食は エゴ

「食は命」という言葉があるけれど、

その文言は、この世の誰もが容易に

受け入れる生存欲求という欲望の一つ。

食欲は、生まれながら人に備わる本能的

なものとして、動物や人の生存に欠かせ

ないと誰もが思う。それを信じて疑わない。

だから日本の食文化に馴染んだ多くは、

基本的に三度の食事をする。さらには、

間食する人、夜食する人、酒を飲む人が

溢れる現代社会。それらを達観するとき、

喰うためにだけ、人は生きているかの

ような印象が無くもない。

なぜ、そういう印象を持ったのか?

その理由がある。

第一、人は生きる意味を知らない。人生が

何であるか人は知らない。誰も人生を深掘り

しないから。だから、喰うために働いていて、

喰うためにのみ生きているのかと思わざるを

得ない。その延長線上には、肉体死がある。

現実は、そうなのだ。これが25歳の僕だった。

そういえば、毎晩のように、飲み屋街へ行き、

ウイスキーを1本飲んで空瓶にしていた僕は、

ビールが水代わりだった。

ブランディ―やウイスキーは、ストレートで

飲むから旨い。水割り、オンザロックは味が

薄くて美味しくない。しかし直ぐにボトルが

空になるのは不思議ではないが、毎晩、豪遊

するお金があったのは不思議。?

ある夜、飲み屋にいて、酒を飲むことが

空しいことだと言う悟りを得た。大雑把な

観念は、多大な時間、家が建つ程のお金、

健康を害してゆくという意味のない行為だと

知った。更には、仕事や自分へ愚痴が出る、

時に他人の見下しがあり、他者や自分批判、

ゲスな自惚れ、異性の話しなどなど酔いが

それらエゴを増大する。その雰囲気に同調

する自分が馬鹿になるだけのことと知った。

だから、即刻、酒をやめた。キッパリと。

断酒は自分の意志だから、いわゆる禁断

症状は、まったく無かった。

そして、飲み友達がいなくなったら平和が

やって来た。飲み友達とは、エゴの友達だ。

酒の話しは終えて、食の話しに戻ろう。

そして食は、実のところ消滅すべきエゴ

だという怖い話をしよう。食がエゴだと

言う人は、世間にいないのではないか?

だから食する習慣を持つ人たちに対して、

誰かが教えなければならないと思う。

対話集の中で、先生いわく、「食べたら

たいへんな事になる」と呟いていたこと。

この度の記事は、その説明となります。

 

続く