対話集3

🔸ヒーリングのエネルギー

質問者
病人のエネルギーより、施術者のエネルギーが低い場合、

もらっちゃうとことがありますか?

先生
そうです返ってきます。対象者が自分と同じという気持ちは、

エネルギー経路を強くする意味合いがあります。魂とつながり、

エネルギーが強くなるという結果を生むと思います。自分のため

でなく、その人のためでもなく、全体のためというか同じものと

いう感覚を共有できたら、道がつながる感じがします。

質問者
自分が疲労していたとき、ある人からレイキヒーリングを

やってもらった時、すごく冷たかったのですが?

先生
魂とつながっているという形のヒーリングではなく魂以外の

魂の周囲をぐるぐる回っているエネルギーを使うとうか、

そのエネルギーだと雑多なものが混じるので、施術者の思い

とかを受けてしまったように思います。施術者が癒したいと

思っていても、その人全体のものが、エネルギーとして出て

しまうのです。

エネルギーの源泉、出所が違うので、混じりっ気のないもの

というわけにはいかないからです。魂以外の所のエネルギー

しか分っていない施術者がエネルギーを絞り出すので異質の

ものまでも出てしまいます。やっている施術者も疲れます。

日浦
夏の暑い日は冷房効果ある、冷気ヒーリング?

人は弱いもので、ヒーリングを実際に見ると少し信じるが、

見ないと信じなかったりする。見ても信じない人もいる。

しょうがないね・・

先生
現象を見ると言う事が、知覚の助けになる方々もいれば、

見ても信じない人たちもいます。その人たちは、まだ時が

来てはいないです。見てもトリックだとかマジックだろう

とか何とか言って、認めたがらないのです。

質問者
病人がヒーリングで治癒したのに、後になってマジックか、

トリックだったのではないかという疑いが出て、ヒーリング

効果が無くなるということはありますか?

日浦
真のヒーリングにおいて、治ったものが病気になることは

滅多にないでしょう。

先生
完全に病気が癒えるということは、その因も消えてしまう

ことが多いのです。滅多にないようですが、それをもう一回

やる必要があるカルマを持った人もたまにいるようです。

自分のカルマだけでなく、よそ様のカルマを持って来る人が

います。善い方のカルマの場合も悪い方のカルマの場合もあり

ます。悪いカルマを引きずる人たちは、エネルギーの少ない

方々が多いので、そのぐるぐるの繰り返しから逃れられなくて、

もっと暗い方に行ってしまうという傾向があるように思います。

反対に善いカルマを持った人たちが、次の段階に行くために集う

こともあるようです。結果を見て、善い悪いと判断しますが、

魂の世界には、善い悪いという判断はないようです。すべて

よしという感じです。でも癒し(ヒーリング)に意味がないと

いうことではなく、魂の存在に気づくためのひとつの道、

よすがになります。それがすべての道ではありませんが、

気づくことのひとつのよすがになります。治してもらったら

感謝というか、嬉しいですね。その気持ちは、凄くいい、

よすがになるようです。それは治した側にも返ってきます。

同通するのです。

日浦
真のヒーリングは自他を幸福にするわけだから、やった方が

いい。ヒーリングを覚えて、それを習慣的にやっていけば、

マインドをその方向に継続していくので、自分の浄化に役に

立ちます。ヒーリングという言葉を超えた、ある意味、今風に

言えば、真の自己啓発ツールだと思います。

先生
修行と言う感じですか・・・・修行と言うと厳しくつらいと

いう感じがするので、楽しい修行ということでしょうか。

日浦
修行、修練、同じことですね。練習、レッスンでは軽すぎる

しね。でも軽く考えても、方向が正しければいいのです。

先生
つらさを感じないで、楽しさを感じる方が皆さんやり易いと

思います。

日浦
先生のいうことに大賛成。人は不幸の原因や病気の原因が、

心にあるとは認めないけど、苦しんでいる人が楽になる

ヒーリングがあっていいのです。

重病人が明らかに治ったという体験をすると、それをバネに

人は変われる。

先生
ヒーリングによって治されたことで、施術者のエネルギーが

入ると、そのエネルギー質が伝染します。その結果、病人の

カルマが消えて、その方の本来の仕事が出来る状態になると、

それだけでお互いに浄化できると思います。この世に出てきた

理由は、この世の体験を経て、それらを浄化して唯一へ戻って

来るという魂の使命があるので、その使命の一翼を担うのは、

とても喜びだと思います。

日浦さんのような凄いヒーリングができる方を目の当たりに

して、皆さんが自分にもできると思うのは、すごく大事な

ことです。自分にはできないとか、自分には関係ないことでは

なくて、当たり前にできることだという感覚、それを漠然と

したものでなく、こういう風に、こうすれば、こうなるという

道筋を示してくれる方とお会いするのは、とてもいい事です。

質問者
いわゆるサットサンですね。

日浦
エネルギーフィールド・場の干渉力です。水は高きから低きへと

流れ、熱も低い地点へ移動するように均衡の法則、バランスの法則、

場の干渉力です。このことは、高い大きなエネルギーを持つ人に

近づくと、彼から放射される高いエネルギーの影響を自動的に受ける

ということ。エネルギーの無い人が、ヒーリングしても効果は無く、

施術者が施術を受ける自分よりも低い場合は、自分のエネルギーを

吸い取られます。このような姑息な悪意あるヒーラもいるので、

やたらと近づかないほうがいいです。だから、ヒーリングはエネ

ルギーが分かる人のものです。しかし人は、それを見抜けない。

中国の神仙道は、房中術だとか、なんだかんだと言って、若い

女性の生気を吸い取る術を使う馬鹿者がいました。なぜ彼らは

馬鹿なのか。

それは、生体のエネルギーと、ヒーリングのエネルギーは質が

大きく異なります。真のヒーリングは人体の生体エネルギーなど

使いません。生体エネルギーを吸い取ると、多少は若返りはする

けれど、煩悩が燃え盛ります。それはまた、若い女性の生体エネ

ルギーを盗むという窃盗行為に外ならないのです。

つまり神仙道は自分の魂の力を使わないので、真理の道ではなく

邪道です。レベルが低すぎる神仙道は、やらないほうがいいです。

先生
無理やり信じる必要はないそうです。そのうちに分かりますって。

いつか、ストンと落ちてくるようなので、その辺りは、あまり

心配しなくてもいいそうです。

日浦
イエス・キリストは、自分がヒーリングしたことを気づいては

いなかったでしょうというラマナ・マハルシさんの言葉は、

先生の言葉を借りると、自動的オートマチックに起こったという

ことです。だからイエスの意識的な行為とは別な働きだと言って

いいのです。

質問者
マハルシさんは、ヒーリングの力を使わなかったですか?

日浦
彼の本の中では、ヒーリングをしたとは書いてないですね。

もし本物の解脱者であれば、エゴもカルマも消えている訳

だから、自動的な意識的なヒーリングは起こるでしょう。

質問者
でも、あれだけ多くの人がマハルシさんに会いにいったわけ

だから、何か御利益があるから皆、行っているわけですね?

日浦
そういう人が圧倒的に多い。興味本位の人もが多かった様子。

先生
行く人の段階、状況に応じて得るものがあったようです。

ある方は安心感だったり、ある方は、具体的に体が軽くなる

とか、共通するのは楽になる感覚です。ただし人によっては、

それが長続きしたり、瞬間に消えてしまったりとか、個人差は

どうもあったようです。

日浦
ヒーリングには、メソッドがあるという概念はマインドです。

これを破壊すべきです。先生が述べているようにヒーリングは

オートマチック、自動だから、マインドが考える必要がないと

いうことですね。ハッキリ言えばマインドがやるヒーリングは、

危ないからやらないほうがいいということ。

先生
そうです。本当に自動なので、マインドが入る余地ないです。

質問者
完結した形として見えているのですか?

先生
見えていることはなくて、ただそのようになるだけです。

日浦
先生の言われるのは魂が知覚するので、それでそのまま

いいのです。僕の場合、それが意識的に可視化されます。

質問者
終わったとかいう感覚がわかるのですか?

先生
分かった、というか、ただそう思うということです。

質問者
終わったという感覚も自動なのですか?

先生
そうです。それさえも自動です。

日浦
以上のことを言い換えると、瞬間の自動なので、イエス

キリストもヒーリングをハッキリと細かく分からなかった

かも知れないということでまとめていいと思います。

僕の場合、無意識的であったり、意識的にもヒーリング

しますが。

巷のヒーリングで教えている方法、図形やシンボルを使い、

祈りやマントラを唱えたりするのは全部要らないのです。

それらを使うのはマインドの動きです。ヒーリングは、

ノンマインド。念を使わないこと。巷のヒーリングは、

魂を知覚したものではなく、「エゴ」「自我」による

ものだから、やらないほうが無難と言えます。

自称のヒーラの中には、相手の具合を悪くして、通って

くるように仕向けるとか、自分は知らないけれど悪魔が

取りついた者もいることも念頭に置くべきです。 だから、

巷のヒーリングは、怖いものと言えるので、受けない

ほうがいいです。