対話集2

🔸祈りについて

先生
次に、祈りですけど、言葉を唱えるというのは、

ある程度の集中を生みます。それがエネルギーの

ロスを排除して、エネルギーを集めるという役割を

します。ただ、祈りの質と言うか、どこから祈りが

来ているかが大事です。

魂からの祈りではなく、マインドのエゴの部分から

出た祈りは怖いです。もし、間違った祈りだと自分

自身のエネルギーを消耗する方向に行き、自分の

エネルギーを奪われます。それは、かなり危険です。

祈ったはずが、消耗している、ということになり、

その祈り自体も不本意な結果になります。

祈りは、その危険といつも隣合わせです。

質問者
病人のために、よくなってもらいたいという純粋な

祈りはどうでしょうか?

先生
病人の方と施術者の気持ちが合わさった時、それが

発動します。思いが同じで、お互いのエネルギーの

波長が合わさった時のタイミングをとるのがかなり

難しいです。日浦さんのように、圧倒的なパワーの

持ち主の場合は、相手の強固なカルマさえも軽々と

ふっとばしてしまうのですが、施術者のレベル、

その祈りがどこから出ているのかがポイントに

なります。日浦さんのレベルであれば、対象者の

カルマなど問題なく、軽々とカルマと病気を共に

ふっ飛ばします。そうではないレベルの場合は、

治せないことはないですが、施術者と治療対象者

のレベルがある程度合う必要があります。病気の

原因のカルマ解消は、結局のところ、力というか、

エネルギーの問題なのです。

日浦
先生の言われるように僕も皆さんに祈れと言った

ことは無いです。

質問者のイエスの言葉、祈って、祈れ!は諸刃の

剣です。 その理由は、99%の人の祈りは、エゴの

祈りになるので危ないです。キリスト教に限らず、

仏教系や神道系の祈りでも危ないことに変わりは

ないです。無神論者とか信仰を持たない人も神社に

参拝して、祈るのでは?或いは、願掛けをする。

祈りと言う言葉、思いは、崇高なもの、信仰心が

あるかの如く人を騙しています。

その訳は、祈りとは、そう言う名のただの欲望の

投影であり、欲望とは、何であれ苦へと導く負の

エネルギーです。それは、魂にとっての負のエネ

ルギーという意味です。

神社や仏閣での祈りでは、憎むべき人、敵対する

人を呪うとか憎むという恐ろしい想念を発する

人も沢山いるのです。そうであるから、エゴと

呪いの想念等が渦巻くような神社や仏閣で祈る

のは、危険だと言う理由です。

質問者
では、神に祈ればいいのですかね?

日浦
先生も僕も、神は存在しないと教えたのでは?

質問者
では、苦しい時、どうしたらいいですか?

日浦
ただ単にエゴ・生存への過度な欲望を排除すれば、

心を綺麗にさえすれば、祈らなくとも、願いは叶え

られます。或いは奇跡が生じる可能性があります。

質問者
「・・・・・・・Xの二乗は・・・・・・」