写真

ラーラ那覇ブログの記事「夏が来た」に
掲載された、一番上の写真、構図もいいし、
色彩もいい。四つ切りに伸ばし、パネルに
して、読者に売ったらいいと思う。

 

◆ハローワーク広告写真
下記は、新潟に帰郷した40年も昔の写真。
撮影当時でさえ鉄筋コンクリートの校舎が
主流であり、もはや木造校舎を見ることは
出来ない時代ではあったが、探しに探して
撮影した木造の廃校。

下記写真売¥30.000円 現物1枚のみ

写真右端の余白は、「お前たち、帰って来いよ」と
いうタイトルを付けて、ハローワークに売り込んだら、
80万円で買ってくれた。あらかじめストーリ性を
作りだし、それを写真にする。モデルのポーズも
カメラマンが決める。季節も年代も映してある。

モデルの高校生たちにも、パネル写真を渡した。
その親から、「素晴らしい記念になります」と
喜ばれ、お礼の品をもらった。
高校生(3校の生徒)がクラスの仲間に見せたら、
大人気だったとか。これだけで、カメラマンと
しての名を広めたようだ。

 

◆県展の入選作 ¥50.000円
現物1枚のみ

カメラが壊れたので、修理をと写真屋へ行けば、
買い替えないとだめだといわれ、ニコンの高級
一眼レフを買った。すると後日、ヌード撮影会の
案内が来た。よし、参加して見よう^^という
ことで、撮影会時のモデルに注文を付けて撮影
したもの。

写真クラブの支部長いわく、「ヌード、セミ
ヌード、ポートレートはありきたりだから、
コンテストへの応募はダメだ」と言った。
この支部長さん、写真を見る目が無いのだと
知る。写真を出典したら、新潟県の県展に
みごと入選。
3回の入選者は、無鑑査(プロ扱い)になる。
だめ、駄目、ダメだと言っていた支部長は、
ショックのあまり辞任した。支部長さんは、
入選したことも無いのだから。

この写真は、地方紙の新潟日報に掲載され、
審査員から高い評価を得た。そのためにか
カメラマンとしての地位も獲得した。
次には、コダック社、富士フィルムからも
プロと呼ばれていた。調子に乗ってなのか
地元に1店舗、そしてまた、銀座にも写真
スタジを構えたりした。そこでも、他の
カメラマンを尻目にして躍進していた。
あとは忘れた。。。

 

◆最高の写真
赤ヘルの日浦が、バイク横に立つ2枚の写真、
誰が見ても、芸能人か?映画スターか?と
いうもの。これ日浦だよ、と言えば、ウソを
つけ!と言われる(笑)でも、自分の写真は
恥ずかしいので未公開。
あの撮影当時、ホンダに売り込んで、80万円
もらった。

いつか、あの四つ切り写真を売りに出そう。

 

◆不思議な心像写真
夏の日中、海岸に立つ女性を写真にとる。
それは、単なるポートレートだ。
ところが、真昼の太陽がまぶしいその時、
大型ストロボの大光量をたくさん当てると、
現像した写真は、真夜中の写真でありながら
空の雲、海原の波は見たことも無い明暗と
美しいグラディ―ションを持って写る。
人物もまた昼でありながら、夜間なのか?と
思わせる不思議な写真が撮れる。その写真を
見た人の殆どは、思考が止まる。なぜなら
日常では観たことのない写真だから。
シャッタースピード、絞りの関係性を知って
いなければならないが。。。
プロカメラマンと言えど、こうした心像写真を
撮る人を見たことが無い。

 

下記は、ビューカメラ。
ネガフィルムの大きさ、 4インチ × 5インチ。
(通称シノゴ)天地と左右が逆に映るが、
現像した画質は素晴らしくいい。大型ポスター用。

 

◆ヘアーコンテスト日本一
あの頃、美容院のヘアーコンテストがあった。
写真撮影したヘアーが審査の対象になる。
このコンテストに応募して、お客の髪形を
撮影するのだが、日本一を獲得した日浦。

前方からのライトの当たらない後ろ部分の
黒髪の一本一本もくっきりと映し出された
写真は、ヘアー撮影の神業だと評価された。

そうであったから、あちこちの美容院からも
撮影を依頼される。そうであったからこそ、
そのうち撮影が嫌になるのも無理はない。

 

バイクだ、スキーだ、ハワイだ、彫金だ、
写真だ、またまた新製品の開発だなんて、
いろいろと遊んだんだねー。

お陰様で、あの頃は極楽の様だった^^

今も極楽。。。

普通の人が体験する地上時間の中で、人の
何倍も楽しめる生き方がある。皆さんも
それが出来るのだと言いたい。