外部脳2

この「外部脳2」が意味することは、

あなたの外部にある脳というのでなく、

それはまた他人の脳を言うのではなく、

身体感覚のあなたの頭の中に鎮座する

脳をいうのです。

その意味は、あなたの肉体は、心は、

魂の外側にあるので、あなたの脳、

心、或いは、エゴは、魂にとっての

外部脳に該当するということ。

そういう意味。

この事実を誰も気づかない。というか

気づけないシステムがあるから。

なぜなら肉体が自分だと勘違いして

いるので、心も脳も自分のものだと

勘違いし、当然ながら、思い、感情、

思考が自分のものだと勘違いします。

このような根本的な勘違いにより、

人は知識と体験の習得に余念がなく、

学歴や学問が大事だと勘違いもする。

お金を稼ぐことが人生の勝利者だとか

名声や権力が支配者の象徴だとか、

家柄、学歴が大事だと勘違いもする。

しかしながら、これらの知識の習得と

いう勘違いは、大きな弊害があります。

というのも思考なく無想であり、思考

なく全能の魂を覆い隠す大きな障害は

欲望であり、思考であることを人は理解

できないのです。

と言うより、思考は理解したがらない

のです。

なぜ、学問が障害なのか?

魂は原初から完成された知識体であり、

親から生まれて育つという誕生と成長の

過程が無く、従って、幼稚園、小、中、高、

大学、大学院などの学問をする必要のない

知性体なのです。これを全知全能と呼んで

います。このことを真の知識として持って

いれば、思考の消滅の意味を理解するに

至ると思います。

 

つまり、身体でも思考でもない魂が自己を

悟る時、意識と言うか脳というか知性が

蓄積した経験のすべての記憶を放棄する

ことによってのみ、無想なる自己の魂を

魂が知ることが出来るということ。

この理解は、知識や体験、思考ではなく、

魂が身体感覚から分離すること、即ち

没入によってのみ、自己と肉体の違いを

ハッキリ知ることが出来るのです。

なんとなれば、魂と肉体は、二人三脚の

ような関係にありながら、魂は、肉体、

心と同一化という大きな勘違いをして

いるのであって、片方が離れない限り、

魂の心身との同一化は終わらない。

これらの関係性を体験的に知る時、

肉体は自分では無いと知り、肉体内に

ある脳も自分のものではないと知る

のです。

この真実の知識によってのみ、脳を

主座とする心とか、思考は、体験や

学問的知識を含めて、自分のものでは

ないので必要がないと明晰に理解する

のです。すると、自分ではないものと

しての脳の働き、感情、思考などは、

使わない、或いは思考に同調しては

いけないという正しい注意喚起が生ま

れるのです。

この注意喚起は、魂の持つ性質であり、

学歴や学問では起こりえない超感覚です。

この関係性を知ることは、学歴への

劣等感を持つ人達の慰めになるかも

知れない。また学問をした人が愚かだと

いうことでもなく、学門は全能の知覚を

破壊するものと理解すればいいのです。

そして、思考を超えた魂の超感覚は、

思考ではとらえることが出来ないと

ハッキリ知ることです。

 

思考を吹き消し去った者、彼こそ

一人前なのです。しかしながら、

頭のいい人が入ってくることを

否定しません。

意味深な先生のお言葉。。。

この意味は、学歴や学問を得たと

して、それらを信じなければ、

或いは使わなければ、学問等に

よる弊害は生まれないと言うこと。

 

では、どうしたらいいのですか?

あなたはすでに、この記事を読み

ました。だから答えは既に述べて

ありますが。。。