完済

負債があれば、完済も起こりえる。

カルマは想いとか思考として人を縛る。

縛られた心を自己だと勘違いをして、

プルシャも縛られる。それが人の姿。

 

カルマが膨大であろうと、プルシャを

知覚したならば、全カルマは帳消しに

なる。

カルマを消さなければ、プルシャを

知覚できないと思うならば、無限的な

苦闘を強いられる。

そうではなく、主要なカルマを放棄して、

プルシャを知覚することにエネルギーを

使う方が遥かに楽なのだ。

欲望の正体

欲望も思考も、自分ではない人の心、

エゴから生まれる。エゴは偽りの生存

欲求であり、偽りの身体感覚から生まれる。

それゆえに思考と欲望は、エゴそのもので

ある。エゴは、あなたでは有り得ない。

それゆえにエゴの消滅とは、欲望の消滅に

依る。

しかし人は、欲望から離れられない。

それはなぜか?人の心が欲望を投影して

輪廻を繰り返すエゴであるから。

それゆえ欲望を取れば、エゴは死滅する。

ここがゴールなのだ。

 

ラージャヨーガでは、離欲こそ解脱への

唯一の道であると教えている。離欲は、

欲望(エゴ)から離れること。

これと相反する同じ意味での先生の教えは、

欲することが、それへの実現の唯一の

障害であるというシンプルなもの。

 

莫大なカルマとは、欲望の履歴であり、

プルシャの知覚が、それの完済である。

 

思考と言い、欲望の放棄なくしては、

如何なる瞑想法やヨーガ、呼吸制御で

さえ、何の役に立つと言うのだろうか?

マントラ、真言の朗読、それが何の役に

立つのだろうか?もし、世間の様々な

瞑想を観るならば、それらによって、

誰も解放された者などはいないことを

皆さんも知ることができる。

このことから世間の瞑想は、ゴミの

ようだというのである。

悟りは行法やテクニックではなく、

心と言う欲望の正体の理解に依る。

この意味を理解しよう。

阿修羅の教え

Youtubeで、何処かの誰かが言っている。

「欲望は神様が与えたものだから大切に

しろ」と。☜これは、大きなウソである。

欲望は、非自己であるエゴを強化する

だけのモノ。欲望は、至高のプルシャを

身体感覚に束縛する恐ろしいもの。

だから、欲望を大切にしろと言うのは、

阿修羅とか悪魔の教えだと知ろう。