信仰の歴史

太陽信仰

太陽信仰を持つエジプトのピラミッドは、

数学的な精密さを持って建造されており、

巨石の組積方法など、科学者たちのロマンを

搔き立てる。

ピラミッド建設は、天体の星々を知って

いたと言われ、その建設は、エジプト人の

奴隷ではなく、宇宙人だという説もあり、

惑星二ビルから来たというアヌンナキが

ピラミッドを建設し、人間を作ったという

説もある。

しかしである。

現代の天文学は、太陽よりも数千倍も大きな

恒星が存在することを発見した。

もし太古の人類が、このような巨大な恒星の

存在を知っていたとするならば、それが信仰

の対象となり得るのではないか?

すると、太陽系にある小さな太陽は、果たして

信仰の対象になっただろうか?

対象の大きさを比較することができれば、

やく数千分の一と言う小さな個体(太陽)を

崇拝していないのではないか?

ピラミッド建設の時代は、天体望遠鏡が無い

ため、それを知ることが無かったと言うなら、

観測は単に観測であり、宗教と異なるもの。

真の宗教は、意識の境界を越えて、全宇宙の

広がりを知り、宇宙の実相を知る。それは

天体望遠鏡を必要としない知覚の問題。

 

ツタンカーメンの父親であるアクエンアテンは、

頭長の頭蓋骨(パラカス・スカル?)を持って

いた種族であり、エジプトの王家になり、太陽神

アテンを唯一神として信仰したと言う。

その知性は、人間よりも高いけれど、所詮は、

太陽を偶像崇拝していたから、唯一の知識、

真我の知識は無かっただろう。

太古の日本も太陽崇拝があり、これも自然崇拝と

言えど、所詮は偶像崇拝の範疇に留まる。

世界の歴史を概括するならば、やはり太陽崇拝が

多くあり、エジプトのアクエンアテンの信仰も

「唯一」を説いてはいないから偶像崇拝だったと

言えるのではないか。それゆえ、地上における

過去の宗教は、すべてが思考の産物だと言える

のではないか?人の思考は、惑わし。

 

パラカス・スカル

1928年、ペルー南部パラカス半島の砂漠で、

およそ3,000年前のものと思われるパラカス・

スカルが発見された様子。このスカルは、

通常人類の頭蓋骨と比較して、頭蓋面積は

25%も大きく、重量は60%も重いと言う。

これに脳みそが加わると、随分と重たい

頭ではなかったのか。

頭蓋骨は通常、前後と左右一対の合計4つ

のパーツから構成されるところ、パラカス・

スカルには、その構造が無く、すべてが一体

になっており、通常の頭蓋骨とは構造的に

相違があると言う。

2017年、最新のDNA解析結果95%は霊長類と

一致し、5%は未知の遺伝子が含まれると

判明したらしい。

らしいとは、情報がすべて明らかにされない

ことを見れば、らしい、となるだろう。

DNAは今日では、意識によって書き換えられる

ことが知られつつあるから、なにも宇宙人説を

持ちこななくても、オーケー牧場ではないか?

それはまた宇宙人が存在しないということでは

ないが。パラカス・スカルがみな優秀だった

訳ではない。

 

現代の物理学者は、宇宙の、物質の、およそ

20%しか分っていないと言うけれど、仮説や

空論は一人前と言える。もしも科学が唯一を

知った時、物理学は、終わりを遂げる。

あなたは、唯一なのだ。だから唯一を悟れば、

宇宙のすべてを知るということ。

ピラミッド建設の謎、アヌンナキが存在したか

否か、エジプトのアクエンアテンのことさえ

知ることができるということ。

それゆえに唯一の知識、或いは、真我に勝る

知性は他にある訳も無し。唯一これが信仰の

対象になった時代文明は、あったのだろうか?