神の破壊

◆神の破壊

宗教や世間の人が言う神は存在しない

けれど、神は人の概念に現れる架空の

もの。単なるイメージ!

なぜなら神は、存在するというのは、

人の思考です。

一方で、思考を消し去った人は、神は

存在しないと言います。

このように人の考え方は多種多様であり、

個人に概念化された神々も多彩な思考の

現れです。

神は、いつからか人類に埋め込まれた

神という名の思考の産物、記憶です。

ヒンズー教は、対立と分裂を生み出す

要因として創設されたわけではないが、

あらゆる神々の名称を生み出しました。

それを存在すると主張する団体になり

ました。原初のヒンズーは、そうでは

なかった。

この理が分かれば、神に祈ることは、

信仰心などではなく、人の思考の無知

ゆえと知ることができます。

 

◆愛の破壊

上記と同じく、愛もまた人の作り出した

概念です。

なぜ、愛が概念なのか?

愛を語るのは、誰ですか?人の口です。

存在しない愛を、愛は存在すると主張

するのは、誰ですか?人の心です。

記憶の集積である「わたし」は、実態なき

観念であり、その観念が主張する愛とは、

やはり思考が生み出す観念に他ならない

のです。

皆さん、なりすまし野郎であるエゴに愛が

あると思いますか?

 

思考が消え去ったそこは、思考や感覚を

超えた未知なる次元の世界があります。

その未知なる実在の世界には、神とか愛は

存在していません。実在それ自体が、人が

言う神であり、愛であるからです。

より簡単に言うと、魂それ自体が神であり、

神を超えた存在だからです。愛も同様です。

それゆえに、

愛を語る人には、気を付けよ。

神を語る人には、気を付けよ。

 

ここでいうのは、神とか愛を破壊しろと

いうことではないです。神という言葉、

愛という言葉、それらの観念を破壊しろ

と言っているのです。

勘違いしないように。