからにした方がいいんじゃ?など
色々言い訳をしていて、辞退した方がいいんじゃ
ないかと考えてしまいました。
 
ですが、出来るようになるのがいつになるかも
わかりませんし...(^^;やってみることが自分の為に
なるような気がするので、努力しようと思います。
今後共よろしくお願い致します。
 
こんばんは
>マインドが私には無理なんじゃないか?
>霊眼が開いてからにした方がいいんじゃ?
>など色々言い訳をしていて、辞退した方が
>いいんじゃないかと考えてしまいました。
 
これら全部が成りすまし野郎のセリフだね。
引っかからないのは、偉い(笑)
君は、ヒーラーになりたくて、シーターに
取り組んだんだ。本物のメビウスヒーリングを
覚えれば、君の思いが叶うんだ。大丈夫だよ、
来月からやれと言う訳じゃあないし。
 
返信
優しいお言葉ありがとうございます..!!
ちょっと泣きそうになりました。
 
日浦
泣いてもいいんだよ。君の涙が地域を洪水に
することは有りえないから。君がシーターヒー
リングを学んだ時、それを教えた先生たちが
いたわけだ。彼女らは、シーターが危険なもの
であり、また、ダイアナが有罪を隠していた
詐欺師だったことを知っていたのか、それとも
知らなかったのかについて、結果として疑問に
思った訳だ。
 
レイキであれ、シーターであれ、教育者の資格
無くして先生と名乗ることはできる。そういう
軽い人たちを考えず、レイキだとかシーターだと
いうやり方教えるだけのことであれば、君にも
出来るだろう。という簡単なことなのだ。
まだ霊眼が無くとも、ヒーリングが出来なくても
教えるテキストが真実の物であるからこそ自信を
持って伝えることができるだろう。
それは、人社会に対する大きな善である。
 
罪深いヒーラー達へ
かつてレイキとか、シーターとか、へったくれ
ヒーリングを教えた立場の人たちは、人に対し、
それはそれは、大きな罪と言える行為をしてきた
のであって、それは記事「ヒーリングは危険」に
書いたように、それはまた、自分自身と教えた
人たちの重いカルマになるのだ。これほどまでに
恐ろしい罪の拡散は他に無いだろう。これに類似
した大きな罪がある。それは、偽りの宗教流布が
そうである。
ここでハッキリ言って置くが罪が無いと言うのは、
至高の魂に無いのであって、エゴとは罪そのものを
言うのである。至高の魂を殺すもの、それがエゴ。
そんなエゴを使う罪深い彼ら彼女らは、どうやって
罪を償えるのだろうか?え?キリスト教徒になって
懺悔する?それは罪の清算になりはしない。
キリスト教の懺悔は、罪深いものだ。なぜかって?
単なる見せかけのポーズだから。
何の反省も無ければ、何の償いもしない?じゃあ
君は、悪魔のまま肉体死を迎える訳か。それが
重いカルマになり、自他に迷惑をかけるんだよ?
 
下記をネット検索してみよう。
     ⇓
『シータヒーリングの詐欺性』
 
正直さ
だがしかし、レイキや他のヒーリングは、知らない
とは言え、邪悪な物だったと素直に認めて、それらを
キッパリやめて、メビウスヒーリングの先生になる
ならば、過去の罪は全て消え去り、自分と人社会に
大きく貢献できるのだ。間違いを間違いと認める事の
出来る人は、大きな罪を蓄積しないで済む。
今では、あなたが何かのヒーリングを教えていても、
それが偽りであったと知る時が来る。必ず。それが
偽りというものの本性だ。
間違いを間違いだと認めた時の対処方法がなければ、
腰が抜けるほどの虚しさが去来し、あなたは、深い
深い虚無の闇に堕ちる。しかし誰であれ、そこへ堕ちる
ことは無駄だ。知らないことは恥では無いように、
間違いを間違いだと認める事は恥ではなく、正直者だ。
間違いを間違いだと認めない者は、不誠実な愚か者だ。
愚か者が幸福になれるというのは、妄想なのだ。
 
日浦がセミナーの受講を認めるという時、その人が
抱えた総ての罪は許されたのだ。今年は、受講する
誰も拒まないと記事にした通り。
どうだろうか、真のヒーラーへの道は、簡単だと思わ
ないだろうか?
文書能力、まだダメかぁ。。。じゃあ君が代筆して
くれないか?
 

個人指導

この元旦の早朝、読者からメールあり。

自分は幸せすぎるのだと言う事を数回も

書いてから、だから瞑想の個人指導をして

欲しいと言っていた。このような文章は

問題を含んでいるのであるから、すでに

個人相談や個人指導は止めたので「毎月

あるセミナーに参加したらいいのでは?」

と返信すれば、「断り方が醜い!」と言う

強烈な批判とともに、断ることが仏陀の

サブの態度なのかとか、そうだから高橋

信次に騙されたのだなどといい、マインド

フルネスとその瞑想を批判したことにも噛み

ついていた。

メール上での噛みつきだから痛くも無いが、

本人が個人指導を断られる明らかな理由を

自分の返信メールに現したことをハッキリ

気づいたのだろうか?

もし、それに気づけば、恩寵が放射される

のである。セミナーに来なくても。

 

教えようとする立場の者に対してさえも

激しく噛みつく人は、カバンにナイフを隠し

もつ人であるから怖いものだ。日浦は小心者の

怖がりなので、とてもマンツーマンでなど

出来ないから、勘弁してほしいのだ。怖くて

怖くて喋れないじゃあないか(笑)

 

昨年一年間は、受講をお断りする人が現れる

ことが無かったので、ホットだったわけさ。

冬でもアイスコーヒーも飲むけどさ。

また、その人のメールには、「瞑想によって、

自分を高めたい。」と書いてあったから、

物事の道理が分からない人なので「自分の

意思によって、自らを高めた人が取り組む

ものが瞑想です」と回答したが、それにも

腹が立ったんだね。。。

 

今年は、もし受講したいと言う人は、誰も

断らないので安心したらいいよ。皆さん。

君の受講料が無駄になるだろうと言う余計な

配慮を日浦が無視すればいいだけなんだから。

これって、言い過ぎかな?

しかし、今年こそは、個人相談、個人指導を

お断り致します。 すっきりした^^

この人は、日浦のYoutubeやブログはすべて

読んでいる!と言ってはいたが、やはり糠に

釘の印象が強かった。とりとめのない記事に

なってごめんm(__)m