悟り7

東京の某宗教団体の会社を辞めて帰郷した頃の

体験。それが読者の参考になれば、幸いです。

帰郷した実家では、僕の母と僕の妻との激しい

確執が起こり、僕と父を苦しみの渦中に巻き

込んでいた。

それは、関わる家族全員の苦悩でもあったと

いうこと。

求職活動も空しく、一年近く仕事が見つから

なかった。だから妻は東京へ帰ろうと言い、

また母親は、いつまでただ飯を食うのかと

愚痴を言う。

それを聞いて僕はブチ切れた!

だが反抗したり、怒鳴りつけた訳でもない。

でも、何かがブチ切れた。

 

それは、夏の暑い日だった。

子供の頃、水遊びした信濃川に来て、

土手に座り、いまこそ入水自殺しよう

と考えていた。泳げないから確実な

死があるだろうと。

一方で、自殺は、妻や子供達をさらに

苦しめることを知りながら。

人生は、まさに苦なりと泣きながら。

われは、われを何者かと思いながら。

夕暮れの空を鳥たちが飛んでゆく。

彼らは巣に帰る。僕は家に帰れない。

だから、死ぬためにここに来た。

 

東京在住の頃に体験した、丹沢山中に

おける超越体験は、幻覚ではなく、

リアリティーな実体験であったが、

あれは、何だったのか。

そしてまた、小学一年の時、わたしは

誰かと問いを持ち、それに対する答えは、

ボロボロのボロボロになる体験をする

ためだと言われて、泣いたことなど、

様々な過去が走馬灯のように駆け巡る。

それらすべての力を失った現在の自分を

見た。なぜ、強大な力が現れたり、また

失われたりするのか?

先ず、自分の近未来を見よう。その結果を

見てから後に死のうと思い、瞑想に没入した。

あっという間に奈良の大仏より大きくなった

意識体。その巨大な意識体の手の中で、

肉体は瞑想しているが雑念だらけで、

死にたいと考えている。それがはっきりと

見て取れる。

意識体は恐らく数百メートルの高さを持つ

大きさになったのだろう。すると地上には、

ボーリング球よりも大き目の火の玉が現れて、

それが回転しながら上昇した。大型花火の

打ち上げを真上から見ているようなシーン。

その火の玉が、意識体の胸部に達すると、

それが炸裂して、凄まじい閃光を放って、

すべてが光りになった。

すべては光りであった。

 

注 釈)

地上から立ち上る火の玉について、読者の

中にはクンダリーニ瞑想かと思う人がいる

かも知れないが、そうではない。

あの光の玉は、自分の魂であった。火の玉は、

魂の光球が身体から離脱した状態を示し、

胸部で炸裂し、強大なエネルギーを放射した

状態のもの、これ即ちクンダリーニそのもの。

だから尾骶骨の中に、とぐろを巻いて眠る

ものは、クンダリーニではなく、カルマの

固形物のようなもの。そんなものを頭頂の

チャクラ・サハスラーラへ昇らせるならば、

大脳は破壊状態になりかねない。

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