感想メール

記事「恐ろしいスピ系本-2」の受講生から

 

日浦先生 こんばんは

離悪恩寵 無欲至福の記事を読ませて頂きました。
先日のセミナーに引き続き、貴重なご指導を、
ありがとうございます。
先生の宝石を購入する余裕は、ありませんでしたが、
綺麗な宝石よりも日浦祐次という方の虜になりました。

今日は、私にしては珍しく、会社で同僚と、怒鳴り
あいの大喧嘩。家では、東京帰りの私を、コロナ
扱いして、部屋の中でもマスクを強要し、部屋に
閉じ込もらせる妻と大喧嘩(笑) 喧嘩ばっかりで
少し疲れておりましたが、先生の記事を読んで現実に
振り回されている自分を恥ずかしく思いました。
まだまだ勉強不足だと感じます。
余談になりますが、今迄いろいろな人の後ろ姿を見て
きましたが、日浦先生ほど、骨盤が起きている人を見た
事がありません。確か72歳ですよね?驚きました。
 
日 浦
セミナーの受講によって、今まで眠りの状態にあった
マインドの活性化が生じているから喧嘩になったのだ。
もし怒ること、喧嘩をするという想念を無視するならば、
相手から喧嘩を売られることも無くなるだろう。
仕事仲間、家族にも、より無関心的であれば、逆に彼ら
から慕われるようにもなるという不思議が起こる。
但し完全な無視は、相手を本当に怒らせるから要注意。
 
日浦の歩く姿は、本当に70歳代なのか?と人から驚かれる
ことしばしば。病気も無いし。でも、二十歳のころよりも、
かなり老いを感じている(笑)
 
若者であろうと、誰もが老いを体験する時がやって来る。
身体を放棄するその日まで、自分の足腰を健康に保つことが
大切だ。しかし身体よりも何より重要なことは、自己の魂に
目覚めることなのだ。そうなれば、苦界の転生輪廻は終わる。
そのためには、苦界への輪廻転生を卒業したいと言う願望を
抱かなくてはならない。 

無欲至福

本末転倒の人生論

世界の人は、誰もが自分自身が何者かを知らないまま、

淡い希望を抱いたり、大きな願望を投影したり、様々な

欲望を原動力とし、また、カンフル剤として生きている。

それは、幸福を求める本能ゆえと言うよりも、自分自身が

幸福ではないと言う根拠なき想念があり、そうした惨めさを

埋めるためにか、いつも何らかの希望を投影するのである。

 

しかしながら現実社会の中では、自分の欲望のすべてが

満たされることは無く、いつも渇望状態に置かれている

からこそ、繰り返す欲望の衝動に駆り立てられる。

人は、いつも徳望と言う幻想に支配されている。それに

気づく人は稀である。

努力に努力して得た諸々の欲望の様々な成果は、一瞬の

喜びであり、つかの間のものであり、やがて色あせて、

干からびて、価値をも失うものだ。皆さんもそうではない

だろうか?

男女の熱烈な愛でさえ、やがて色あせるのだ。そうでは

ないか?愛の破壊も生まれたりする。それは、この世とは

薄情な世界ではなく、人の心が薄情であるから、悲しみが

生まれ出る。

つまり人は、欲望がある限り、希望がある限り、悲しみと

苦しみとを背負う生き物だと言えるだろう。

そしてまた、自分が抱く願望や希望が得られないものだと

知りつつ、抱く願望それ自体が自分を惨めにもするのだ。

このことに人は気づいているけれど、それを認めることが

出来ない。なぜか?

世界の人々は、生きるための衣・食・住という基本的本能

から始まり、過度な過剰な欲望をもたぎらせる。人を支配し、

人の暮らしを破壊してでも。。。そのためには、ウソも平気

であり、他人のお金や物を搾取もする。他国の支配、世界の

戦争は、武器ではなく、人の心が創造するものだ。

 

欲望の正体はなにか?

人の多くは、不幸になってから、初めて幸福を希求する。

初めから幸福を希求する人は極めて稀なのだ。何故だろう?

あなたが、この世的に何処の誰であれ、高学歴であれ、

人生の成功者、或いは、敗北者であろうと、あなた自身は

身体でも心でもなく、また、この世に生まれて来てさえい

ないのだ。それゆえ、「わたしは生まれた」という偽りの

観念こそが、無限的な過去からのカルマである欲望の相続者

であり、また徳望の創造者なのだ。だから欲望に終りがない。

つまり苦しみと悲しみに終りがない。

わたしと言う偽りの観念が、あなたを苦しめたり、悲しみを

生みだす創造者なのである。

わたしという観念・自分は身体だ・心だという観念が偽りで

あるからこそ、あなたが世界へ投影する日常の諸々の欲望・

願望・希望もまた偽りのものなのだ。つまり偽りが生み出す

偽りの子供、偽りの無限数の孫たち。このことを人は気づけ

ない。だから欲望に正当性を与える。そしてそれが苦しみを

生み出す。このような幸福を希求しながら、不幸を生む負の

スパイラルを皆さんは、何百万年も延々と繰り返しているにも

関わらず、まったく気づけない。困ったものだ。

 

あなたの属性は、無である

「希望」と言う美名のものは、実のところ単なる欲望であり、

あなたを苦しめる根源的な苦の要因なのだと知ろう。つまり

苦悩の原因は、ただ欲望なのだ。そして欲望は偽りなのだ。

だから、あなたの苦しみ、悲しみ、不幸もまた偽りなのだ。

離欲こそ、解脱への唯一の道であると悟った古人たちは言い

残している。だが、欲望の相続者・欲望の創造者である心は

それを決して認めない。理解しないのは、心は無知であり、

あなたではないからだ。

この世を投影する原因の世界は、この世に在る訳もなく、

見ることも触れることも出来ない不可知なる非物質の霊的

世界であり、それを人は知らない。

しかし、それを知ったならば、すべてのマインドの欲望は死に

絶えて、そこに永遠の至福が現れる。無欲とは、人が言うような

実践が出来ないような倫理道徳的な規範や観念に非ず、自然界の

法則をも支配する高い境地であり、そこにおいては、何であれ、

望みはすべて叶えられる。なぜなら原因の世界にいるのだから。

そこに不幸も悲しみも、苦しみとその原因も存在し得ないのだ。

あなたの属性は、無であるという意味は、幻想のマインドが

生む欲望を消し去った境地を無という。非物質の世界を言う。

 

この自然界は、これをマーヤ・まぼろしとも呼ぶけれど、それは、

人の身体と心を支配下に置く。けれども解脱した魂のために役立つ

ために在り、解脱した魂にとって、マーヤであった自然界が実在と

なり、無限量の宝物を運んでくるのである。これが恩寵の意味で

ある。

マインドの欲望である衣食住の基本的な欲望さえ、マインドが

抱かなくても、自然のいわば精霊たちが運んでくる。この精霊

たちは、解脱した魂にのみ、その姿を露わにする。だから解脱

したならば、生活のために働くことさえ要らなくなり、文字通り

自由になれるのだ。だからこそ、心を自然を、宇宙を支配下に

おさめた魂の自由な境地、つまり解脱の境地にあこがれを抱く

ことが重要なのだ。そこがあなたの定住の地なのだから。

離悪恩寵・無欲至福と覚えておこう。

 

悪魔の教え

この不変の真理に反し、何処かの誰かが大きなウソを流布して

いる。「欲は、神様が与えたものだから大事にしろ」と。

これは、人を偽りの欲望に縛り付けて、人を不幸にするための

悪魔のプロパガンダである。これを悪魔教とも言っていい。

悪魔とは、至福の自己を知らない無知なる破壊者なのだ。悪魔の

本質を理解することは、悪魔とは相対的な絶対善の自己を知る

よすがになる。

この欲望に関する論説を分析すれば、次のようになるだろう。

「欲は、悪魔が与えたものだから大事にしろ」という意味であり、

これを疑いなく受け入れた人は、すぐさま悪魔の仲間入りをする

のである。 

君よ、ド低能な破壊的な悪魔ごときになって、どないすんねん?

 

7月セミナー

次回の7月25日(土曜)セミナーの
参加者を募集します。
希望者は、
申し込んでください。

 

6月セミナーのテーマは、「没入」でした。
 それは、熱い熱のこもったモノでした。

しかしなぜ、このように暑いのか・・・?
セミナールームには、エアコンが入っては
いないことを知らずに講義したのは、ただの
蒸し暑さ💦

 

感想文-1
セミナーは、何か思い出したような、変な表現かも
しれませんが、少し懐かしい不思議な感覚でした。
お話しされた具体的な内容は、初めて聞くことばかり
でしたが、すごく自分には馴染みました
私は大学卒業して精密機械の会社に入社、結構波風
有りましたが、概ね社会人としてのキャリアは順調
だったと思います。ただ子供の頃から説明できない
不安は、ずっと心の底に有りました。そのような慢性
的不安な精神状態だったせいか、知識としての読書、
霊能者に会いに行く、ネットでセミナーを探して参加
するということは、結構沢山試みました。
しかし基本的に受身なので自主的な実践は皆無でした。
ただ五年前に会社を辞めて、それから一年後に会社から、
全く謂れの無い訴訟を受けました。それも非現実的な
巨額の損害賠償です。悪意でしかありません。現実的
対策は弁護士事務所と行うにせよ、個人で起業したので、
普段は仕事で忙殺されています。巨大企業と個人なので、
非常に不利です。何か精神的な救いを求めて、昔の経験
知識を見直しましたが、当然何も得られず、新しい探索
もして、今回は実践も真剣に取り組んだのですが、余り
役に立ちませんでした。
そんな状態で、赤松瞳セミナー案内→日浦先生のブログ→
昨日の6月セミナーに至った次第です。
セミナー前にブログは、かなり読みました。セミナーで
重要なポイントが開示され、自分なりには腑に落ちた気が
してます。私のマインドは、想像力が足りないのか、毎度
同じパターンです。
目先が変わっても、同じような登場人物、物事の展開の繰り
返し。マインドも擦り切れてるのでしょうか?ここから一度
抜けたいです。もしかしたら抜けられるのでは?という気が
してきました。
ここまでが感想です。感想ではないのですが、以下二つほど、
・瞑想は何も見えず終る場合と、直ぐいろいろな画像が見えて
くる場合が有ります。この画像をマインドの創作として、眺めて
いれば良いのでしょうか?それと、瞑想ではないのですが、私は
横になると、直ぐ寝てしまうそうです。自分では、回りの音は
全て聞こえているのですが、鼾をかいて寝てるらしいです。
周囲の人が何を話しているのか聞こえていますし、内容も合って
いるのですが寝ているそうです。これは金縛りの一種でしょうか?
・裁判の件は、何かアドバイスいただけるのであれば、お願い
します。メールでは長いので、次回セミナー後が宜しいでしょうか。
日浦
>私のマインドは、想像力が足りないのか、毎度同じパターンです。
>目先が変わっても、同じような登場人物、物事の展開の繰り返し。
>マインドも擦り切れてるのでしょうか?
>ここから一度抜けたいです。もしかしたら抜けられるのでは?
>いう気がしてきました。
もし、想像力がなければ、事業をやって、売り上げを伸ばすと言う
現実が現れないでしょう。だから想像力の欠乏ではありません。
セミナーで教えた「知覚」という言葉、その意味を思いだし、
それを理解すれば、上記の問題は消え去ります。だからこそ、
下記の想いが湧いたのではないですか?
>もしかしたら、抜けられるのでは?という気がしてきました。
 
>この画像をマインドの創作として、眺めていれば良いので
>しょうか?
これもセミナーで教えたことですが、画像を作りだすのは誰か?
そして、作りだした画像を眺めるのは誰か?と言うことを。
 
>これは金縛りの一種でしょうか?
いいえ違います。普通の人は、ひとつのマインドを持ちますが、
あなたは、なんと、二つのマインドを持っていて、片方は眠り、
片方は人の言うことにも聞き耳を立てているのです。それは、
出生時において、一卵性双生児が生まれることがあるように、
過去の古いマインドと、生まれてから作られた新しいマインドの
結合がうまくいかず、分離したままの状態が生じているのです。 
では、マインドがふたつもあるのは、希代の天才なのか・・・?
いいや違う(笑) では、超異常者なのか・・・? いいや違う。
このことは、説明しても理解できないでしょう。だから気に
する必要は有りません。彼が解決してくれるでしょうから。
 
裁判の件は、まだ結審していないのなら、次回セミナー後の
お茶会にて話しましょう。弁護士でも決して教えない戦いの
方法を教えます(笑)
 
仕事であれ、その他の何であれ、忙殺されるような生き方は、
いつまでも持続することができず、それの破壊がやってきます。
この日浦自身、会社再建の際、画期的な想像力を駆使して?
銀行に商品を売らせたことから、幾何級数的な売り上げが伸び、
まさに忙殺される忙しさ。それを解消しようとせず、秘書を
三人も置いて、スケジュール管理させたこと。それは、土日や
祭日も無くなり、ついに精神と肉体を破壊させるのものだった。
会社再建という間違った目標を定めたことから、自分が自分を
忙殺させる環境に追い込んだ日浦は おバカだったのさ(´;ω;`)
 
一 竿 風月
一竿(いっかん)とは、一本の釣り竿を指す。風月は、自然の
風物を味わう境地のこと。いっかんのふうげつとも読むそうだ。
出来る事なら、仕事量を今の半分以下にしたらどうですか?
売り上げよりも、自分と家族が大切だと知っていても、方法が
間違うこともあるのが人生。。。
 
感想文-2
昨日はセミナーありがとうございました。経験則のない初めて
のことでしたので、脳が凄いエネルギーを使っていたようです。
潜在意識が先生の授業を落とし込んでいることを信じて、
しっかり復習したいと思います。

以前、自宅でテレビを見ながら、そのまま眠ってしまい
ましたが、夢を見ていました。その夢はテレビから流れて
くるナレーションを元にしてストーリーが展開されていき
ました。自分はその夢の画像をしっかり覚えていたのですが
目が覚めてテレビを見ますと、ナレーションは同じですが
画像がまるっきり違うので、一瞬パニックに陥りました。
どっちが現実なんだと。。。

先生の話を聞いて、夢も現実も自分のマインドで作って
いるだけなのかと、気づきました。

ヨグおばさんとは、まるっきり違うセミナーです!
エネルギーは感じはしたのですが、ヨグおばさんは
重かったです。今後もよろしくお願いします。

日 浦
確かに脳が頑張っていましたね。このブログでも、潜在
意識を信じてはいけないと教えています。
だから潜在意識が先生の授業を落とし込んでいることを
信じて、、、これは、怖い想念なのですよ!
日浦が教える思考の消滅は、心の消滅とも言うけれど、
巷に在る「潜在意識論」も消しなさい、と言うことです。
 
感想文-3

ずっと夢見ていたセミナー受講が叶い大変嬉しかったです。
欲をいえば、体調が良い状態で参加したかったのですが、
日浦先生から直接に説法を聞くことができたことは他の
何事にも代えがたく貴重な体験であったと感謝しています。
先生のお話は大変わかりやすく、かつユーモラスであった
ため大変楽しく(失礼)受講できました。

セミナーの内容も人の構造説明のおかげで、瞑想の方法も
理解しやすかったです。また、瞑想については受講生に
何とか分かってもらおうと、先生がご苦労をされている
ご様子を強く感じました。

本当の目覚めとは何かを理屈では理解できましたが、瞑想で
その状態になるための明確な方法論を表現することは難しく
スポーツと同様に各個人の練習あるのみだと実感しました。
心の消滅後の「知覚」のお話については大変憧れました。
今は「知覚」がどうゆうものか、その実感を想像すらでき
ませんが、人の最も大切なものであると、認識することが
できました。
「没入」については、よく理解できなかったというのが
正直なところです。私にとっては、レッスン1-2がある程度
進歩した後に少し見えてくるのかも知れません。

最後に、真我唯一のエネルギーが大変危機的な状況である
というお話は、よく理解できませんでしたが、人類にとって
何やら大きな事件が差し迫っているような恐れを感じた次第
です。私は一部の受講生の方々のように先生のエネルギーを
直接感じたり、見たりすることはできない平凡な人間ですが、
今後とも遠くから、それとなく見守っていただけますと幸い
です。この度は本当にありがとうございました。

日 浦

何かと心配事を抱えてはいるが、もう心配するのは止めたら
いい。なんとなれば、今回のセミナーでも参加された皆さんは
今生において、解放されることを日浦が宣言したではないか。
これ以上の安心保障がどこにあるというのだろう。大丈夫、
受講生は、見捨てない。ずっと見守るよ。

感想文-4

返信と写真を有り難うございます。今新幹線で帰途について
おります。没入出来るよう精進致します。また、お会いする
時を楽しみにしております。先生も御苦労様でした。感謝 
感謝でございます。あの綺麗な石を買いに行く時は、是非
同行させて下さい。予約が入っていたりしていなければ、
何時でも行きます。宜しくお願い致します。くどいですが
有り難うございました。

日 浦
遠路をご苦労さまでした。セミナーに来て、綺麗な天然石の
ブレスレットを沢山見るなんて以外だよね。そして、制作
方法にも興味が湧いたのも以外かと(笑)
次回のジュエリーセミナーの日程が決まり次第、また
連絡します。
男心をも虜にする日浦の美しいジュエリー群、、、 
ちょっと言い過ぎか(笑)
次回は、美しい「ハート・シリーズ」が競い咲く。
請うご期待。
 
 

恐ろしいスピ系本-2

日浦様。
 
本日、先生のご指導通り、本をすべて処分しました。
昨夜、相談させて頂いて、本当に良かったです。
朝方のメールで、「詳細は省かせて貰います」と、
申し上げた件を、報告させてもらいます。
16日の火曜日、会社の上司にセミナーのための休暇の
許可を貰った後、昼から急に腰が痛くなりだしました。
会社の後輩に鉄人と言われている私が、腰を痛がる姿を
見て、みんな驚いて心配してくれました。今迄に経験を
した事が無い強烈な痛さです。夕方、痛い箇所に手を
当てますと、背骨の横がボコッと飛び出しているのです。
そこに指先が触れただけで、声が出る程の痛みでした。
会社の人達から「絶対病院に行け!」と言われたのですが、
なぜか病院に行こうとは全く思わないのです。不思議と
自分の中で「護符シールを張れば必ず朝までに治る」
思っているのです。倒れ込むように家に帰ってから、
シップの上から護符シールを張り、そのまま朝まで、
うつ伏せで寝ておりました。思った通り、朝起きますと、
スッと立ち上がる事が出来、そのまま会社に行きますと、
みんながどれ程驚いたかは、言うまでもないと思います。
背骨の横の腫れも引いていました。
そして、その日の17日夕方、仕事が終わって、セミナーの
料金を振り込むために、銀行の駐車場に車を駐車した途端、
突然頭痛と吐き気と目眩いがしてきて、気分が悪くなって
きたのです。ふらふらしながらも振り込みを済ませ、前日と
同じように、倒れ込むように家に帰って、護符シールを張った
ボトルに日光を当てた水を一気に飲み、両脇とオデコに護符
シールを張って、寝込みました。腰の時と同じように今迄に
経験した事が無い、しんどさでしたが、病院に行こうとは
全く思わないし、不思議と「朝迄に治る」と思っているのです。
やはり朝起きますと、なんともないのです。
一番驚いていたのは、家族だと思います。今の会社に勤めて
丸17年、病気や怪我で、寝込んだ事が無い私が、二日連続で、
倒れ込むように帰宅し、寝込んでいる姿が信じられないし、
心配で家族も疲れているようでした。以上が、私の不思議な
出来事です。先生が書かれていた「日浦の護符を破るものは
いない。護符シールがあれば、何も恐れる事は無い」を、
身を持って知る事が出来たと思います。
夜は、どうしても瞑想に集中する事が出来ませんが、先生の
セミナーを受講すれば、必ず集中出来るようになると思って
おります。日浦先生に、お会い出来る事が楽しみです。
よろしくお願い致します。
 
日浦から
今まで、天然ボケとか、物忘れが激しいとか、自分とは
異なる人格が心のなかにあったりする不思議は、不可知な
ものから意識を操作されていたからだ。これを霊的憑依とも
言うが、憑依の言葉に恐れてはならない。なんとなれば、
霊的憑依の実態は、単なる観念でしかないのだから。
霊的障害の現れ方は人それそれであり、殆どの場合、病院へ
行っても、その原因は分からないものだ。
もし人が、自己の本性に目覚めたいと思う時、或いはまた、
真理の話しに触れようとする時、霊的な障害が起こる人も
少なくない。というよりも、思いのほか大勢いるのである。
皆さん信じられないだろうが、現実の暮らしの上で、日浦の
セミナーを受講しようと言う意志が働かないことそれ自体も
霊的な障害なのである。この意味が正しく理解されなければ
ならない。
仮想の読者「わたしゃ理解できませんが?」
日浦「理解できない、と言うのは、無限の闇を彷徨う自我の
セリフなのだ。自我もあなたでは無い。」
 
日浦のセミナーを受講したいと言う君の意志が、君が体験
した様々な霊的障害に打ち勝ったのだ。それだけでも大きな
奇跡的な前進なのだ。
 
もうひとり、君と似た体験をしている受講申し込み人がいて、
彼も妨害と言う障害を体験している。その彼もセミナー参加の
意思が勝っている。
 
セミナーの受講を迷う人も大勢いることを分かってはいるが、
それは、やはり本人の意思決定によるしかない。もし受講に
迷う人あれば、その迷いは、あなたに迷いを吹っ掛ける悪意
ある他者の仕業であり、他者の想念であると理解すればいい。
 
仮想の読者「はあ~?何を言わんとするか分かりませんが?」
日浦「自我は真理を聞こうとせず、滅びゆくことを望まない。
自己の解放を求めないのは、あなたでは無い自我ゆえなのだ。
その事が、「日浦のセミナーを受講しようと言う意志が働かない
ことそれ自体も霊的な障害(身体に束縛するカルマ)である。」
の意味であり、それゆえに皆さんは、無知と言う暗闇の中を
無限的時を彷徨ってきたし、これからも無限的に無知と言う闇を
彷徨うだろうという事実なのだ。」
 
仮想の読者「わたしは、そこそこの学があり、常に視界は
明るいですが、無知な暗闇とは、いったい何ですかいな?」
 
日浦「わたしは人間だ、という大きなウソを公然と言って、
身体感覚のまま、まぼろしの人生を体験することそれ自体が
無知の暗闇に住することです。お分かりかな?」
 
 

恐ろしいスピ系本-1

日浦様。

こんばんは、◯◯県の◯◯です。
まだ受講した事が無いにも関わらず、
このような質問をさせて頂くのは失礼かも
しれませんが、この1週間程の間に今迄経験
した事が無いような事が私自身に色々起こって
おります。
そのひとつ、昨日の夜、11時頃から12時過ぎ迄
日浦先生の過去のブログを拝見しておりました。
そのまま瞑想はせずに、12時20分頃に布団に
入りました。横向きに寝ころがっていると、
突然、色々な物が自分に向かってくるような
感覚が起こり、その後に背中側にある棚付近と
壁が激しく揺れだし、その震動が首にまでも
伝わってくるほどでした。
震動は30秒位だったと思います。家は揺れずに
棚と壁だけが揺れていました。怖くて目が開け
られず、いつの間にか寝ていました。
よく朝、揺れていた棚を見て思ったのは、棚の
上にスピ系物理学者や松果体革命のスピ系医師の
本をづらりと十何冊並べております。
その中には、置いておくだけで「くくり姫神」
お守り代りになるという本もあります。
やはり、これらの本は、直ぐに処分した方がいい
でしょうか?ご指導頂けましたら幸いです。
よろしくお願い致します。
 
日 浦
ある意味での貴重な体験をしたではないか。
記事の「人生いろいろ」に書いた「護符の意味する
秘密ごと」について、再読したほうがいい。 
そして、 
>スピ系物理学者や松果体革命のスピ系医師の本を
>づらりと十何冊並べております。
 
そのようなウソばっかりの悪質な本は、「お前は、
真理ではないから、わたしに必要がない。よって火に
掛ける」と言って、焼いてしまいなさい。焼き芋でも
作れるか?十何冊では無理か(笑)
或いは、ゴミに出すもよし。受講生の多くがそうした
スピ本を火に掛けたり、廃棄処分して来たのです。
 
>置いておくだけで「くくり姫神」のお守り代りに
>なるという本もあります。
 
なにが「くくり姫神」か(笑) 何がお守りか(笑)
お守りどころか、あなたを破壊・殺害しようとして
恐ろしい牙をあなたに向けたではないか。このことに
気づこう。それは、日浦の体験であった記事「下落する
黄金球」に似ている。日浦の処へやって来た悪魔、
阿修羅たちが誰であったのか、その事が書いてある。
くくりという語に当て字を用いているが、くくるとは、
束縛と憑依を意味しているから、恐ろしいものだ。
知らぬは読者だけか。。。
 
伊勢神宮と天照の正体
世界は、ウソから成ると教えたように、例えば、古代の
旧約聖書に在る天地創造と、その神と言う観念は、単なる
ファンタジーであり、実在の神に依る天地創造は起こって
いない。この物質的な世界が立ち現れたのは、神が存在する
ゆえではなく、マインドが創作したマーヤ・まぼろしでしか
ない。マインドが消え去ったそこには、元々無かったものと
して、宇宙は消え去るのである。このことからも旧約聖書の
天地創造は、ウソだと言うことなのだ。
ウソの旧約聖書の日本版と言える日本書紀、古事記、竹内
文書など、日本版のファンタージに過ぎない。天照も実在の
ものでは無く、ヒューマンドラマの延長であるファンタジー
なんだよ。だから、天照とか様々な神についても信じるな。
天照は、外来の邪悪な神を日本語版に置き換えたものだ。
いつの日か、天照の正体をばらしておこう。
 
白山ブログは
日浦は、常々神社とは神聖なものでは無いのだと言って
いるが、伊勢神宮や白山系神社もさわらないほうがいい。
神社の歴史は人に隠されており、しかも日本独特の文化
ではない。形を変えた外来種の宗教なのだ。
白山と言えば、ランキング1位?の白山ブログを読むのも
怖いことだと知る人は稀だ。彼は、様々な神を語るものの、
その多くが妄語でしかない。そしてまた、明らかなウソも
多々あるのだ。それを少し公開しよう。
彼は、キプロス島のダスカロスは本物だと言っていたが、
それは間違いだ。日浦いわく、ダスカロスは阿修羅の系統
であり、彼のヒーリングは、恐ろしい阿修羅のものだ。
しかもダスカロスは、実のところヒーリングが出来ないと
日浦は言うなり。出来もしないことを出来ると書くのは、
嘘つき詐欺師と言われる。同じくダイアナとか、レイキ
ヒーリングをやるものは、ウソつきの詐欺師なのだ。
ダスカロスは、過去において、自分を殺害して封印した
者たちを激しく憎み、あの世に還り、6名?7名?の者を
地上に生まれさせて、それを地上で探し出し、心臓を取り
出して殺したという。そのダスカロスの供述話を本にした
弟子(名前を忘れた)は、ダスカロスの怒りを買って、
破門になったと言っている。だからダスカロスは悪魔系、
阿修羅系なのだ。このとからダスカロスは本物だと言う
白山ブログの意味は、「ダスカロスは、阿修羅と認定する」
という意味を含蓄していることになるのだ。
つまり、ダスカロスが本物(阿修羅)だと認定するのは、
一体誰なのか?阿修羅だと認定する者が、阿修羅自身では
ないのか?つまり、阿修羅自身は、阿修羅の誰かを本物の
阿修羅だと認定するという認識論の基本ではないか?
この意味が分かるだろうか?
もし、ダスカロスが阿修羅の認定ではないという場合、
ダスカロスの正体を見抜けないことを表明した訳だから、
彼は、知覚と認識の大きな間違いがある人物であることが
見て取れる。それゆえに真実を知覚し、認識することが
出来ない人による白山ブログに書かれた神々や物語りは、
真実性が大いに疑われるのである。
この意味が分かるだろうか?
また、ラナマ・マハルシを本物だ、と言っていたが(笑)
マハルシは確かに本物であるが、彼が本物であることを
どうやって認めたのか?知覚と認識力に大きな間違いが
ある人が、一体どうやって、本物だと認めたのか?
ただ単に有名だからか?(笑)
マハルシ本物の認識でも、論理の大きな矛盾が生まれて
いるが、それを自分では気づかないのだろう。マハルシを
本物だと言ったその瞬間、それまで書き続けてきた白山
ブログは、マハルシの教えと真逆なのだと言う事実を、
ハッキリと彼は気づけないのだ。こうした矛盾点は読者が
分かる立場にあるものだ。しかし白山ブログの愛読者達は、
「くくられて」いるから、あのブログから離れられない
のだ。だが愛読者たちは、いつの日か大きなリバウンドに
苦しめられるだろう。それが偽りを信じた代償である。
それは、論証することが出来るけれど、あほらしいから
やらない。 
 
君は、日浦の護符シールを購入し、そしてまた6月の
セミナーに来ることになったので、ついに彼らは牙を
君に向けたのだ。今までは、ただあなたをくくっていた
のである。そのような体験は怖いと思うかも知れないが、
日浦の護符を打ち破るものはいない。だから恐れる必要は
ない。恐れているのは彼らのほうだ。だからこそ、牙を
むいたのである。
瞑想しないで寝たって?(笑)
 
「水清ければ、魚住まず」
これは、この世のマーヤの仕組みであり、これを
そのまま信じてはいけない。これと真逆の真理は、
「心清ければ、悪魔・阿修羅は住まず、
ゆえに不幸はやってこない」である。
 
皆さん、自己の霊眼を開花させない限り、マインドに
あなた自身が騙され続けるのだ。無限的に。それが、
まぼろしの業、この世なのだ。マア ヤーダ💦
あなたの本質である霊眼を破壊し続けているのは、
心、マインドなのだ。なぜなら、心。マインドが
まぼろしそのものなのだから。そうであるから心、
マインドを消滅させよという深い真理が説かれる
のである。
心と言い、マインドは、あなたでは無いのだ。
 
 

人生いろいろ

ヨグマタおばさん、そしてまた、赤松瞳セミナーの

案内を貰った人がいて、赤松瞳をネット検索したら、

「新宿乞食3」にある赤松瞳の記事を読んだと言う。

そして、赤松のセミナー参加を止めたと。

ヨグマタおばさんの講演会へ行き、違和感を感じた

と言う人は知覚が鋭敏だからである。そこへ行かず

日浦のセミナーに参加するという。赤松瞳のセミナー

再参加を中止した某読者は、再受講をしないことに

なったことを感謝します、と言っていた。

ごめんよ~ おばさんたち(笑)

しかし、みんなそれぞれ頑張ってんだねー偉い!(笑)

 

次は、斎藤一人の件

こんにちは。毎日光をありがとうございます。毎日

治療効果が向上しています。今月で斎藤一人(高橋信次を

宣伝する人)の銀座まるかん取扱店終了します。先生の

以前のブログに狸と狐の話があっても、糠に釘で気が

付きませんでした。この人も人生相談のCDと全国銀座

まるかん社長会議の時は、講演会の時とは別人のような

上から目線の話ぶりでした。光の玉に包まれると何でも

教えてくれるとか、光の玉は天照と名乗ったとか、守護霊、

宗教嫌いの神様大好き人間、最近は八大龍王様から水晶を

授かり、売上高達成した人に、日本一のお金持ちなのに

一万五千円で販売しています。護符シ―ルセットと同じ

値段です。離悪恩寵。離れられて良かったです。ありが

とうございました。この光のエネルギーを治療に使うように

なり七ヶ月ですが、自分の身体が柔らかくなり、腰痛を

はじめ病気のカルマが少しは減りつつあるのか、自分の

体調が凄く良くなりました。今までのエネルギーでは

なかった事です。家族も毎日私以外は大笑いする毎日です。

護符シールは、最高のエネルギーの証です。護符シ―ルを

2セットお願いします。本日入金済みです。

解脱を楽しみに毎日瞑想続けています。どうかよろしく

お願いいたします。

日浦

なるほどねー 斎藤一人も頑張ってるんだね ~ひとりで?

>八大龍王様から水晶を授かり、、、

なにが八大龍王か。それはウソつき信次の真似でしかない。

龍を従える存在は、ただひとり日浦だけ。それゆえ信次と

斎藤の言う八大龍王については、ウソである。

受講生や読者の中にも、神獣である鳳凰や龍を従える日浦の

本体を透視する人がいる。もっと増えて行くだろう。

そうすると、ウソを言う者が誰かが明らかになってゆく。

嘘つきは、やがて自滅するものだ。「そうなのか、、、

それまでウソをついていいかな?」⇦ 馬鹿もん!(笑)

 

>光の玉に包まれると、何でも教えてくれるとか、、、

>光の玉は天照と名乗ったとか、、、

さすが信次の宣伝マン。妄想するのは、信次とそっくり。

 

セミナーの前と後には、お茶会、食事会をして、22時頃

までも受講生と会談する日浦は、上から目線は無いんだよ。

もし、そのような生意気な想いがあるならば、22時くらい

までもお茶会をする訳もない。スタッフを決めて、送迎は

スタッフにやらせている事だろう。それを日浦はやらない。

いまは眠ってはいるけれど、至高の真我として受講生さんと

平らに対峙しているのがこの日浦なのだ。セミナーの集合時、

必ず日浦が皆さんを出迎えているではないか。もし偉そうな

思いが日浦にあるなら、出迎えは他人にやらせているだろう。

本物は、決して上から目線にはならない。このことを知って

人を見よう。

 

>解脱を楽しみに毎日瞑想続けています。

善いね。何かが届くだろう。

 

護符の意味する秘密ごと

皆さん、このブログを読んで、一を知るのか、それとも

十を知るのか?

護符シールのことを多々語ってきたが、それの文字だけを

読む人、意味さえ読み取る人、読む人に差があるのだ。

ヨグマタおばさんの講演会、瞑想法の貴重な体験談が

ラーラ北海道の記事にある。そのえげつなさは、日浦も

びっくりするものだった。ひええー💦と(笑)

このことは何をいわんとするのか。

たとえば泥棒が、「泥棒するのは良くないからやめようぜ」

と言うことはたやすく出来る。人の同意や共感を得ることも

出来る。この例えは、読者でも分かるだろう。しかし泥棒が

そう言ったからとて、泥棒をやめる訳ではないことも分かる

だろうか?

つまり言葉や文字を額面通り受け止める時、人は騙される

という教えを含蓄している。このことが分かるだろうか?

そうであるから、ヨグマタ、そして斎藤一人のDVD、書籍、

講演会などは、言葉と文字との羅列であるから、それらを

もし額面通りに受け止める時、騙される土壌がそこに在る

ということを知らなくてはならない。しかし、信じたり、

疑ったりしてはいけない。事実を見れなくなるからだ。

 

日浦の作る護符は、シルバー925だったり、印刷した紙で

あったりするが、あちこちでも奇跡的な好転現象を生み

出しているという現実。

一方のヨグマタおばさん、そして、斎藤のおっちゃんの

発売するDVDとか、本、講演会などもまた、日浦の護符の

ように、ある種の不可視なるエネルギーを言葉や文字を

超えて放射していることを皆さんは観えないだろう。

もし、それらのエネルギーが観えたら、絶対に参加しない

だろう。時が来たら、彼らの放つエネルギーがいったい何か、

色彩は何色なのか、阿修羅のエネルギーなのか、それとも

別のエネルギーなのか、それを明らかにする。

 

騙して騙され、またしても騙される。人生いろいろ咲き競う

もの。マーヤの世界は、なんでもありなのだ。

闇に光りを

セミナーの申し込みをされた受講生とのメール。

6月のセミナー参加しますので、よろしくお願いします。
3月のセミナーに続き2回目の参加になります。いつも
お守りいただき感謝です。お会いできるのを楽しみに
しています。

 
日浦 こんばんは 久しぶりですね。6月セミナー参加、
お待ちしています。集合場所と時間は、前回と同じです。
 
そうそうの返信ありがとうございます。 毎日、ブログ
チェックしていますので、全然久しぶりではないですよ。
サイババのブログなどは、私が疑問に思っていた答えが
書いてあり驚きました。いつもブログを読んでいると、
その時々の疑問の答えが載っているので、私のために
書いてもらっているような気がしています。
 
日浦 今回の記事「世界は、感覚と思考と言うエゴの
集積から成る」の国家犯罪を目の当たりに観た日浦の
体験もまた読者に対する説得力があるのではないか。
 
世論の中には、利権に群がる政治業者は多々居るけれど、
まともな政治家はいないとか言われたりする不透明な政界。
不透明なのは、政界に限らない。しかし、本当に政治家が
不在なのか?いいや違うだろう。
 
事実は、国民が無知であるから、無関心であるから、そして
また、彼らを監視しないことが、巨悪や馬鹿をのさばらせて
いるというのが現実である。そうではないかい?
 
普通なら闇に葬られ、国民は知る事さえ出来ない不祥事は
沢山あるのだ。日ごとの変化は数えきれない。しかし権力の
支配下にある報道が期待できないならば、Youtubeがあり、
ツイッターがあり、個人のブログがある。それらを用いて、
国民が彼らを監視して、不正行為を公開するならば、盗みを
働く闇夜にも明かりが差し、悪事がやりにくいことだろう。
恐ろしい検察法案の取り消しは、まさに国民の監視による
ものだ。ゆえに国民の多くは、このような実例を体験した
のである。このことをハッキリ認識すべし。
 
そうであるから、政治の様々な闇に対し、事実認識と言う
客観的な光りを投げかければ、そのことは、彼らの不正を
見逃さないと言う観察行為であるが、観察される高学歴な
国会議員とか官僚たちは、その優秀な頭脳と経験価をもって、
国民のための政治を行ってくれることだろう。そうすると、
嫌でもまともな政治をせざるを得ないな!(´;ω;`)とか最近の
国民の目は怖いな!(´;ω;`)という自粛行為が生まれ、それが
好転現象を生む可能性がある。
 
彼らを監視せず、何もせず、官僚や政治家を批判するのは、
単なる負け犬の遠吠えに過ぎず、彼らの耳にさえ届かない。
だよね?ならば、情けない遠吠えなどせずに、自分の為す
べきことが見えるのではないか?
 
闇を照らすもの
ここでいう「闇」とは、「人の心の中」を言い、心は暗闇の
中に住するものであるから、暗闇の中では、何も観えず何も
分からず、心は無知なる状態と呼ばれる。そして無知な心は
叫ぶのだ。あれはなんだ!?どうしてそうなるんだ!?なん
だってー?知らなかったなあー俺っておバカ?もっと論理的
に説明をしろ!などと言うのが心の無知なる証明だ。次いで、
知的探求と好奇心、論理的思考、哲学や心理学、宗教、考察と
呼ぶ憶測と空想、わたしという自我意識など、無知なる心の
闇から生まれ出る無知ゆえの負のエネルギーである。
 
それゆえ悪魔とは、空想上のものではなく、無知な心中に
住む霊的な負のエネルギーであり、生物学的な悪魔と言う
生き物が存在する訳ではない。もし、いたならば捕獲して
動物園に入れられるか?それとも刑務所か?それを君は見に
行くかい?多分、怖いモノ見たさに行くだろうね?それを
観たとたん、憑依されたりして(笑) ⇦ 笑えないね💦
しかしながら、現実社会には、悪魔など存在しないという
人も多々居るが、その発言こそは、悪魔が悪魔の存在性を
否定するための言い訳であると言っていいだろう。
なぜなら、世界中に起こる暴力や搾取、人殺し、諸々の邪悪、
戦争などは、すべからく、人の心が作りだす破壊的な負の
エネルギーであることを誰が否定できるのだろうか。
それゆえ悪魔は、人の心の中に住む邪悪なエネルギーである。
この論理が分かる人ならば、悪魔など存在しないという悪魔の
想念を否定し、悪を想うことなく、自分の心中を観察、点検
することだろう。
 
仮想の読者:「あのう~えーと、心は暗闇の中に住するもの
であるから、暗闇の中では何も観えず、」と書いてあるのに、
心の中を観察しろって、どーゆーことなのさ?
日浦:このことは既に、記事にしてあるんだよ?そして
心を観察した受講生さんの体験も公開してある。
 
暗黒という心の闇の中から、心自体が観る世界は、人の感覚
器官を通した外側世界であり、そこは、太陽光と言う間接的な
照明が与えられている。そのような構造性ゆえ、暗闇に住する
心は、心自体を観ることが出来ない。
外側の間接照明(太陽光・月・電気的照明)は、マーヤと呼ば
れる幻影を映し出し、心は、マーヤを実在だと勘違いする。
その生き様が皆さんの日常という生活であり、皆さんの人生と
呼ばれているのだ。
 
だから、皆さんの人生がどうであれ、楽しいとか不幸だとか
惨めだとか言い分は様々あれど、人生は何の意味もないという
事実を、人生は無駄だと言う事実を見抜かなければならない。
例え話でもいいだろう。よく考えて見よ。マーヤと呼ばれる
幻想の世界に生きるあなたの人生が、決して幸福である訳が
無いと言う事実を見い出さなければ、観えざる悪魔にも憑り
つかれたりしたまま、空しく生涯を終えてしまうのだ。
そしてまた、性懲りもなく幾度も生まれて来るのだ。これを
何百万年も繰り返す人間に憑りついた魂たち。
これは、決して脅しではないのだ。
 
闇を 照らすもの
冒頭に書いたように、「闇」とは、「人の心の中」を言い、
心は暗闇の中に住するものである。それゆえ暗闇ゆえの無知と
言う負のエネルギーである悪魔さえも住むと言う心の世界は、
常に暗闇であるから無知なのだ。無知ゆえの欲望と恐怖とが
外側から侵入する意識世界をこの世と言う。
暗闇の無知に在って、人は様々なことを体験し、学ばなければ
ならないと思う。教育の場面では、義務教育から始まり、高校、
大学、大学院を出る人も居て、それでもなお社会に出てからも
新たな知識を学び続けなければなければならない。学ぶことが
楽しいと言う人もいれば、苦痛だと思う人など、様々だ。
数万冊の書を読んだと言う人も居るが、それらは、言う間でも
なく、総てが外側の知識である。つまり、マーヤの知識であり、
外側の知識は、残念ながら、すべからくマーヤで在りえる。
まあ!やーだ!💦
無知な心が闇に住することを深く説明するためには、知識の
本質を説かなければならない。つまり、常に変化する外側の
知識ではなく、いわば内側の変化しない本質の知識について
である。内側の知識って何だろう?これを内なる知識と言って
いい。皆さんは、それを知らない。もし人が、内側の知識を
知っていたならば、外側の知識を求めることは止む。何と
なれば、外側の知識がマーヤだと知るからだ。
 
そのことが分かったとき、「僕は数万冊とは言わないが、数千
冊の本を読んだ」と言う人に対し、「それが何だと言うのか?
それで、どれほど賢くなったのかい?自己を見出したかい?」と
言い返す事だろう。人がこの世を去る時、知識も体験も記憶と
して持ってゆく。これがカルマの素である。もし、人が解脱を
果たすとき、蓄積した体験、学んだ知識の総てを捨てなれば
ならないのだ。何故なら、外側の体験と知識は、マーヤへの
束縛であるからだ。
このことを知らない人は、外側から仕入れたところの多くの
知識を得たのだと、うぬぼれたりもする。こうした人を馬鹿者
だと言えば、失礼に当たるかも知れないが、賢くはないのだ。
またもや引き合いに出すけれど、日浦26歳の丹沢山中瞑想は、
学んでいない電子工学や機械工学の最先端の技術が、自分の
内側にあったと言う体験をした。自分の内側に在った知識は、
断じて外側から仕入れた知識では無かったのだ。皆さんも
日浦の真似をしたらいいのではないか?このことを真似するな
とは言わない。ぜひ真似たらいいのだ。
「あのう~私には、外側しかなく、内側は有りませんが?」
などと言うおバカさんはいないよね?
「そうでは無くて、内側を観れない私は外側しか見えません」
なんてこと思う人も居ないよね?
 
内なる光りとは
感覚と 思考を消し去れば、たとえ残留するカルマを放置したまま
であっても、無知な心の暗闇と、真の知識とが取って代わり、闇と
光りとが入れ替わる時がやって来る。その時こそ、心の暗闇は消え
去り、真の知識が心を満たし、心自体は光り輝いて、知る者になる。
そして、欲望も恐怖も共に消え去り、永遠の平和がやって来る。
それは、もはや外側の知識を何も必要とせず、経験のないことや、
学んだことも無いことも分かるようになる。
その真の知識は、職業のジャンルを問わないので、地上における
最高峰の識者になると言っていい。それは、いわば全能の自己に
戻るのだ。
内なる光りとは、真の知識のことであり、それは、二サルガダッタ
マハラジさんのいう「気づきの太陽」のことでもあり、永遠不滅の
変化しない真の知識として、そこに常に存在するのである。この真の
知識を「知覚」と呼んでいいだろう。知覚とは何か?皆さんも知覚と
思考は似て非なるものであり、同じではないと分かるのではないか?
あれは何だ?それは、どうしてそうなるというのか?などというのは、
無知な脳の動きと思考であり、身体の属性なのだ。これを自我とか、
エゴと呼ぶ。心と呼ぶものは、自我、エゴの別名でしかない。
 思考の終焉
しかし、知覚は魂の直接的な属性であり、身体感覚の思考を超えて
いるからこそ、あなた自身、本当はなにも考える必要はないのだ。
これが「思考と感覚を消し去れ」という教えの意味することである。
このような恐ろしくも実に素晴らしく凄い教えを世間は知らないのだ。
この教えを理解したならば、あなたが取り組むべきことは、ただひとつ
しかないと知るだろう。それは、「感覚と思考とをひとつにして、
それを消し去る」と言う僅かな努力であると。
 青天の霹靂?
「いったい、どうしたら、しつこいマインド、また思考や想念を黙ら
せることが出来るのか?」と問う人がいたならば、大勢いるだろうが、
「その問いこそが愚かな自我とかエゴによる問いである」と言おう。
仮想の読者:「・・・ガ~ン!💦」
そしてまたつけ加えておこう。「本当にしつこいのは、マインドでも
思考でも、また自我でもエゴでもなく、それに同調し続けるあなたが、
しつこいのだ」と教えて、この記事を終りとしよう。
仮想の読者:「ガーン!ガーン!思考が止まりましたあ!!」
日浦:「それが本当なら、おめでとう!」
このような深い意味の真実を、世界の誰が教えてくれるのだろう。
この世では、思考を基にした哲学、倫理学、心理学、宗教がある。
それらが実のところ、マーヤだと言う真理を皆さんは聞いたのだ。
つまり思考によっては、幾ら高い理性と言えど、それも思考である
から、神を見出すことは出来ない。人の本性さえも見出すことは
出来ない。感覚と思考を超越した人のみが、神は存在しないことを
知る。つまり直接に知覚する。だから神を語る者は、みな、おかしい
人であり、妄想虚言家たちだと言っていい。
仮想の読者:「・・・もうついていけません!死にそうです💦」
日浦:「あなたは死なないだろう。そう言うのも自我なんだよ?」