可視化3

「チャクラ」
    「クンダリーニ」

チャクラなる語は、古くからキリスト教の

ヨハネが言及している。七つの教会とか

七つの星とか、七つの燭台、振りむけば、

そこに七人の長老がいたというような記述。

それらは、キリスト教が興ってから後に

インドにおけるヨーガの知識を習合した

のではないだろうか?

 

先に紹介したテスラのインタビュー動画に

クンダリーニという語もあった。おそらく

ヨーギのビヴェーカナンダ氏との会話の中で

知った言葉、概念ではないだろうか?

もしテスラが既にそれを知っていたならば、

インド語のクンダリーニと呼ばないだろう。

 

丹沢の断食瞑想において、不食体を会得した

という話し。なぜ食べなくても空腹感が無く、

力が出るのか、なぜ眠らなくてもいいのか、

不思議に思い、その問いを持った。

すると、先述したように巨大化した自分の

身体内を視覚化した。その暗闇のなかで、

全身に張り巡らされた無数の神経組織の経路が

可視化され、神経組織を通る無数の微細なる

光の流れが可視化され、沢山あるその接点では、

美しい七色?それ以上?の火花が散っていた。

暗闇の中での、美しい光のスパーク現象。

なんと美しい!

そう叫んだものだ。

 

チャクラ、クンダリーニなる言葉を知ったのは、

丹沢の瞑想から、およそ10年後だろう。

身体内にチャクラがありえるのか?再び体内を

可視化すると、丹沢山中で観た通りの光景であり、

七つのチャクラなるものは、見当たらない。

また尾骶骨の中に蜷局を巻いて眠ると言う

クンダリーニは、やはり見当たらなかった。

 

またクンダリーニが脊柱内にあるとするスシュ

ムナー管を昇って脳内チャク・サハスラーラに

到達するとき、大光明を得ると言っているが、

これは本当か?

解脱の意味

サマディーとか、解脱と言う言葉があるのは、

身体内においては、チャクラ、クンダリーニは

無いことを意味するので、身体から離れよと

教えている、と知ろう。

なぜならプルシャと同等以上の超越的力、そして

知識が身体内にあれば、成長の過程において、

心が影響を得て、誰もが必然的に悟るだろうと

いうこと。現実、そうはならない。

 

誰もが悟らないまま、解脱しないまま、肉体死を

迎え、その遺体は殆ど火葬される。そんな粗雑に

焼かれる身体に、チャクラだクンダリーニが存在

する訳も無いと、人は常識的な考えが持てない

のだろうか?

 

クンダリーニは、身体の外にあり、それは唯一と

プルシャの中に在る。

 

身体内の七つのチャクラとは、神経と接合部の

スパークだと思えばいいので、これが生存欲求と

いうエゴを生み出す仕組みであり、この生存欲求を

破壊することが解脱と言われる。

 

このブログに来る人は、チャクラ、クンダリーニ

に関心んを持たない人ではないか。それでいい。

狂気のスピ世界

スピ世界では、そのほとんどが、人体内に七つの

チャクラを描き置き、「わたしは、七つのチャクラを

浄化したので、悟りを得た!またハイアーセルフから

特別な通信を得た!」などと怖いことを言う。

 

尾骶骨にあるとされるとぐろは、カルマの蓄積である

から、その膨大なカルマがスシュームナー管を昇り、

遂には、脳に到達すれば、それは、大光明ならず、

大狂気が花咲くだろう。恐ろしや 恐ろしや!

 

チャクラ、スシュームナ、サハスラーラ、クンパカ、

それらは悟りに必要な概念じゃあない。知らなくて

オーケー牧場なのだ。と知ろう。

求めるべきは、唯一、自らのプルシャそれ自体だと

いうことを忘れないように。

そしてまた、心が外側(この世界)に彷徨う限り、

プルシャを見出すことは、できないと知ろう。