7歳児3

衝撃の告知を聞いた

入学式の日、自分の過去世を観たけれど、

その転生輪廻の仕組み・詳細が知られた

訳ではなかった。

ただ問いが具体化された。

僕は、この体は、本当に生まれたのか?

目に見えるこの世の森羅万象は、まぼろし

ではないのか?

すると、この自分の体、他人の体、自他の

人生とは、なんだろう?

これらもまぼろしなのか・・・?

まぼろしの世界に、なぜ人は生まれるのか?

これらの問いは、親に聞いても親も知らない

のだろう。なぜなら家族は見えないと言って

いるのだから。

求めた自然界も答えてくれず、親も知らない

のだから、誰に聞いても本当のことを知らない

のだろう。

でも、森羅万象の背後にある真実を知りたい!

この求める真実を知るには、親でも他人でもなく、

自然界でもなく、自分が知るしかないのだ!と

知った。でも、たかが7歳児に何の知識があると

言うのか。そんな知識も人生経験も無いのだ。

それを分かっていたので、求める答えを自分の

内奥に問うことしか方法は無かった。

 

それは、一年生の冬の下校時だった。冬晴れの

暖かい日、防寒具を脱ぐことも忘れ、額に汗を

しながら、忘我の境地にいた七歳児。

ふと歩きを止めて、両手に拳を軽く握り、激しく

自問した。

「わたしは、誰か!?」と。

すると、驚くことに、内側から荘厳な声がした

ではないか。はて、周囲に人はいない。自分は

喋ってはいない。なぜ自分の内奥から声がする

のか? ついに僕は、おかしくなったのか?

僕の内側から来た荘厳な言葉は、

「息子よ、よくぞ問いを発した。普通の人は、

そのような問いを持たないのだ。よいぞ息子よ」

という言葉であった。

まさか自分の内奥から返事があるとは!!

その子供は、声の主に聞いた。

「あなたは、だれですか?」

ここでは、二度目に発した内なる声の答えを

省くが、その返事を聞いた七歳児は、激しい

怒りにもにた感情を露にして聞いた。

「そんな偉大な、凄い存在が、なぜどうして、

人間如きに生まれたのですか!?」と。

その声の主は、なぜ生まれたかの問いに答える

ことなく、はぐらかすような質問をした。

「お前は、家でも学校でも、雑巾がけをする

だろう?」と。

「はいそうです。でも、それがどうしたと言う

のですか!?」とかみつく子供。

声の主いわく「もし雑巾が使えなくなったら、

お前は雑巾をどうするのか?」

「それは捨てます!」

「そうか。それでは捨てずに使い続けたら、

その雑巾はどうなるのか?」

「そうであれば、ボロボロのボロボロになり、

完全に使えなくなります!」と。

声の主は、僕の問いをはぐらかしていることを

知った子供は、まさに真剣勝負の様相だった。

それと同時に、自然界も人の言葉では答えない

ことを体験として知っていたので、内なる声は、

いったいなにか?と思った。それは、存在からの

音響と言うか、振動だったと知る。それが人の

言葉に翻訳されていると知る。見えない存在が

翻訳するのか、僕の意識が音響を人の言葉に翻訳

しているのか?という問いが生まれた。

しかし、そんな問いよりも、僕に告知している

存在から、投げかけた問いに答えて欲しかった。

荘厳なる内なる声は、こう告げた。

「息子よ、よく聞くがいい。お前は、ボロボロの

ボロボロの雑巾のようになる体験をするために

生まれたのだ。愛しい息子よ!」

そう告げたのだ!

それを聞いた子供は絶句し、目には涙があふれ

だした。そして、こう呟いた。

愛しい息子と呼ばれる僕の人生って、ボロ

ボロの雑巾!?ハッピーエンド無し!?

そんな人生、生きたくはない!!!

なぜ、僕は生まれたのか!?

本当に浮かれているのか!?