異 言

記事「クンダリーニ」の下段には、

読者のコメントがあり、「異言」と

「古の蛇」も書いて欲しいと。

そうしたリクエストに応えるのも

たまには良いかと。

 

「いにしえの蛇」は、過去記事にした

けれど、ほんの触りでしかなく、

歴史の深みを伝えることは無理です。

あの蛇は、霊的存在の古い系統であり、

いつも地上に関わっています。今回は、

悪さをする蛇のことを書きません。

書く値打ち無し。気が向いたら書くかも。

 

さて、異言について、僕が知るのは、

GLA教団の開祖が行った異言について

調べたことを紹介します。

どのように異言が生まれるか

開祖が講演会場内にいる会員に近寄り、

手かざしをすると、その会員は、号泣

しながら自分の過去世を思い出し、異言を

語りました。例えば、『ポコラ パラカリ 

テレサレ・・・・・・・わ た く し は 

こ こ に お ら れ る信 次 先 生の 光りに

触れて、過去世を思い出しました・・・

信 次 先 生 は、お 釈 迦 さ ま の 生 れ

変 わ り で す』と言い、必ず、『おお、

仏 陀 さ ま!お 懐 か し ゅ うご ざ い

ま す・・・』と言って、開祖にすがり

つく場面が展開される。すると会場は、

すすり泣きが連呼する。

開祖はお釈迦様の生まれ変わりだと

自分から言わない。会員に仮託して

そう言わしめる姑息なやりかた。

こうした異言がどこの国の言語か誰も

分からない。なんと、開祖本人にも

分からないのだとか。そのくせ異言は

過去世の言葉だと言い切るのは詐欺と

言わず、何といえばいいのか。

この異言が行われる前、開祖は聖書の

異言を引用し、我々が行う異言もまた

聖書の如く真理なのだとごり押しする

開祖でした。そのころの日浦は聖書を

読んだうえで、信用していません。

イエス本人がキリスト教の開祖でなく、

どこの馬の骨が書いたものか分からない

矛盾に満ちた創作だから。だから信じる

より、信じないほうがまし。

開祖と会員が見せた異言のパフォーマ

ンスは、講演会場を騒然とさせて、

聴衆や会員を極度に洗脳するによい

ツールだったのです。理由は下記。

 

 会社にいた霊道者という二名を

調べた結果、異言はやらせだった。

霊道者は、自分が語る異言はどこの

国の言葉か分からないと言う。勝手に

口から言葉が出るとも言った。

にもかかわらず、私は過去世を想い

出したと言うは、虚言ではないかと

日浦に指摘され、ついには沈黙する

霊道者たち。色々と知ベたら、開祖

本人を含めて、会員彼らの異言とか

霊能は、ぜんぶが憑依現象だった。

 

② 開祖が他界した後、長女が教団の

後を継いだ。わたしは、ミカエルだ!

全人類がわたしに跪く!などと言って

デビューした長女。

そして「信次はもう古い!ミカエルの

時代が来た!」と驚きの声明をだして、

開祖派の幹部や会員を冷遇したので、

彼らの不満や内部告発も沢山あった。

一つの証言。『私は、お金をもらって

異言を語りました。しかし、あの異言は

ウソです。でたらめです』と某女性。

この衝撃的な告発は、後継者の長女が

見せる異言もウソだと知らしめるもの。

 その事件以降、教団は、異言を語る

開祖等のビデオテープを販売中止とした。

だからYouTubeでは、見ることが出来ない。

④ SF作家の大御所・平井和正さん、その

弟子は、世界的に高名な言語学者に開祖の

ビデオを見せて、異言を知ベてもらったと

聞く。その結果、どこの国の言語でもなく、

何の文脈も無いもので、意味のない言葉の

羅列に過ぎないので、異言とは言えないと

言われたこと。

 

では、聖書の異言は?

「聖書の異言」を検索すれば、沢山の

記事があります。それを信じるのか、

信じないのかは、皆さん次第。

僕は、聖書を信じるクリスチャンとは

話しがかみ合わないので、友達になり

たくないし、敵にもしたくないので、

努めて客観的に聖書にある異言を考察

します。

 およそ2千年も前の異国の話しは、

現代人にとって、信じる根拠がないと

言うこと。また信じる必要さえもない

ということ。異言は聖書に書いてある

から信じろとは、信を強要する暴力。

 

 かの開祖が見せた異言は、憑依現象

だったと言う事実から、やく2千年前の

イスラエルの地において、それと似た

現象が無かったとは、誰も断言できない。

 個人的な体験談ではあるけれど、

過去世の記憶とか言葉は、それを思い

出した時代の言語に自動翻訳される。

ゆえに解析できない意味不明な言葉の

羅列は、過去世の異言であると断定

することは誰にもできない。

これが意味不明なマントラ、真言を

唱えることをやめよという意味です。

 異言を語る者は、誰なのか?

異言を口にするのは、存在性のない

自我です。この答えが、異言が信用

できない事実なのです。

 

異言 終わり