転生の秘密

記事の「世界はウソから成る」を読んで、

感動したとのメールあり。

 

 【無断転載を禁ず】

人の感じ方は様々だけれど、人類に共通のウソがある。

それが「私は生まれた」とか、「私の経歴はこうだ」

そして、「私は自分をよく知っている」などと言う

個人情報を語るもの。

そのような彼や彼女らは、根本的に嘘つきなのだ。

語ることや行為することが結果的にウソになって

しまうのだ。

では、そのような人に聞くけれど、なぜ自分の

過去世を知らないのか?それとも過去世は、

ファンタジーなのか?人に過去世があるのは、

ファンタジーではない。

 

ウソになる理由は簡単だ。

おぎゃあー!と泣いて生まれて来た人には、

過去世の記憶があるわけが無いという単純な

説明が与えられる。

無数の過去世の体験の記憶は、魂の中に在り、

生まれて来た人の中に無いからだ。魂は生まれる

ことが出来ないのだ。だから、あなたは生まれて

いないのだと言うこと。

じゃあ誰が生まれたのさ?

 

その答えを言うけれど、

大いにショックを

受けて欲しいものだ。

 

おぎゃあーと泣いて生まれた者は、

自我でありエゴなのだ。自我とか

エゴとは、あなたの「成りすまし

野郎」なのだ。

 

なるほどそうだったのか!と感じ取れる人は優秀だ。

 

あなたの成りすまし野郎は、身体が生まれて新たに

生成される心であり、感覚器官の反応であり、魂に

引き継がれたカルマを受け継ぐ。

カルマは心の潜在意識という層に蓄えられ、少しずつ

表面意識に昇り、あなたの言動のエネルギーになる。

だから、あなたの思考といい、想いはカルマである。

ゆえに心の消滅とは、カルマの消滅を意味する。

 

言って置くけれど、邪悪なカルマが潜む潜在意識の

活用は極めて危険なことだ。それを知ってか知らずにか

潜在意識の活用を唱える者がいるけれど、彼らは単なる

無知なる者か、それとも人を不幸に導く悪魔の申し子か。

スピ世界は、ウソが多用された本当に危ない世界なのだ。

諸君、気をつけよ。

「そうなの?じゃあスピ系を覗いてみよう」なんてことは

思わないほうがいい。何かに引っかかるだろうから。

 

自我と言い、エゴと言うものは、本性のあなたを封殺した

まま、朝から晩まで適当に活動し、寝ても夢の中で活動をする。

愛ある人になろうと想えども、なかなかなれないのは、エゴの

利己性ゆえ。そしてまた心はころころ変わるものだから。

エゴは快と苦を体験しつつ最終的に棺桶に入り、火葬場へ行く。

骨と灰が成りすまし野郎の果て。。。虎は死して皮を残す。

人のエゴが残すのは、ただの灰だ。

 

しかし、肉体が死してもなお、成りすまし野郎は死なない。

とてもしつこいんだ。あの世に行っても活動をする。だから

あの世とは、カルマの延長線上に置かれた世界だ。あの世の

少し良い世界へ行けば、そこでも真理を教える霊的存在がいて、

解脱への教えを学ぶことができる幸福な者もいる。

だが教えが身につかないのだ。なぜならあの世で学んだことも

地上に生まれて忘れ去るから。

この世において悟れず、あの世に行ってさえも悟れずにいる

無限数の魂達がいる。だから無限の転生輪廻が起り得るのだ。

あなたは何回の転生を体験しているか、分からないだろう。

 

長き転生の体験は、魂がマインド化するだけのこと。

転生を繰り返せば、魂の覆いは地層の如く分厚くなる。

転生すれば、蓄積するカルマも増え続ける。転生輪廻に

いいことは何もない。

生まれた起源を持たない魂は、あらかじめ完成されたもの。

だが、マーヤの世界に興味を持ったからこそ、低い意識

レベルの人間に宿っているのだ。そして、そこから抜け

出せなくなっているのが人間という生き物だ。

 

故・高橋信次や江原さん、斎藤ひとりさんの言うような、

転生輪廻を通して永遠の進化を目指すなどという言説は、

大きなウソだ。彼らの言うことを信じてはいけない。

永遠の輪廻とか、永遠の進化を目指すという言葉自体が、

永遠の苦を暗示し、かつ永遠に到達地点が無いことを

暗示する極めて低レベルな言説である。

 

だから人の誰もが「わたしは誰か」と自問しなければ

ならないし、あなたは、どこにいて、一体何をしている

のか?と知らなければならないと言うこと。

本性のあなたを殺して生きる成りすまし野郎は、最も罪深い。

人間どもという言葉の意味がそこに在る。

 

自己の本性を悟らなければ、無限的な輪廻転生は

成りすまし野郎に乗っ取られているわけだ。だから

そんな人生に何の意義があるのかと僕は言うのだ。

いいや日浦よ、人生は楽しく、意義があるのだよと

言うのは、成りすまし野郎のセリフだと言うこと。

 

幸福の源泉

 

あなたが自分の魂を思い出した時、無限数の転生を

思い出す。そしてまた、他者の転生輪廻も知る。

だから社会や人から騙されることが無くなる。

それはまた、地球が誕生した時から、現在までの

歴史の履歴をすべて知ることになるのだ。宇宙の

歴史も知るだろう。

だからもう宇宙論の本を読んだり、何かのセミナーを

受ける必要性が無くなり、あれはこうか、これはこうかと

考える思考も消え去る。無限的なカルマも消え去り、

あなたは自由になる。そこが幸福の源泉だ。

 

全知全能という言葉は、魂を思い出した人に適応される

凄い凄いスキルなのだ。小さな領域における思考を超えて、

無想になるのはそう言うことだ。無思考といい無想が全知

全能の実相なのだ。だから想念や思考を捨てろと言う教えは、

最大の愛であり、最高の霊的到達地点を明示しているのだ。

 

人類の誰もがなすべきことがある。

それは、誰にも唯ひとつのこと。

あなたの成りすまし野郎を

あなたから追い出すことだ。

 

それが為し終えた時、あなたは

自由を宣言するだろう。

 

 

世界はウソから成る

前回のアルファーとオメガの記事は、

読者に意味深な不可解なものとなった。

今回は、ざっくり語ろう。

 

この物質的宇宙の始まりは、

その起源については、宇宙物理学者の推論であり、

ファンタジ―であり、生命の起源も人の推論である。

なぜなら推論と事実は同じではない。

それらの起源を辿り、それが起源だということを

証明することが誰にも出来ないからだ。

にもかかわらず、起源はこうだ、ビッグバンは

このようにして生成した、という断定的な言い方を

する人が多くいる。

誰にも断定できないことを、なぜ断定するのか?

ハッタリをかませるためか?(笑)

 

物理学者に限らず、存在しない神を語る宗教

関係者もまた事実と推論とを混同する人が多い。

宇宙の始まりを、神と言うものを、直接見たり

体験したりしていないものが、ああだこうだと

断定的に語る様は、妄想虚言者の言論と、どこが

違うと言うのだろうか?

真実を知らないくせに、あたかも見たり体験した

かの如くに知ったかぶりをする人間たち。

たびたび引き合いに出すけれど、仏教徒の多くも

間違いを犯す。ゴーダマ仏陀は、「こういった」と

言うことが、断定できるのは、ゴーダマ仏陀本人から、

直接の教えを聞いた人だけに許されるもの。

そうではないかい?読者諸君。

 

宇宙の起源を探求しても、人の幸福には貢献しない。

生命の起源についても同じだろう。それらの探求は、

学者たちの娯楽だといっていい。アルファとオメガの

説明は、時を超えた領域の事ゆえ、その年数が必要ない。

時間と空間が認知されるのは、物質世界の事であり、

非物質なる世界は、始まりも終わりも認めることが

出来ない。それを科学も認めてはいる。エネルギーは

不滅であるとの定義づけがそれだ。にもかかわらず、

宇宙には起源があると言う不思議な学者たち。

起源があると言う言葉は、不滅性を否定するものだ。

 

ビッグバンさえ解明されていないなか、ああだ、

こうだと断定する感性は、いかなるものぞ?

憶測や推論を排すべき科学の学者らしさを失った

学者先生たち。

学徒は、ウソを真実だと思うよう仕込まれる。

だから、ウソのエントロピーは止まない。

 

自分は学者ではなく、仏教徒でもなく単なる庶民だ

という君よ。庶民の定義とは、何ぞや?

思考をその基軸とする時間と空間に束縛されている人は、

いついつ生まれたといい、成長したとか老いたとか、

病気をしたなどと言うけれど、それらは妄想虚言では

ないか?あなたは生まれてはいないのだから。

人の本性たる非物質なる魂と呼ぶものは、性別がないので、

男でも女でもなく、中性でもなく、親も無ければ兄弟もいない。

死ぬことも生まれることさえも出来ないのだ。

それが事実だ。

この事実に基づくとき、自分の戸籍情報をああだ、

こうだと断定的に語るのは、科学者たちと似た

妄想虚言者なのだ。そのような妄想虚言者は、なにも

君だけではない。

人類のほぼ全員が、自分の戸籍や経歴を事実だと信じ

込んでいる。そしてまた、わたしは男だとか、僕は女だとか

言って、一喜一憂の人生を体験する。

だがしかし、身体があっても生まれていない者には、戸籍も

経歴もあるわけが無い。

このように、この世は、全人類のウソから成り立っている。

真実の相が押し隠されて、ウソと偽りが露わになっている

この世界を古代インドの哲学者は、マーヤ(幻)と呼んだ。

 

身体に生命があるから、私は生まれただろうと思う君よ。

生命という現象に生起する者は、人の生死であるけれど、

生命そのものに寿命はないのだ。けれど肉体の活動には

寿命という終わりがある。この区別が出来ない人間たち。

 

人の転生輪廻の起源は不明であってもいいのだ。

重要なことは、輪廻転生には終わりがやって来るという

ことだ。その時、個々の生命におけるアルファとオメガの

秘密が開示される。

 

人生は楽しくて面白くて、意義ある

ものだと言う君よ。

個々のウソから成り立つと言う人生に、

何の意義があるのだろうか?

 

ウソに生きるのが楽しいって・・・?(笑)

 

 

α・Ω

アルファ―とオメガ

 

「ラーラ新宿」&「ラーラ・ジャパン」のラー(Ra)は、

エジプト神話における太陽神であり、ハヤブサの頭を持つ

姿で描かれている。語源はエジプト語で「Ra・太陽」を

意味すると言われる。

 

そう言えば、幸福の科学でも、Rの文字を使ってはいるが

エジプト神話にも、ラーラ・ジャパンとも何の関係も無い。

 

最古の宗教と言われるゾロアスター教においても大翼を

持つ人の姿が信仰のシンボルになっていた。

 

またサンスクリッド語のサハスラーラは、頭頂の先弁の

ハスの花という意味だ。これを簡略化してラーラとして

みれば、イタリア語での猛禽類の翼を現している。

このように宗教に限らず、世界のいたるところでも翼の

シンボルが用いられてある。それには個々の理由がある

だろうが、共通する概念は「自由」を現している。

 

宗教史上に神話が生まれた背景には、色々あるけれど、

大きな要因は、地球人とは大きく異なるDNAの頭長人類の

存在が挙げられる。その彼らが存在した痕跡は、現代でも

摩訶不思議なスフインクスとピラミッド建設である。

彼らの科学技術は、巨石の切断を空気(五大元素の空気)を

用いていて、その切断面は、いきなり鏡面仕上げになった。

これは、現代の様な圧搾空気を作る機械、研磨する機械をも

不要としていたから、現代科学も彼らの足元に及ばない。

ピラミッドの形をなすとき、約2トンもの重量がある

数万個の巨石は、重力を消し去られて空中に浮いた。

その様相は圧巻だ。労働者たちは大地に頭を垂れた。

石積みの精度を出すには、人の指を使い、張られた

糸に合わせて巨石を微細に動かし、幾何学的な正確さを

作り上げた。完成時には、石と石の間には隙間が無く、

水も空気も通らなかった。

 

こうしたピラミッド建設の歴史の真実は、人が悟る

ことによって、当時の記録を直接知覚する。悟れば、

地球の歴史、人類の歴史そのものが明らかになる。

そして、人が残した歴史は、多くがウソに粉飾された

ものと知る。

 

ピラミッド建設に技術を地球人の労働者から見れば、

頭長人類は肉体を持った神々に思えた事だろう。

彼ら頭長人類は、ピラミッド建設に関わった地上の

人間に対し、黄金の鷲を化身とする至高の霊的存在を

語った。だが人類からすれば意味が分からないだけ

でなく、大鷲とハヤブサとが混同したのだ。

 

この時期とほぼ同じころ、インドの地にも頭長人類が

群居して人類を導いては居た。頭長人類から教えを

授かった人たちは偉大な知識に満たされ、バラモン教

やヒンズーなどの宗教哲学を作り上げた。そしてまた

ピラミッド建設に使われた高度な科学技術をも人間に

与えられた。それらの技術は、ヨーガの系統の中に織り

込まれて、空中浮上の術、透明になる術などなど限りが

無い。

 

また中国やアジアの国々には、龍と鳳凰とが神話の神獣と

して語られてきたが、彼らは霊的世界において実在する

神獣なのだ。意思を持つ強大なるエネルギーそのもの。 

鳳凰の姿は、現代の日本の一万円札裏面にあるけれど、

あれは、顔も良くないし、翼をもぎ取られたような、

きゃしゃな情けない姿になっている。しかし実在する

霊的な鳳凰は、大きな翼を持ち、息を飲むほどの崇高な

美しい姿をしている。

 

太古の時代から、宗教者たちに崇められ、語られて来た

黄金の鷲の伝説、そしてまた龍と鳳凰。その3体を自らの

守護神とする霊的存在がある。それの存在を知るのは、

紫蓮さんと日浦だけ。ラナマ・マハルシさんも知らない。

彼が地上に現れたのは、これが初めてであり、そして

また、これが最後なのだ。

諸君もどこかで聞いたことがあるだろう。「わたしは

アルファーであり、オメガである」との宣言があるのは、

実のところ彼(黄金の鷲の化身)の宣言なのだ。

とおい昔、小学一年の時「わたしは誰か」と問いかけた

それの答えが60代後半になって、明らかになったのだ。

 

彼は今現在、地上の肉体を持っていて、その大翼を広げる

その時を見計らっている。

 

 

 

元旦

謹賀新年

 

一年の計は、元旦に在り。

 

と言って、初詣に行く人達よ

 

そこへ行って、何を願掛けするのだろうか?

 

家内安全か、出会いか、健康祈願なのか、

 

それとも収益の増加だろうか。

 

何であれ、願掛けは、マーヤへの束縛を

 

強化するための無益な欲望なのだ。

 

何であれ、欲望のすべては、あなた自身の

 

ものではない、エゴ(非自己)が投影する

 

幻想だと知らなければならない。

 

しかしながら

 

人は誰もが唯一の存在であり

 

それを満たせば、すべての望みが成就する。

 

だから正しい願掛けは、

 

「今年こそ、エゴ(非自己)を破壊しよう」

 

そのように決心することこそ唯一の計なり。

 

何の努力も要らない幸福な境地(唯一)へ

 

到達するまでは、唯一(自己の本性)へ至る

 

ための努力がいる。

 

唯一に定住する自己の本性を知覚しようとする

 

明確な目標があり、それへの歩みがあれば、

 

誰もが唯一へ到達できる。

 

 

 

 

 

年越し

先生、こんばんは。大阪のTan末12です。

今日、この12月31日この時間にメールを出させて

頂けることを有り難く只々感謝の思いが溢れて参ります。

初めてのメール以来、慈愛に満ちたご指導により

格段の早さで変化出来たことは何よりも喜びです。

この約4ヶ月の短い時間はそれまでの長い迷妄の苦悩が

全部吹っ飛んでしまったと言える程驚くべき日々でした。

特に初受講、この前2回目の受講後、何れも大きな気付きが

訪れました。2回目受講の少し前から、「解脱」への強い

欲望が弱くなっていることに自分でも不思議に思っていました。

どっちでも良くなったというのか・・・というよりも、

後付けになるかもしれませんが・・・勿論、思考の観察

などは必須の修練なのですが、私の場合その前に何かが

あるような漠然として捉えきれないものを感じていました。

それが見事にラーラ蝦夷さんのブログ記事からでした。

先生の「もの凄さ」を改めて思い知りました。

「絶対の信頼」を寄せることの出来る人に出会えて

この頃は感極まることがあります。そんな人はいないと

思っていましから、正直言って、自身の深いところを

口外したことがありません。ここで初めて「恩寵」と

いう言葉を使わせて頂きたいと思います。

ありがとうございました!

2019年、ラーラジャパンが本格的に世に開示されるのですね。

先生に「羽根を抜いてやる」と言わせないようにしっかり

修練して行きたいと存じます。さらにご指導よろしく

お願い申し上げます。

 

【日浦】

>今日、この12月31日この時間にメールを出させて頂ける

ことを有り難く只々感謝の思いが溢れて参ります。

 

うんうん、君が勝手にメールして来ただけさ。

 

ところで、Youtubeでは、魚を鍋で焼くことが出来る

ことを知った。今まではベランダで魚を焼いていた(笑)

無水カレーの作り方も参考になった。それは、ロイヤル

クイーン?という鍋メーカーの宣伝だった。

クリスマスには、その調理なべを買ったので、若鳥の

毛羽先を焼いてみた。まあまあ旨かった。

君は、若鳥でもないから羽を抜いてやるなんてことは

僕は絶対に言わない。なぜなら僕は、翼とか羽を与える

存在なのだから。

さんまの焼き方

www.youtube.com/watch?v=b8fcwZdm7jU&t=7s

 

皆さん、善い年を

 

 

二元性

今年の終わりに紹介するのは、二つのサイトです。

  

ひとつは、

かつてキリスト者であったという佐倉哲さんのブログ。

佐倉哲さん曰く、「自らの救済とか生き方とかといった

地平では -- キリスト教には、もう全然興味がありません」

「キリスト教の本質は、結局のところ<根拠のない思い

込み>であり、キリスト教が生み出す輩は、その<ドグマの

奴隷>だからです。それは、本サイトにおける来訪者との

やり取りの中でも、意図せずして自然に明らかにされて

いった事柄の一つです。」

 

という書き込みを読み、それに共感を覚えたのは10年前の

ことだった。だからと言って、佐倉さんのすべてに共感した

訳ではないことも付け加えておきたい。

 

もうひとつは、

カルトの統一教会を脱会してから、ユダヤ系キリスト教義を

広めようとする中川健一牧師のサイト。沢山Youtubeにアップ

している人。

この中川さんは、佐倉哲さんの聖書批判サイトについて、

世界的に最も有名な聖書は正しいのだとモノ申しているが、

優しく、かつ激しく噛みついているのが面白いと思う。

 両者の論説は、共にマーヤの二元性を露わにしているから、

読者の認識知(真実を知覚する力)を試すための良い資料と

なり得るだろう。読み応えがあるよ。

 

 

佐倉哲さんのサイト

www.j-world.com

中川健一さんのサイト

ww4.et.tiki.ne.jp

 

 

熊本から

先生 こんにちは

熊本在住の 大熊五郎です。来年1月セミナー受講を

申し込ませてください。よろしくお願い致します。

直ぐに申し込みたかったのですが録音を確認してから

と 思い 今日になりました。

ハッキリとは聞き取れなかった箇所もだいたい聞き

取れて、あまりの内容の濃さに驚きと感動が凄すぎて、

軽くは聞けず、まだ 3回しか聴けておりません。

ずっと受講させて頂けたことを「感謝」という言葉

だけでは全く足りないことを痛感しております。

お茶会の時、先生がビッグバンの説明をされている時に

大阪から来た女性が、先生に対してメールの返信を

強要してるように聞こえたので、つい色々言ってしまい、

先生から「わかったような解説をしないように」という

言葉があり、その部分だけは物凄く記憶に残りました。

これからは「わかったような解説」はしない‼️と肝に

命じております。少しでもわかったつもりでいる事は

「要注意」であること。今はそう受け止めております。

北海道の方からもらった先生の融雪に関する広報誌の

コピーを読ませていただき「柳式融雪屋根住宅」の

普及で、大変な苦労があった事を初めて知りました。

お茶会での奥さん(エゾさん?)の涙は先生の記事を

読んで知っていたからかな?と思いました。

自分もあの記事を読ませていただいてからは住宅を

壊した相手に対して以前よりも「ムカッ」としました。

先生が「無数ともいう嫉妬や恨み、また呪いを掛けられた

ことに対し、呪い返しをしないことを説かれ、自分は

一度たりとも呪い返しをしてこなかった。」と言って

おられる言葉の凄さを以前よりも更に重く受け止めさせて

いただきました。

自分はこれまでよそ様の夫婦を見て良い夫婦だと思った

ことはあまり?なかったですが、北海道の御夫妻は良い

夫婦だなと今回初めて思いました。奥さんの涙も良い

涙の様に思いました。繰り返しになりますが、今年受講

させて頂けたこと有難う御座いました。2019年もよろしく

お願い致します。

 

【日浦から】

1月のセミナー参加、OKですよ。

>これからは「わかったような解説」はしない‼️と肝に

>命じております。

>少しでもわかったつもりでいる事は「要注意」であること。

>今はそう受け止めております。

良い気づきですね。他人の会話に割り込んでくるのは、

熊五郎さんであったけれど、それは、熊ちゃんエゴだ(笑)

また分かったような解説を代行するのは、解説者に失礼な

エゴの発言です。

これが分かれば、想念は静かになり、想念のの消滅へ

導かれるでしょう。ぺちゃくちゃとお喋りする人は、

想念消滅の意味を受け入れないエゴそのものなのです。

皆さんが、そのことに気づかなければならないでしょう。

セミナーのお茶会に限らず、日常生活においても想念

消滅を念頭に置かなければ、どうして無想の自己に

到達すると言うのですか?それをやらない限り、

苦の輪廻はエンドレスになりますよ。

これは、受講生の皆さんに限らず、読者もやらなければ

いけないのです。

セミナーに参加していない読者が、何故やらなければ

いけないのか?このラーラジャパンのブログを読んで

いるから、その責務が生じているのです。

人はみな「唯一」に帰らなければならない使命が誰にも

あるのです。

 

>お茶会での奥さん(エゾさん?)の涙は、先生の

>記事を読んで知っていたからかな?

 

熊ちゃん、勘違いだよ(笑)

 

呪い返しをしないという意味は、

例え他者に非があっても、また攻撃されたとしても、

或いは、呪いを掛けられたとしても、それへの恨みや

呪いの想念は、自分をも傷つけるものと知って、

制御すべきなのです。人を恨むこと、心の中で攻撃する

こと、これ想念なりと観ぜよ。

人は目覚めてから眠るまで、眠ってなおも夢をみる。

目覚めた時も、眠ったときも夢をみて、雑多な想念は

絶えることがない。

これ自己を殺す想念なりと観ぜよ。

除夜の鐘の音と共に、あんな鐘などきかなくていい

けれど、年越しそばは食べていいけれど、今年のことを

忘れ去ることが出来るなら、それが本当の新しい年。