無欲至福

本末転倒の人生論

世界の人は、誰もが自分自身が何者かを知らないまま、

淡い希望を抱いたり、大きな願望を投影したり、様々な

欲望を原動力とし、また、カンフル剤として生きている。

それは、幸福を求める本能ゆえと言うよりも、自分自身が

幸福ではないと言う根拠なき想念があり、そうした惨めさを

埋めるためにか、いつも何らかの希望を投影するのである。

 

しかしながら現実社会の中では、自分の欲望のすべてが

満たされることは無く、いつも渇望状態に置かれている

からこそ、繰り返す欲望の衝動に駆り立てられる。

人は、いつも徳望と言う幻想に支配されている。それに

気づく人は稀である。

努力に努力して得た諸々の欲望の様々な成果は、一瞬の

喜びであり、つかの間のものであり、やがて色あせて、

干からびて、価値をも失うものだ。皆さんもそうではない

だろうか?

男女の熱烈な愛でさえ、やがて色あせるのだ。そうでは

ないか?愛の破壊も生まれたりする。それは、この世とは

薄情な世界ではなく、人の心が薄情であるから、悲しみが

生まれ出る。

つまり人は、欲望がある限り、希望がある限り、悲しみと

苦しみとを背負う生き物だと言えるだろう。

そしてまた、自分が抱く願望や希望が得られないものだと

知りつつ、抱く願望それ自体が自分を惨めにもするのだ。

このことに人は気づいているけれど、それを認めることが

出来ない。なぜか?

世界の人々は、生きるための衣・食・住という基本的本能

から始まり、過度な過剰な欲望をもたぎらせる。人を支配し、

人の暮らしを破壊してでも。。。そのためには、ウソも平気

であり、他人のお金や物を搾取もする。他国の支配、世界の

戦争は、武器ではなく、人の心が創造するものだ。

 

欲望の正体はなにか?

人の多くは、不幸になってから、初めて幸福を希求する。

初めから幸福を希求する人は極めて稀なのだ。何故だろう?

あなたが、この世的に何処の誰であれ、高学歴であれ、

人生の成功者、或いは、敗北者であろうと、あなた自身は

身体でも心でもなく、また、この世に生まれて来てさえい

ないのだ。それゆえ、「わたしは生まれた」という偽りの

観念こそが、無限的な過去からのカルマである欲望の相続者

であり、また徳望の創造者なのだ。だから欲望に終りがない。

つまり苦しみと悲しみに終りがない。

わたしと言う偽りの観念が、あなたを苦しめたり、悲しみを

生みだす創造者なのである。

わたしという観念・自分は身体だ・心だという観念が偽りで

あるからこそ、あなたが世界へ投影する日常の諸々の欲望・

願望・希望もまた偽りのものなのだ。つまり偽りが生み出す

偽りの子供、偽りの無限数の孫たち。このことを人は気づけ

ない。だから欲望に正当性を与える。そしてそれが苦しみを

生み出す。このような幸福を希求しながら、不幸を生む負の

スパイラルを皆さんは、何百万年も延々と繰り返しているにも

関わらず、まったく気づけない。困ったものだ。

 

あなたの属性は、無である

「希望」と言う美名のものは、実のところ単なる欲望であり、

あなたを苦しめる根源的な苦の要因なのだと知ろう。つまり

苦悩の原因は、ただ欲望なのだ。そして欲望は偽りなのだ。

だから、あなたの苦しみ、悲しみ、不幸もまた偽りなのだ。

離欲こそ、解脱への唯一の道であると悟った古人たちは言い

残している。だが、欲望の相続者・欲望の創造者である心は

それを決して認めない。理解しないのは、心は無知であり、

あなたではないからだ。

この世を投影する原因の世界は、この世に在る訳もなく、

見ることも触れることも出来ない不可知なる非物質の霊的

世界であり、それを人は知らない。

しかし、それを知ったならば、すべてのマインドの欲望は死に

絶えて、そこに永遠の至福が現れる。無欲とは、人が言うような

実践が出来ないような倫理道徳的な規範や観念に非ず、自然界の

法則をも支配する高い境地であり、そこにおいては、何であれ、

望みはすべて叶えられる。なぜなら原因の世界にいるのだから。

そこに不幸も悲しみも、苦しみとその原因も存在し得ないのだ。

あなたの属性は、無であるという意味は、幻想のマインドが

生む欲望を消し去った境地を無という。非物質の世界を言う。

 

この自然界は、これをマーヤ・まぼろしとも呼ぶけれど、それは、

人の身体と心を支配下に置く。けれども解脱した魂のために役立つ

ために在り、解脱した魂にとって、マーヤであった自然界が実在と

なり、無限量の宝物を運んでくるのである。これが恩寵の意味で

ある。

マインドの欲望である衣食住の基本的な欲望さえ、マインドが

抱かなくても、自然のいわば精霊たちが運んでくる。この精霊

たちは、解脱した魂にのみ、その姿を露わにする。だから解脱

したならば、生活のために働くことさえ要らなくなり、文字通り

自由になれるのだ。だからこそ、心を自然を、宇宙を支配下に

おさめた魂の自由な境地、つまり解脱の境地にあこがれを抱く

ことが重要なのだ。そこがあなたの定住の地なのだから。

離悪恩寵・無欲至福と覚えておこう。

 

悪魔の教え

この不変の真理に反し、何処かの誰かが大きなウソを流布して

いる。「欲は、神様が与えたものだから大事にしろ」と。

この論説は、人を偽りの欲望に縛り付けて、人を不幸にする

ための悪魔のプロパガンダである。これを悪魔教とも言って

いいだろう。悪魔とは、至福の自己を知らない無知なる破壊者

なのだ。その悪魔の正体とは、人の内に巣食うエゴである。

彼の欲望に関する論説を分析すれば、次のようになるだろう。

「欲は、悪魔が与えたものだから大事にしろ」という意味であり、

これを疑いなく受け入れた人は、すぐさま悪魔の仲間入りをする

のである。面白いこと、儲かる話、男と女の話しなどは、人の

興味を引くだろうが、それらへの興味そのものがマーヤへの強い

束縛であることを知るならば、彼の講演会等は、聞かないほうが

善いということになる。悪魔の本質を理解することは、悪魔とは

相対的な絶対善の自己を知るよすがになる。

君よ、ド低能な悪魔ごときになって、どないすんねん?