お知らせ

6月、出店禁止に

6月の展示即売会、予約申し込みをして

いたけれど、先ほど、主催者さんから、

「申込者が多いので締め切りました。

現時点の空き待ち受付は出来ません」と

いう不可解なメール連絡があったとか。

不可解とは6月の出店も主催者は既に

内諾していた事実があります。一個の

机を、二個にすることも了解済み。

おそらくは、主催者から断られたのでは

ないかと。

誰とは言わないけれど、持ち場のブースの

前で常時はしゃいでいるので、見学者等が

ブースを覗けない状況を作っていたこと。

それを僕からたびたび注意されていた人。

ブースの広さは、机ひとつです。

しかも、はしゃいでいる人は、隣のブースの

前にさえも、しばしば領域侵入していたので、

隣人からは、「ルールを守ってください」と

注意を受けたこと。その注意を受けた後にも、

何度か領域侵入がありました。

それゆえに隣人は、主催者に苦言を呈しても

不思議はないですね。

という事情から、6月の即売会に、売り子と

して参加するよと言われた受講生さん達、

沖縄、九州からも参加しようと言う人たち。

即売会が出店禁止になったこと、たいへん

申し訳ありません。

事態が改善されるかどうか、分からない

けれど、主催者に詫びを入れて見ます。

 

後日削除

二人の映画

最近ではパソコン、スマホを使って動画の

映像を見ることが多い。けれども映画館へ

行ったことが無い人は、いるだろうか?

カップルが映画を見る場面は映画館の中では、

当たり前の光景として見受けられる。

今日は、「二人の映画」鑑賞を例えて話しを

しよう。

仲のいいカップルは、映画の主役を勤めて、

その映画に出演した。それを自分たちが

映画館で見ると言う設定。

そのストーリーは、二人の出会いがあり、

交際が始まり、やがて結婚して、子供が

生まれたりするのは、どこにもある普通の

ストーリーと言える。ところが、ある日、

片方が死んだとする。すると残された方は、

嘆き悲しむのではないか?

中には、死んでくれて良かったなーという

人もいるかも知れないが。

映画を見る人、つまり映画館の客席にいる

二人は、それが映画だと知りつつも悲しむ

だろう。『映画だけれど切ない設定だね』

とか語り合うふたり。

映画と言えど感情的になるのは、画像に

感情移入するからだ。皆さんも上映中、

笑い、泣き、悲しむことがあることを

知っている。それが感情移入だと知り

つつも。

 

再び映画に意識を戻すとき、スクリー

ンに投影される画像は、ホログラムと

いう投影された虚像であり、観客席に

いる自分たちが実像だと知っている。

だが人に生まれたという観念に縛られた

人達は、実像の自己を知らないので、

画像の自分に捕らわれている。画像が

自分だと確信していることによる。

この勘違いによる確信は、観客席にいる

実在の自己を知ることがない。しかし

現実的には、観客席にいる二人もホロ

グラムであることを知らない。

この喩えは、映画のマトリックスに似て

いると思う人もいるかも知れないが、

マトリックスの喩えを重ねてはいけない。

なぜなら実在の自己と、虚像の自分が

いると言う考え方は、二元性から生まれる

虚であるから。

一元論に戻して、虚としての自分を否定

しなければ、実在の自己を知ることがない。

絶対に。

もう一つの視点は、ホログラムの映画を見る

のは、いったい誰なのか?という根源的な問い

である。

仮想の読者『日浦さん、映画を見るのは我々

二人だよ?あなた頭大丈夫か?』と。

日浦『では聞くけれど我々二人とは誰ですか?』

 

ここから展開される話は、ぶっ飛んでいるよ。

あなたは、生まれてはいない。だから身体は、

あなたではない、と言う、一種のテーゼから

すれば、肉体さえもホログラムの範疇にあると

考えなければならない。すると、魂と言うのは

真の自己のことであり、あなたは、身体と心の

背後にある不可知なるエネルギーだということ。

しかしながら、後を振り向いても、真の自己は

見えないよ。後ろの百太郎じゃああるまいし。

なぜ、真の自己が見えないのか?

物質から成る虚像であるホログラムが、実在の

非物質なる真の自己を見るわけがない。

人が言う現実とは、ホログラムから成る自分が、

ホログラムから成るこの世界を見て、この世は

本当だ!と勘違いしているだけのこと。だから

身体と心は自分だ!などと人はいう。

ではなぜホログラムは、他の物質を見るのか?

その答えは、人体と言うホログラムには感覚が

備わり、思考器官の脳もあり、それらの記憶も

内在していることを認めよう。これをハッキリ

言えば、脳と感覚がホログラムという物質の

仮想的な存在性を認めてしまうということに

外ならない。

しかしながら、この認識がまぼろし性なのだ。

なぜなら魂には備わっていない感覚が世界を

作り出しているからだ。人に感覚が無ければ、

物質世界を見ないだろう。目も感覚のひとつ。

この理論的な根拠は、物質世界は、心に属する

感覚が生み出しているということ。

だから宇宙はまぼろしであると言うゆえん。

感覚を通さずに宇宙を見るならば、肉眼が

見る世界と大きく異なる。

そうであるから自己の魂を悟った時、物質の

宇宙はかき消える。なぜなら、感覚なき魂の

視座から見れば、感覚が生み出したものは、

宇宙、地球、人、動物など、まぼろしとして

認識されて消え去るからだ。

感覚が生み出したまぼろしを見切った時、

そこに残る実在が顕になる。それを知るのは

思考ではなく、感覚でも無く、魂それ自体だ

ということ。

全宇宙の消滅
物理学者の多くは、宇宙は永遠だなどと言う。

その論説は本当か?仮説か空想ではないか?

しかしながら、かなりぶっ飛んだ誰かさんが

最終解脱する時、全宇宙は粉々になるのだと

かの先生は言っていた。このことを僕は詳しく

聞いている。

しかしながら宇宙崩壊は、物理学者の説明に

反して、本当に可能なのか?

その答えは、もし物質宇宙が実在であれば、

どんな力によっても破壊されることは無いが、

ホログラムだからこそ全宇宙は破壊され得る

ということ。

もし、物質宇宙が実在であれば、ぶっ飛んだ

彼でさえも実在を破壊することはできない。

つまり物質宇宙がホログラムであれば太陽も

地球も人間も動物もホログラムだと思えない

だろうか?

このように、宇宙そのものがホログラムだから

全宇宙は崩壊すると聞いた宇宙科学信奉者等は、

どう思うのか?これを信じるとき現代物理学は

否定されるから受け入れないのでは?

上記の説明から、宇宙物理学を考える学者も

ホログラムだと言えば、彼らは怒り心頭になる

かも知れない。

ここで記事を終えると、尻切れトンボになる

から記事を変えて説明しよう。

感想文

日浦先生、初めての売り子体験では、今まで

見た事もない護符ジュエリー、その多さに

圧倒されました。ブースの机がいっぱいに!

しかも手上げ袋の中には、もっと多くの

ジュエリーが。。。

 

即売会には、過去の先輩受講生さんたちが

来てくれました。先生を呼びましょうかと

聞くと、「恐れ多くて、先生に合わずに帰る」

と言いながら、ジュエリーを選んでいると、

そこへ先生が来られて、久しぶりの再会は

見ていて嬉しかったです。更に、その方は

そのまま売り子を手伝ってくれて、来月は、

売り子をしてくれると!嬉しかったです。

 

私は以前「ブログを書いたらどうか?」と

言って頂いたのに、色々な事を考えて踏み

出すことができませんでした。

そして、決心がついてから.気持ちが固まって

からにしようと思ったまま足踏み状態でした。

今も同じような考えが浮かんできますが、

いい加減、それを蹴飛ばしてやろうと思い、

昨日、ラーラ への志願の意思を伝えることが

できて、とてもスッキリしています。

 

夕食会、お茶会では、セミナーのようなお話を

聞くことができたり、ラーラ府中さんからは

完成品に近い治癒の神器を見せて頂いて驚きました。

この日は、最高の一日でした。

先生は準備のため、徹夜されたのに、夜の11時

過ぎまでセミナーをしてくださいました。。。

日々、知識を深めて実践していきます。本当に

ありがとうございました。

 

次回は、6月29日土曜日。ブースを2個予定。

出店が決まり次第告知します。

即売会

昨日の即売会は、朝から真夏日のように

暑かった。半袖シャツのまま出かけて、

夕方から肌寒い風が吹いたので「上着を

着てくればよかったな」と。

他のブースでは、展示したアクセサリーを

強風が吹き飛ばすシーンもあった。

会場には、過去の受講生さん達が何名か

きて、売り子を手伝ってくれたりした。

そして、来月もまた売り子をしに来ると

言っていた。

展示会後、11名参加の食事会場を探すのは、

いつもながら容易でないけれど、運よく席を

確保できた。昼も夜も和食でした。

治癒の神器実演

食事会で、ラーラ府中さんは、神器のデモ機を

持ってきて、実演してくれた。食事会に参加した

人の中には、治療師さんも居合わせたりして、

皆が概略を理解した様子。

素晴らしいものが生まれつつあると知り、

嬉しかった。良いものを見せてくれたラーラ

府中さん、ありがとう。デモ機の実演シーン、

公開できないのが残念。

食後のセミナー

カフェも11名の席を取るのは、難しいもの。

運よく席があったけれど、30分しかない。

他の店を探そうかと言う声もあったけれど、

そこが空いている保証はないので、30分の

お茶会。蛍の光が流れている中で、「先生、

まだ逃がしませんよ。」などと言わないが、

朝の5時まで営業するファンミレスへ。

コーヒーだけでは、寂しいねと言いながら、

唐揚げを注文したらロボットが運んでくる。

 

唐揚げセミナー

先程は食事会をありがとうございました。

先生のブログを繰り返し読み返しており

ましたが、本日は日頃わからない、また

理解に至らないことを確認させて頂きたく、

販売会場に出向かせていただきました。

鳳凰と龍のペンダントですが、一目みて

購入させていただきました。

購入後先生から説明をいただき、この

ペンダントがあの神器の開発と関係ある

のだと伺い、良い買い物をさせていただき

ました。ありがとうございます。

本日は食事会に参加させて頂きましたが、

食事会後のコーヒー屋さんで、蛍の光が

流れる中、先生の衝撃的内容にそのまま

終わるのが惜しまれる中、さらに会場を

変えてお話しを聞かせていただきました。

結論としては、この衝撃的な話を凌駕する

最終結論に至る話をして頂くことになり

ました。普段の話と異なり、小セミナーと

なり、みなさんの集中力とともに先生の

話が最終結論に至るまで、プロセスが明快で、

ブログに対する理解が深まるものとなりました。

お話のあと、内容はすっかり忘れていました。

それくらい思考なく、魂の欲するまま聞かせて

頂いたという貴重な経験をさせて頂きました。

思考が生み出した想定をはるかに超えた貴重な

話を同じく魂レベルで求めていた仲間と聞けた

ことは喜び以上でした。

まさに、日浦先生の教えを実践しながら、先生の

お話を聞けたという、振り返ってみたらそうだった

ということになりますが、この臨場感を体験できた

ことは貴重な経験となりました。この感覚を思い

返し、日頃に活かしたいと思います。

本日はありがとうございました。

 

話を録音したので、それを文字化するとか。

会話を文字化するのは、面倒なもの。ワードで

送ってくれれば、訂正や加筆して送ります。

書籍を書くネタにも使えるから。

 

飛び入り

暑い中、日陰にいたら売り子さんがきて、「あの男性、

アクセサリー買わないけど、先生に会いたいそうです。

どうされますか?」と。会場を見れば、カバンを持った

男性がブースの前にいた。あれじゃあ営業妨害だねと

言わないが、男性に近づいて、「アクセサリーを買わ

ないのに、僕に会いたいだって?」というと、

「え!?あなたが日浦先生ですか!XYZ・」とは

言わなかったが、会場から離れて話をした。

お父さんも彼も高橋信次の信奉者であったと言う。

日浦のYouTubeを見て、二人とも日浦ブログの読者に

なったと言うではないか。偽りから離れ去ること、

めでたしめでたし。

 

来月もまた即売会に参加するので、古い受講生

さんも唐揚げセミナーに参加したらどうですか?

売り子をした受講生さん、お疲れさまでした。

 

エネルギーを可視化する

下記の画像は、感想文をくれた受講生さんが

先ほど送ってくれたものです。「昨日、購入

しました鳳凰のペンダントは、使わないとき、

ペンダントのエネルギーが光りを通して感じる

ことができます。」と意味深なことが書いて

あります。

大いに参考になりました。ありがとう。  

様々な色合いの光りを通して、鳳凰ペンダントの

放つエネルギーが可視化されるもの。それはまた、

設置する室内へ大きなエネルギーを放射するので、

これにより、新しいスタイルの鳳凰ペンダントが

誕生するかも知れない。

 

 

あした

明日の出店は、1点物が幾つかあります。

遅く来た人は、売れてしまっているから、

何が1点ものか分からない。だから何も

問題ないね。

ど忘れ?
製品をビニールのケースに入れて、値段を

入れないといけない。イーグルの指輪にも

天然石を接着しないといけない。ペンダント

イーグルにも。

可愛いと思う那覇産のシェルには、天然

パールを接着しないといけない。今夜は

徹夜になるかも。あした時間になっても

行かない場合、まだ寝ているので「早く

来い!」と電話してくれないか?

とはいえ、加工所の社長さん、石留めの

職人さんが応援に来るそうなので、朝寝は

出来ないだろうねー

 

目のほかに、52個の天然石が入る顔イーグル。

ロジウムメッキとピンクゴールド

カフェのマスターから頂いたケーキ

 

人生考論

皆さんの人生観は、如何なるものか?

ここに、故人の人生観を紹介しよう。

 

心理学者フロイトは
「これまでに何度となく、人生の目的は何かという
問いが問われてきたが、まだ満足できる回答を示した
人はいない」
また、ユングとの対話において、心理学で人を治せる
訳が無いと言っていた。だが、飯の種として心理学を
捨てることはしなかった。

太宰治はこう言い残している。
「生まれて来てよかったと、ああ、命を、人間を、
世の中を、よろこんでみとうございます。(中略)
僕は自分がなぜ生きていなければならないのか、
それが全然分からないのです」

ロシアの作家チェーホフは
「自分の生存の意義や目的を知ろうとしたって、
なにも教えられはしません」

夏目漱石は「私の個人主義」のなかで、
「私はこの世に生れた以上、何かしなければならん、
といって何をして好いか少しも見当が付かない。
私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独な人間の
ように立ちすくんでしまったのです」

天才的作家、芥川龍之介は、自殺直前の自伝小説で
長男の誕生について、「何のためにこいつも生まれて
来たのか?この娑婆苦の充ち満ちた世界へ」

人生論の著者、武者小路実篤は
「人間は何の目的で生まれたのか。また何か目的が
あって自然は人間を生まれるようにしたのか。
僕には分からない」

人気作家の五木寛之は
「人生に目的はあるのか。私は無いと思う。
何十年も考えつづけてきた末にそう思う
ようになった」

何かに熱中する幸せの状態である「フロー」を
提唱した心理学者のチクセントミハイは「我々に
「ここに君が人生を捧げるに値する目標がある」
などと教える者はどこかにいるというわけではない」

倫理哲学者のフィリッパ・フットは
『道徳的相対主義』)の中で「現存の哲学者であれ、
過去の哲学者であれ、命に価値があるというこの
観念を説明できた人を私は知らない」

20世紀最大の哲学者ウィトゲンシュタインも、
有名な『論理哲学論考』の最後に「たとえ可能な
科学の問いがすべて答えられたとしても生の問題は
依然としてまったく手つかずのまま残されるだろう」

天才科学者のアインシュタインは、
「手段は完全になったというのに、肝心の目的が
よく分からなくなったというのが、この時代の
特徴と言えるでしょう」

稀代の天才科学者と言われたニコラ・テスラは
「いままでに、生まれた人は誰もいないのです」

現代の哲学者・トマス・ネーゲルは
「人生は単に無意味であるだけではなく、不条理で
あるかも知れないのです」

日浦の言い分
事実は、誰も生まれてはいない。
だから人生と言う夢から目覚めたら、質(たち)の
悪い夢だったと知る。深い眠りに落ちた者たちは、
人生に意義があるなどと言いながら、苦しみ嘆き
悲しむ。

 

即売会近し

11日の即売会に向けて、沢山のアクセ

サリーを制作中。総額の予想売上額が

いくらになるか、まだ計算していない。

それらの物量を見て、『売れ残ったら

どうする?』という想念は、すぐさま

やってきて、さーっと通り過ぎていき

ました。

売れ残ったら、来月に回せばいい。

 

交渉術の応用
過日は、某読者さんから、「わたしにも

ブルトパのペンダントを作ってください」と

メールがきたので、天然石の問屋さんへ

行くと、なんと社長の方からブルトパの

押し売りを仕掛けてきた。これ☟

値切るのは、ある意味で失礼にもなるから、

先ずは「高いねー!」と大きな声を

出して、それを客に聞かれたら困る立場の

社長の顔を伺いながら、値切りではなくて、

交渉することにした。四角形の石でなく、

ダイヤ形状がいいとか言いながら。

交渉の結果、上記26万円は8万円で買えた。

価格設定とは、いい加減なものだと思う。

 

テレビ取材
数ヵ月前、某テレビ局のディレクターと知り

合いになった。名刺をもらっていたので、

即売会を取材してもらおうかという想念が

やって来た。もしに取材に来て、放映した

ならば、、、、

それによって、忙しくなるのは、誰か?と

いうことから、電話しなかったのは正解だ

と思う。

委託販売
業者さんのホームページを増やしてもらい、

そのページを広告する。業者さんに注文が

来たら、キャスト工程から、ロウ付け、石留、

磨き、メッキ等の全工程を任せて、お客への

発送も引き受けてもらう。そんな信頼できる

業者さんを見つけるのは、時間がかかるけど、

僕は楽になれる。

もっと早くに気づけばなあと、、、、

カルマかいな?
すべての物事から自由になっても年に

数個のアートなアクセサリー作りは、

止めないだろう。なぜなら、趣味の

モノづくり、面白いから。

義務的な仕事にすると、創作意欲と

自由な楽しさは消えるもの。