人間解体論-9

アクセス数がぐ~んと伸びているので、

論-10まで書こう。

 

瞑想は、それを適切に行えば、劇的な

効果を生み出す。日浦26歳の体験、

丹沢山中の断食瞑想は、劇的な成功

事例だと言っていい。しかし、その

体験談は、皆さんの参考にならない

だろう。だから記事を削除した。

 

もし、瞑想が適切でなければ、期待

効果が無いだけでなく、ひどい障害を

生むデメリットも有り得る。

以前にも紹介したけれど、まともな

瞑想本は、ビヴェーカナンダさんの

ラージャヨーガ本だけだと言いたい。

それとて、万人向けのテキストとは

言い難いが。

クリシュナムルティーもまた瞑想本を

書いているが、その本を読んで分かる

人はいないだろう。彼は、人が読んで

分からないよう書いているのだから。

 

論-8において、

>この知識無くして、如何なる瞑想も

>無意味であり、

と書いた通りである。

瞑想という語を用いるなら、真実の

自己知識が優先され、それなき瞑想は、

迷走になり易い。

巷の、ネット上の瞑想は、すべからく

真実の自己知識が明らかにされては

いない。そして、実在の唯一が知られて

いない。だから総てがガラクタ瞑想だと

批判される。

仏教系のヴィッパーナ瞑想は、最低の

ガラクタだと言ったことは訂正される

ことは無いだろう。あの宗派こそは、

仏典の偽書を作った最初の団体なのだ。

そのことは皆さん知らなくていい。

皆さんが知るべきは、自己が知られる

ならば、「総てが知られる」という

知識を持とう。これが最初の動機に

ならなければならない。

26歳の時、丹沢山中に深く入り込み、

超越的な力に目覚めたのは、それを

過去記事に示したが、

「それを知れば、総てが知られる」

という揺るぎなき確信であった。

皆さんも、ここから始めたらいい

だろう。これは、すべての問いの

初めに必要なものである。

例えば、ある日のセミナーにおいて、

受講生さんが問いを発した。

「日浦さんは、どのようにしてあの

発明を成し遂げたのですか?」と。

先生の答えは、

「日浦さんは、開発の最初から究極の

答えに焦点を当てていたのです」と。

この答えを質問者は理解ができない

ようだった。

 

しかし先生は、ハッキリと明確な解答を

すでに与えたのです。

「日浦さんは、開発の最初から究極の

答えに焦点を当てていたのです」と。

もし質問者が、この言葉を疑うことなく

確信したならば、意味をくみ取ることが

出来ただろう。更には究極と言う言葉の

示す行先も理解し得ただろう。

何故なら、日浦が丹沢山中に行く決意を

したのも、究極と言う言葉の示す行先も

理解したからに他ならない。

つまり、探求の方向性が
正しければ、
問いそれ自体が、
答えを導き出して
くれる。

皆さん、この様な偉大な真理を学ばずして、

損な生き方をすることなかれ。

あなたの本性こそ、真理それ自体なのだ。