開 放

記事「攻撃するもの」の続き


ここでいう「解放」とは、何を意味するか

ということ。それは、仏教用語の「解脱」と

同じ意味を持っています。但し、いったい

誰が解放される対象物であるのか、それを

明確にしないと、解放も解脱も意味がなく

なります。

先ずは、悲しみ、苦しみを享受する人間が

解放される或いは、解脱するという仏教系の

教えは、大きな間違いです。何故なら人間と

呼ぶ生き物は、ホログラムの画像でしかなく、

実態が極めて薄いものです。

魂とかアートマンなるものは、存在しないと

言う仏教は間違っています。ゴーダマ仏陀は、

魂とか、アートマンなるものは、存在しない

などと説いていません。

人に不可知なる実態としての魂こそが永遠の

実在であり、人の本性であるということを

ホログラムから成る人間は知らないのです。

このことから、解放とか、解脱は、肉体中に

知覚が閉じ込められた魂の解放が課題です。

この課題は、前記事の「攻撃するもの」に

書いた通り、欲望と思考を吹っ掛ける旋風を

止めること。これが修行の要諦です。


生まれて死する肉体は、その別の名をエゴと

呼ばれる。それはまた、ホログラムである。

あなた(魂)がエゴと同一化した状態にある

限り、解放される見込みがないということは、

エゴの本性は、生きることへの欲望であり、

生存の欲望そのものであるから、生存への

欲望なきあなたが、エゴとの同一化がある

限り、あなた(魂)は、エゴから解放される

見込みがないということ。

 

開放とか、解脱の考え方として、このエゴを

手放せば、魂が解放されるという単純な真理。

エゴを欲望それ自体だと置き換えるとき、

或いは、思考と置き換えるとき、欲望を放棄

すれば、または、思考を放棄すれば、魂は

ただちに解放を遂げるということ。

この世の苦しみ、悲しみ、不幸のすべて

から解放されたいけれど、諸々の欲望を

捨て去るのは「嫌だ!」というのがエゴの

本質。

魂が同一化しているエゴは、偉大なる魂を

たやすく欺くもの。恐るべし。

と言うか、エゴが恐ろしいのでなく、エゴと

同一化する魂の傾きが恐ろしさの原因です。

知らずとも、旋風を生み出すエゴに活力を

与えているのは、なんと魂それ自体である

ということ。それは、欲望の始まり、起源の

ようなもの。

人の本性と言われる実在の唯一の体現、真我

実現への唯一の障害は、「欲すること」だと

示された先生は、解放と解脱の意味を平遥に

明らかにされた。

それはまた、旋風のエネルギーを消し去る

唯一の道であると言うシンプルな教え。

 

この教えを受け入れない人、或いはまた、

信じない人は、まだ自分を解放する準備が

整っていない人と言えるのです。

そういうあなたは、すでに数百万年もの間、

エゴとともに、マーヤの世界を徘徊している

にも関わらず、いったい、いつ準備が整う

のだろうか?

自己を解放する準備は、自らの意志による

ものであって、存在しない神があなたを

開放して救済する訳も無し。