如来狩り

表題は「にょらいがり」と読む。
日浦サイトの頃、記事のタイトルにしたもの。
これは、地上に肉体を持っている悪魔達がいて、
その悪魔達は、当然ながら普通の人に見えるが、
彼らの内面が悪魔的なのだ。それが高い悟りの
境地に到達するであろう人達を呼び集め、その
者に悪魔を封じ込めるというもの。封じ込めた
人の人格を破壊すると言う怖い話。

こうした悪魔の存在理由は、人を不幸にして
快感を得ると言う狂気である。そのような
狂気の思想は、「人の心に住み着くもの」だ。
歴史を観れば、幾多の悪魔達が人類を不幸に
することに加担してきたことが分かる。
現代の混乱と悲嘆を観るならば、悪魔達が
世界中に暗躍していることが皆さんも分かる
のではないか。

そのような一例として、たしか新潟に居る
ころの過去ブログに書いた体験談ではあるが、
それを知らない人も多くいるだろう。だから
その記事をここに再掲する意味は、心という
ものが如何に恐ろしいものであり、そして、
「心が大事だ」と言う世間のウソを理解する
ことに役立つであろうし、心の消滅こそが、
様々な不幸や霊的な障害を防御し得る唯一の
秘訣だという事実を知って欲しいのだ。

 

プロローグ

 ある日の昼過ぎ、心臓が激しく鼓動した。
一体どうしたことか?と思えば、爆発するかの
ような心臓の膨張と激しい鼓動が生じ、すぐに
ストン!というように心臓の鼓動が停止した。
呼吸も無くなって、脳内が真っ白になった。
脳内が真っ白になったと知るのは、肉眼で見た
のではあるまい。

そして、あたかも丸太を地面に倒すかの如く
身体はタイルの床に倒れたのだが、ドスン!と
いう音は無く、身体の痛みも全く無かった。
その理由は、身体が倒れるのを目撃する我が
そこにいたから。この時、身体は感覚も生命も
無いと知る。倒れる身体を目撃する我こそ、
身体に生命と感覚とを与える知覚の主体だった
のだ。しかしながら人はみな、知覚の主体と
客体が同一視されているため、身体に生命と
感覚とがあると勘違いしている。

肉体から抜けた我の周囲には、美しい黄金の
光りから成るシャフトを観た。そのシャフトの
中を猛烈なスピードを持って上昇する我。
はて、何処へ行くのか?

黄金の光りから成るシャフトを天空へ昇って
ゆき、そこで黄金の玉座に座る聖霊を観た。
<中略>
それからから再び肉体に戻る。そのやく1年後、
日浦は高橋信次の会社にいた。なぜ信次の会社に
勤務したか、ブログを読んだ人は分かるだろう。
ある日、新入社員が自己紹介をした。彼は姫路の
有名な寺の住職だと言い、日本の仏教界を改革
する使命があるため、信次の会社に勤務すると
言った。

はあ~?仏教界の改革だ?だから信次の会社に
勤務する?訳の分からん自己紹介を終えた彼は
近くに来て、「やあ懐かしいですね」と言った。
彼は金色のオーラを放っていた。
「茶わん様といったあの頃が懐かしいね」と答えた
日浦。住職の彼は、むかし白隠禅師と呼ばれた
有名な人物なのだ。仕事を終えてから茶店に入り、
色々と会話を交わす二人は、初めての出会いで
あるが、初めての出会いではないのだ。

日浦は会社倒産により、やむなく信次の会社に
きたが、この住職は、有名な寺が潰れた訳では
ないのに、なぜここへ来たのか。真言密教の
有名な寺は長男に任せたから大丈夫だと言った
住職は、信次に手紙を宛てたら社員として勤務
しろと言われたらしい。この話しも納得できる
もので無かった。信次はなぜ、黄金のオーラを
放つ彼を信次の会社に呼んだのか。

住職が入社して約2ヵ月を過ぎた頃、悩みがある
からと相談を持ち掛けられた。彼はこう言った。
「私はあなたのような巨大な黄金のオーラでは
ないが、小さいながら黄金のオーラを放っています。
でも、その中に黒い光りが居ることを気づいた
のですが、それを自分では取り去ることが出来ない
のです。心の中に黒い光りが居座るため、自分の
心を自分で制御できず、苦しんでいます。」
そう言われたので、住職の心を透視して見れば、
驚きの悪魔がいたではないか。

それは、約300年まえの時代、真言密教を修練
した大僧正の高圧的な姿であった。大僧正は
僕に向かい、こう言った。「こいつは、俺様を
追い出すことが出来ず、苦しんでいる。苦しむ
こいつより力は俺様が勝るのだ。ワハハ・・・」

苦しむ住職の心中に居座る悪魔・真言密教の
大僧正は厳しい修練の結果、ある程度の霊的な
力を獲得していたのだ。しかも肉体を持たない
霊的存在は、肉体をもつ住職よりも大きな力を
使うことが出来る。

 

知らずと悪魔への道

真言密教の大僧正と名乗る悪魔の言い分を聞いて、
当時の日浦が思ったこと。宗教のすべて、真言密教と
いえど、自ら悟りを得て、苦しむ人を救済する真実の
教えを説くこと。それが修練することの本当の意味で
あると言うのに、人に憑りつき、人を苦悩させて悦に
浸る大僧正は、大馬鹿な悪魔だと思った。

真言密教は、心の浄化と言う概念が無く、ただ霊的な
力だけを求めるもの。ただひたすら真言を唱えながら
努力して稀に得る霊的な力の本質は、エゴという心に
超能力が加わるのだから、それが悪魔への道になる
のは必然である。こんなに単純な理さえ知らない?
大僧正は外道だと知った。

 

住職が入社した時、この黒い光りは無かった。
入社二か月後、黒い光りが住み着いた。この理由を
信次が知っているとのフィーリングが湧いたので、
退社後、信次の自宅へ行き、住職のことを聞くと
驚きの答えがあった。
「ああ、あの悪魔は、僕が彼の中に封印したんだ」と
自慢げに言った信次。この信次も力を自慢した。
「なぜ、そのような事をするんですか!」と日浦。
するとまた実に恐ろしい返事が返ってきたのだ。

悪魔ってなに?

当時、信次先生と呼んでいた高橋信次の口から
出た意外な言葉は、「僕が指名した守護霊を彼が
拒否したから生意気だ。だから彼の力では決して
排除できない屈強な魔王を封じ込めたから、彼は
廃人になる。」と言うモノ。それを聞いて固まる
日浦。
だが会員や幹部からは、偉大な先生と呼ばれて
いるから、それなりの理由があるのだろうという
善意的解釈をする反面、大きな疑いも湧いた。
「もしかして、この先生も悪魔かも知れない」と。
そしてまた次の想念も湧いた。
「悪魔を封じ込めたと言うからには、もしかして
この先生が悪魔達の元締めなのか?」というもの。
しかし、そういう聞き方はさすがに出来ないので、
信次の家から退散した。

① 私の言うことを聞かない者は、廃人にする。

② 住職の自由意思、選択肢を認めない。

③ 住職が望んでいないのに、正体不明な守護霊を

  強制憑依させる。

④ 先生が指名した守護霊とは悪魔なのだ。だから

  住職はそれを否定したのだ。

⑤ 指名された守護霊を拒否しても、しなくても

  悪魔を押し付ける先生。

上記の要点から、先生は共産党の思想と重なる。
①から⑤は、まさに暴力そのものだ。

魔王を封印された住職は、まともに仕事も出来ない
ほど混乱したので、遂に退社の運びとなった。
それを見送る人は、日浦だけだった。先生も社員も
見送りをしなかった。気違いなど見送らないという
先生と社員たちだった。

姫路に戻った住職は、寺の仕事も出来ず、すべてを
長男が仕切ったと言う。住職との手紙のやり取りは、
約1年半も続いた。最後の手紙には、「あの先生は、
正に悪魔でした。」と書いてある。

壊れ切った情けない父の日常を見て長男や家族は、
あの先生と教団を深く恨んだそうだ。そして、彼の
最後の手紙には、「仏法を学んだこの自分が悪魔を
見抜けなかったのが禍の原因でした」と書いてある。
さすが白隠禅師。人のせいにせず、因果応報の理を
知る。

あの時、白隠に封じ込められた魔王を一撃退治する
ことが出来たのだ。その力がある事を知らなかった
おバカな日浦。白隠に限らず解放してあげたい人は、
大勢いる。

グリコのおまけ
人がもし魂に立ち返るなら、どのように屈強な
悪魔でさえも何の影響も与えることが出来ない。
憑依はマインドに起こり、魂には起こらない。
それゆえ心の消滅こそ、すべての不幸から解放
される道。だから、心が大切だなどと言っては
いけない。この記事を読者は、どう受け止める
のだろう?

如来狩りの記事 終わり