人生考論

皆さんの人生観は、如何なるものか?

ここに、故人の人生観を紹介しよう。

 

心理学者フロイトは
「これまでに何度となく、人生の目的は何かという
問いが問われてきたが、まだ満足できる回答を示した
人はいない」
また、ユングとの対話において、心理学で人を治せる
訳が無いと言っていた。だが、飯の種として心理学を
捨てることはしなかった。

太宰治はこう言い残している。
「生まれて来てよかったと、ああ、命を、人間を、
世の中を、よろこんでみとうございます。(中略)
僕は自分がなぜ生きていなければならないのか、
それが全然分からないのです」

ロシアの作家チェーホフは
「自分の生存の意義や目的を知ろうとしたって、
なにも教えられはしません」

夏目漱石は「私の個人主義」のなかで、
「私はこの世に生れた以上、何かしなければならん、
といって何をして好いか少しも見当が付かない。
私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独な人間の
ように立ちすくんでしまったのです」

天才的作家、芥川龍之介は、自殺直前の自伝小説で
長男の誕生について、「何のためにこいつも生まれて
来たのか?この娑婆苦の充ち満ちた世界へ」

人生論の著者、武者小路実篤は
「人間は何の目的で生まれたのか。また何か目的が
あって自然は人間を生まれるようにしたのか。
僕には分からない」

人気作家の五木寛之は
「人生に目的はあるのか。私は無いと思う。
何十年も考えつづけてきた末にそう思う
ようになった」

何かに熱中する幸せの状態である「フロー」を
提唱した心理学者のチクセントミハイは「我々に
「ここに君が人生を捧げるに値する目標がある」
などと教える者はどこかにいるというわけではない」

倫理哲学者のフィリッパ・フットは
『道徳的相対主義』)の中で「現存の哲学者であれ、
過去の哲学者であれ、命に価値があるというこの
観念を説明できた人を私は知らない」

20世紀最大の哲学者ウィトゲンシュタインも、
有名な『論理哲学論考』の最後に「たとえ可能な
科学の問いがすべて答えられたとしても生の問題は
依然としてまったく手つかずのまま残されるだろう」

天才科学者のアインシュタインは、
「手段は完全になったというのに、肝心の目的が
よく分からなくなったというのが、この時代の
特徴と言えるでしょう」

稀代の天才科学者と言われたニコラ・テスラは
「いままでに、生まれた人は誰もいないのです」

現代の哲学者・トマス・ネーゲルは
「人生は単に無意味であるだけではなく、不条理で
あるかも知れないのです」

日浦の言い分
事実は、誰も生まれてはいない。
だから人生と言う夢から目覚めたら、質(たち)の
悪い夢だったと知る。深い眠りに落ちた者たちは、
人生に意義があるなどと言いながら、苦しみ嘆き
悲しむ。