悟り10

衝撃的な事実

似た状況の読者は多くいると思うので、
名前を伏せて、読者のメールを紹介し、
それにコメントして見ます。

 

 『いつもブログを愛読している読者ですが
先生の考え方に深く共鳴出来る部分もあり、
疑問もあり、敢えて筆をとりました。
 還暦を過ぎ、年金受給世代になって来て
益々解脱涅槃への道に弾みがついてきた
ようです。先生と同じく既に両親は他界し、
妻にも先立たれ自宅は住宅ローンの返済に
いき詰まり、売却を余儀なくされました。
現在家無し家族無しです。人生の基盤、
生活基盤を失い、以前先生の“新宿乞食”の
ような心境です。恥ずかしい限りですが
結局、人生何もかも取り上げられ、独り
死に場所を探す旅なのですね。
 魂の解放を図る前に、生活経済奴隷から
解放されるのが先決問題だと思うのですが。』

日 浦
この人が現在も同じ状況かどうか知らないが
下記は、まさにそうだと思います。

>人生何もかも取り上げられ、独り死に場所を
>探す旅なのですね。

このことを若い時から、認めないといない。
しかし若い時は老後を考えもしない人が多い。
しかしながら老後は、突然やって来ない。

>魂の解放を図る前に、生活経済奴隷から
>解放されるのが先決問題だと思うのですが。

その通りで、誰にも当てはまる現実です。
魂の解放が先か、生活安定が先かの問題。


二十歳の僕が重度な胃癌になった時には、
死を受け入れ、その翌日に完治しました。


新宿乞食に書いたとおり、約束した温熱器の
開発費を踏み倒され、社員になれと言われた
時は、社宅を追い出され、給与も未払いの
危機に瀕していながらも、ウソつきに飯を
食わせてもらうくらいなら、死んだ方が
ましだと言って、社員を拒否しています。
これが生存欲求を超越した平和な境地です。
それから後は奇跡が生まれています。
だから生活のために喰うことが先ではなく、
魂を目覚めさせると活路を見出すのです。
奇跡とは内奥の魂の力であり、存在しない
神の力ではない。
これはアドヴァイスではなくて、生に関する
価値観、認識の違いなど個人差があります。

個人的な価値観ですが、老いて、孤独で、
困窮した生活であるならば、さらに病気を
抱えているなら、どうしてもっと生きたい!
などと人は言うのか僕には、とうてい納得
出来ません。それは、苦を連続させて加速
させるだけだと言う事実を人は見ない。

苦悩の連続であった僕の人生は、生存欲求を
捨て去ったところの死をも受け入れた連続で
あったので、それはそれは実に美しいものを
開示してくれる体験をしてきました。
従って、幻想の生存欲求を捨て去ると奇跡が
生じて、人生は好転すると言い得るものです。
すると、下記のアドヴァイスになります。

先ずは、魂を解放することによってのみ、
生活経済の奴隷からも解放されるのだと。

魂の解放とは

魂の解放は、とても簡単です。生きたい、
生きよう、生きねばならない、という根拠
なき妄想をキッパリと捨て去るだけです。
生存欲求と言う妄想を捨てたところで誰も
死ぬ訳も無く。

あたかも雑草を根こそぎ取り除くが如く、
幻想の生存欲求(エゴ)を捨て去るだけ。
それならば、今日中にも出来ることです。
或いは、数日の間に。