対話集6

質問者
昔し、インドのヨーギー達は、仕事もせずに、

そればかり専念していたようなので、楽だった

のではないですか?

日浦
それは違います。ただ喰うための仕事をするだけ

よりも、自己を悟るための修練が最優先されなけ

ればならないのです。だから仕事もせずに、それば

かり専念して、という見方は違います。

自己を悟るための修練をせずに、喰うことのみに

専念する生き方だから、数百万年もの永きを苦界に

生まれ変わるのです。

現代も、中世も、古代でさえも、この世は幻です。

まぼろしの世界を現実だと勘違いして、仕事だ

金儲けだと言って、戦争と言う名の人殺しをする

のは、まさに生き疑獄の様相を呈していて、至高の

プルシャの在りようではありません。

この世は、古代から現代も、まさに苦界なのです。

仕事をせずに、修練に開け暮れた彼等でさえも、

まっすぐなコースを行く人はほとんどいなかった

わけで、それで一生を終わり、次の転生へ行く人が

一杯いたわけ。でもその生き方は、そのカルマを

積むので、来世もまた修練する気になるでしょう。

その過程において、もし真のグルに出会えたなら、

その修練は結実を迎える可能性が大です。これは

とても良いカルマと言えるのです。

修練もせずに、ただ生きること、喰うことのため

仕事ばかりをするのもカルマになり、このような

輪廻は、永遠に苦界を彷徨うことになります。

なぜなら輪廻を終わらせようとする意志が無く、

その行為としての修練をしないからです。

 

インドに悟った師匠もいたけれど、インチキな

聖者も多くいて、そんな彼らは真実を教えることが

出来ない。そんなインチキ師匠についたら、一生を

棒に振るわけです。

転生輪廻は、エゴの活動総計であり、それに至高の

プルシャが引きずられているというみじめな現実を

知らなければ駄目です。

先生
一つのことを一生懸命やることも、素晴らしいと

思いますが、いろんなことを経験できてなおかつ、

ヨーガの修練もできることは、楽しいというか、

お得な感じがします。

日浦
僕だって60歳を過ぎてから、ヨーガを勉強するとは

夢にも思っていなかった。それは、ヨーガの知識を

求めたからではなく、世間のスピリチュアルを調べる

途上において、ラージャヨーガを見つけたのです。

質問者
日浦先生、過去生でもやっておられたのですよね?

日浦
先生、その辺を通訳してもらえますか?

先生
日浦さんは遠い過去世において、一回修めてしまった

方なので、インドの時代だけでなく、それらの体験の

記憶をお持ちです。それを人に語らないだけです。

なぜなら他人が知らない事や、検証できないことを

日浦さんは語らないのです。

日浦

何故、自分は過去世を思い出していないかという

問いが誰にもあるけど、もし、転生の記憶が瞬間に

出てきたら、たぶん発狂してしまうでしよう。

現在の状況で、職業とか環境とかあるけれど無数の

転生の異なった環境や職業がバーンと表面意識に

出てきたら、大脳は処理できなくておかしくなって

しまう。壊れる。ある意味で、記憶を封印されて、

まっさらな形で出発する方が生きやすい、夢も

希望も持てるということです。

質問者
過去世を思い出すということは、全部を思い出す

ということでなく、大事なところだけを思い出す

ということですか?

先生
自分の転生、過去世を思い出す人は、滅多にいない

けれど、今の解消すべきカルマに関わる転生を思い

出すことが多いです。そうでなければ、神経が焼き

切れちゃうのです。あまりにも一杯、全部がボンと

押し寄せて来てしまうと、害や毒でしかないのです。

質問者
ということはカルマは、もの凄いエネルギーだと

いうことですね?

先生
はい、そうです。その通りです。カルマを制する

には、凄い大きなエネルギーが必要ですが、別の

方法で、その制御は簡単になります。その一つが

思考の消滅という道です。

日浦
皆さんのカルマは数百万年の歴史を持っています。

過去世では極悪な盗人や殺人鬼だったかも知れない。

それを思い出したら自分を抑えられるかということ

です。人間は、いつから転生を繰り返しているのかが

分からないほど、膨大な転生を延々と繰り返している。

それが霊的な記憶素子に記録されて、再生されるとき、

印象とかイメージになり、想いや思考として心を支配

するのです。

それが再生されると、カルマと言われているものです。

しかし、サマーディに入ると、過去のカルマが消える。

ラマナ・マハルシさんは暗闇に太陽が昇ると、太陽の

もとでは、暗闇は消えるようなものだと言っています。

カルマとかサムスカーラは、マインドの領域に起こる

もので、魂は記憶を持たないので、永遠にカルマが

ないのです。だから自分の魂を知覚すれば、カルマは

無くなるのです。

先生
魂が分かれば、そもそもカルマは必要がないので、

カルマは消えていくものなのです。魂が分かった

とたん、それは必要がないので自動的に消えて行く

ということです。真理の太陽が昇るというのは、

そういうことです。

日浦
そうであるから過去のカルマ、運命とか宿命などで

悩む必要はないです。人はマインドの感性で生きて

いるので、魂というものを信じないので、僕みたいに

もたもたして時間がかかるのです。

過去には、苦しくて、苦しくて、泣き叫んだことも

あったし、こんなに苦しむカルマを背負ったのかと、

ほとほと自分が嫌になったし、自分を呪ったけれど、

これはマインドのものだと分かると、考えが変わり、

人生が変わってきます。

日浦
これでヒーリングの説明は終わりですがヒーリングの

要点はメソッドなど要らない。なぜなら瞬時に自動的に

起こるという話しをしました。だからヒーリングをどの

ようにやろうかという考えそのものが惑わしです。

今日話した修練方法は、20代から生じた自分のヒーリング

体験を分析し、いろんな聖典を読み、それらを比較分類し、

それらの矛盾点を抽出し、矛盾なく自分なりに整理して

得られた核心であり、ヒーリングとは、とても単純な

ことでした。

先生
無茶苦茶シンプルですけど、そこにたどり着くまでは

大変でしたね。

日浦
一般の人のように、スピ系の本も少し読みました。

しかしウソが書いてあると分かるので、そういう本を

読まなくなりました。いろんな聖者の意見、体験の違い

などを見て、それぞれがそれぞれに正しいということも

分かりましたが、それぞれの各論というか流派みたいな

流れがある事が分かるのです。それを精密に分析すれば、

真のヒーリングを目覚めさせるのに流派は要らないと

知るのです。だからこれから「メビウスヒーリング」と

題して広めていこうと思います。

質問者
テキスト最後の、ヴィヴェーカーナンダさんの言葉、

「ただ神のみが存在する」という思いを昼も夜も思い

続けなさいとありますが、この神という言葉は、真我・

アートマンのことですね?

日浦
そうです。そういう意味です。僕は、たまたま彼の

言葉を載せただけです。言葉として名づけると制約を

もつのですが、「神」というのは、唯一、真我、

アートマン、自己、セルフ、ハート、クンダリーニ

など、千個ほどの名前が付与されたと言われる自己の

本性を意味しているものです。

その意味を理解するとき、つまり「自分は唯一だ」と

知ると、信仰心があろうがなかろうが神は嫌いだとか

好きだとかも関係なくなります。

ヴィヴェーカーナンダさんの言わんとすることは、

自由になるために解脱を得たいという強烈な願望を

持ちなさいということです。それなくして修練は

成し得ないし、到達はできないのです。

修練は心の弱さが障害です。心が外を向けば欲望に

終わりが無く、いつも心は惑わされます。それが

無限の輪廻転生のループの中に埋没させます。

いまの皆さんは、その渦中にあるのです。

この最後の絞り込みは、自分の中で確信があって

ゆるぎないものだけど、これについて先生、

どうですか。

先生
その通りです。強烈な願望というか、ある意味の

欲望と呼んでもいいと思いますが、それをお持ち

でないと最後の目的地にたどり着けないと思います。

皆さんが、これは嘘だとか、信じられないとかいう

ところがあっても、それはそれで自由です。

でも実践したらわかると思います。分かりたいという

気持、それがすべてです。

日浦
単純なことです。強烈な願望ありきです。それが、

人間が抱くべき唯一正しい欲望です。その願望を

持つことが難しいのは、目と感覚が外に向いている

ので、内奥にある魂のことを考えない。

皆さんは、求めたからセミナーに来て、その答えが

与えられたのです。

先生
皆さんは、今世、セミナーに来たいという欲望を

持ったわけですが、それが御縁ということです。

本当の真理を教えてくれる先生の存在は、とても

大事ですね。

受講生
はい本当に大事です。直接、お話を聴かないと、

また質問をしないと、色んな本を読んでも全く

理解できませんでした。

日浦
今回、このセミナーで学んだことが、これから

後の皆さんのカルマになり、それがまたサムス

カーラ(印象)になり、いつかそれがどこかで

出てくるのだから、本当に素晴らしいことです。

時間が来ましたので、今日はこれで終わります。