心は 大切か?

先に述べた記事「日経新聞」を読者は

どのように受け止めたのだろうか?

もし、ただ読み過ぎただけであるなら、

それは、目が活字を追ったというだけで、

本当に読んだことにはならないんだよ。

 

説教じみたことはさておいて、記事の

「日経新聞」のなかで、重要な教えは

下記のこと。

ただ喜ばなかったのは日浦さんだけ。
受講生は、どうして喜ばないのか?と
聞くので、
『理由は、まだ記事になっていない。
今の話しは、その可能性であるだけ。
もし記事なったら、その時、喜ぶか
喜ばないか、その時の判断。
にもかかわらず、電話の話しを聞いて、
喜ぶのは妄想に等しい。』

 

上記は、人の言葉、可能性としての

情報に反応する人の心の性質について

説明しています。

日浦さんは、日経新聞が記事にするという

未知な情報に反応しなかったということ。

一方の出版社は、心が舞い上がり、事業が

成長拡大するという妄想が生まれ、多大な

借り入れをしたと言う。

しかし、たかが製本技術の特許を取った事を

日経が記事化したことが、どうして事業成長に

役立つと言うのだろうか?なる訳もない。

そうなるという期待、思い込みは、出版社の

単なる妄想に過ぎないということ。なぜなら

製本の特許技術などは無くても、無数の本は

世界中で製本化されているのだから。

事実は、製本の特許技術が記事化されて、

売り上げが少しも伸びた訳でもなく、借り

入れを返済できず、倒産したと聞く。だから

覚醒の道標は、その原稿が消失したのです。

もし、出版社が、日浦さんと同じく、なんら

日経の言葉に反応しなければ、設備投資の

多大な借り入れなどしない。

 

事業であれ、ビジネスマンであれ、多くは

見る、聞く、知ることにより、心の反応が

生まれ、そこから妄想的な思考が生まれる。

という現実をハッキリと認めないと。。。

 

学生のたとえ話し

先生が示したテキストがあり、その中から

試験の問題を出すと言う場合、テキストを

より多く記憶した者は、よい成績を示す

傾向がある。

彼は、100点をとったとする。

彼は、頭がいいから100点をとったのか。

彼は、記憶力が優れているから100点を

取ったのか。

更なる問いは、記憶のよさと、頭のよさは

同じだろうか?

さらには、学んだ事のない情報とか問題が

生じた時、100点をとった学生は、どんな

反応を示すのだろうか?或いは反応しない

のだろうか?

☝これを自分の頭で考えてみよう。

但し、思考、記憶を使わずに。

 

人は、思考を消し去れば、それは記憶を

使わないと言う意味であり、それゆえに

全知全能になると言う素晴らしい教え。

この要諦は、下記のこと。

『理由は、まだ記事になっていない。
今の話しは、その可能性であるだけ。
もし記事なったら、その時、喜ぶか
喜ばないか、その時の判断だと教えた。
にもかかわらず、電話の話しを聞いて、
喜ぶのは妄想に等しいのだと教えた。』

 

思考の彼方には、思考も記憶も無く、

知覚と言う英知がある。知覚の性質は、

記憶に基づかず、すべてを知覚する。

これ即ち人の言葉で、全知全能と言う。

心とは、知覚を得るために排除すべき

思考、想い、想念の集積空間のこと。

だから心それ自体は、存在性が無いと

いうこと。

知識、記憶の空間である心が空っぽに

なるとき、それは障害物が取り除かれた

ということから、全知全能という知覚が

流れ込んでくる。