生老病死

生老病死は、皆さんも知るところの

仏教用語であり、この言葉を知って

いても、その意味を知る人は仏教者

の中でさえ、ほとんどいません。

 

生老病死は、身体と心に生ずる生存

欲求からなる観念であり、その行為と

その結果です。これは、連続性を持つ

心のエネルギーです。

ファンタジー仏教学の生老病死とは、

心理学的な生存欲求と関連しています。

マローズの提唱した生存欲求は身体と

心に生ずる観念であり、その束縛的な

連続性を持つエネルギーであり、不滅の

プルシャには、該当しない観念です。

プルシャが、真のあなたであるから、

生老病死、生存欲求は、魂にとって、

幻のよう。

なぜ、このような幻が生ずるのかと

言うと、プルシャが身体と心と同一化

しているためです。

このような愚かなる同一化をひとたび、

分離するならば、幻の生老病死は消え

去り、生存欲求もまた消え去り、不死の

魂・自己が露呈するということ。

事実は、純粋意識というべきか、魂と

いうか、或いは、プルシャに生老病死は

生じないもの。

人の本性たるプルシャは、肉体を持たず、

生まれていないし、不死なる存在だから。

 

あなたが難病にあろうと、自己を悟れば、

病は即座に消滅します。あなたが貧困病に

あえいでいようと、自己を悟れば、貧困は

消えます。

このことが、人の誰もが為すべき仕事で

あり、その仕事とは、自己を悟ることだ

ということです。

人は誰もがやらなくていいことに尽力し、

やらなければならないことを忘却した

生き物であるから、死が訪れるのです。

自己は、宇宙間の中で、最も偉大な力と

高い知性を持った不滅の存在です。

だからどうして、「わたしは人間だ!」

などとふざけたことを言うのか、見極め

なさい。