悟り2

悟りのツー
 身体との分離について

「身体が自分だ」と思う限り、身体から

分離するという教え方は、それが不安

どころか恐怖に思う人もいるだろう。

そのような難解な不適切な考えでなく、

魂の自由さを得ること、魂の超越的な

力を我がものにできると考えるならば、

身体と自分を分離するという考えは、

大きな喜びではないだろうか?

 

現実的な例えとして、人は誰もが一日の

終わりに睡眠をとる。眠りについては、

寝たら死ぬか?と心配する人はいない。

だから眠りとは、つまるところ疲れた

身体から心が一時的に離れる行為であり、

誰にも好ましいものと言える。その後、

再び目覚める。だから身体は活動する。

自己実現、解脱、サマディー、覚醒とは、

これと同じことをやればいいのだ。

但し僅かな留意点はある。

死ぬと言う幻想

もう一つの視点、

人は誰もが生の終わりを迎える。それを

肉体死とも言う。しかし、肉体死を別の

視点から見ると、苦しみへと導く欲望と

思考を享受する身体と、不死なる自由な

あなた自身が結合した状態から分離する

行為、或いは、秘密の儀式とも言える。

秘密の儀式とは、生きていると思う人、

また死ぬ直前の人は肉体死を迎えた時、

何が生じるかを知らないことを意味する。

だから「彼は死んだ、愛しい人が死んだ」

などと、縁起の悪いことを他人が言う。

 

あなたは不滅の存在

肉体は死んでも、あなたは死なない。

なぜなら、あなたは地上の肉体へは

生まれていないけれど、投影された

画像としての肉体を持ったからだ。

だから画像の肉体死は、不滅なる

永遠なあなた自身とは、何ら関係が

無いことを、しっかりと理解しよう。

勘違いの原因

皆さんは、肉体が自分だと勘違いして

いるから、肉体死を嘆き悲しむのだ。

これは、歴史を包括して人類を支配する

大きな勘違いである。この勘違いを打ち

破り、永遠の自己を見出すには分離する

しか方法は無いだろう。自己実現、解脱、

サマディー、覚醒とは、この分離を言う。

分離が生じた時、身体感覚に支配された

魂は、その時、自己を悟る。

これと同時に身体は、自分自身ではないと

ハッキリと知る。