体験報告

日浦先生
しばらくぶりに瞑想体験を報告いたします。
過去に実践していた瞑想も報告いたします。
私は二十歳位からTM瞑想を始めて後の途中で
仙道に興味をもったり、四十歳前には、中国で
興った道院の先天の坐法を行っていました。
さて、TMの話しからいたします。
若い頃の私にとって、TMは空中浮遊の出来る
テクニックを、一般社会に公開された瞑想法だ
と思い、絶対習得したいものだと思いました。
それで、TMスタッフ(インストラクターの
補助や賄い仕事をする人)として働いて、
シッディコ―スも受けました。
昭和50年代、TMは、雑誌にも取り上げられ、
テレビの取材もうけました。それと並行して
高藤聡一郎の書いた仙道の本も真似ごとをして
ました。これは自分には難しくて、途中でリタイ
アしました。
TMはマントラを唱えるということですが、本来は
想う、考えると云った方が正しいのかもしれません。
そのころこれが自分にはピッタリ合っていました。
その方法はここでは述べませんが呼吸が止まる現象や
体が拡大するような感じ、またその逆の感じを体験
しました。その様な事は頻繁に在ることではなく、
たまには体験したということです。
その事をインストラクターに報告するのですが、
それにとらわれずに又マントラを想いなさい。と
いう答が返ってくるのです。ふつふつとわきあがる
雑念、想念それはストレス解消というもので放って
おくということでした。毎日の朝夕20分、気分は
スッキリとなりました。ただ自分の精神の向上や
悟りにはどれだけ近いのかなぁという思いを持ち
つつ、ただ単に続けていました。
その後は、TM関係者とも疎遠になっていきました。
思うにTMは、体の健康を維持するには良い瞑想法
かなと思いました。そして又、スピ世界の本をいろ
いろと読みあさり、それで出会ったのが奥多摩大
岳山に住んでいる仙人?笹目秀和(恒雄〕さんでした。
彼に会いに行き。そこで先天の坐法を教わって、TMを
止めて、その坐を始めました。結跏趺坐をしないで
椅子に座り、無形の天界を眉間付近から眺めるという
やり方です。これもエネルギーが入って来てよかった
です。
結局のところ時間がたつと、TMをやってみたり、坐を
やってみたり、あっちにいってこっちにいって、なんの
進歩もなかったかな⁉️(ちょっとはあった)それでTMで
いう存在という絶対的なものを道院では無形の天界。
これはどんなもので、何処にあるのか?霊とは何か、
心とは何か、想念とは何か、私は、TMでも道院でも
学ぶことができなかったのです。つまり、悟りを開いた
グルの存在がなかったのです。

さて、ラ―ラジャパンの日浦先生のセミナーでその答を
知って溜飲が下がりました。今は完全に真我とは何か、
肉体とは何か、想念、思考とは何かを知ってその答えが
自分の中にドンと入りました。後は日浦瞑想をして修練
するのみです。
それと会社やコミュニティ、日常生活で関わる人の自分に
対する態度、言葉、行動、それに対して自分にわき起こる
想念思考は、一旦呼吸を置いて、先生が言うようにこれは
自分のものではない。と思うととても楽です。
瞑想を始める前に、この世は実存ではない、この体は本当の
私ではない、思考は同調しないで無視をして只眺めてる。
と言い聞かせてはじめています。すると呼吸は本当に静かで
浅くて穏かです。一時間前後の瞑想です。眠りは未だ体験なし。
もうひとつ、瞑想は待っているのではなく、絶対サマディに
到達するぞという気を出してやると自分の納得する瞑想に
近づくようにおもいます。以上、体験レポートでした。

日浦のコメント
体験レポート有り難う。君が学び、体験したことはもう
必要のない過去になったのだ。だからもう過去は忘れて
しまうがいい。これへのコメントの根拠を述べよう。

紫蓮さんとの最初の出会いにおいて、紫蓮さんの霊的な
能力を試すため、僕が質問したことは、
① 僕のオーラが観えますか?
② 僕の過去世が分かりますか?

この二つが主題であった。このことは、ここでの記事に
したので、詳しいことは省略する。
初めての出会いの年末、お正月は暇だと言われるから、
ウパニッシャド、ラージャヨーガの本をお渡しした。
いま思えば、大変な失礼なことだとは知らなかったのだ。
知らなかったからこそ、その失礼は続いたのである。
正月も明けた新年の出会いにおいて、二冊の本を読まれた
感想をお聞きした。これも実は、大変な失礼だったのだ。
そして、紫蓮さんから返された言葉に日浦は驚いた。
それは、「誰が書いたのかと言うことです」というお言葉を
受けて、あたかも大きな落雷があり、それが日浦の脳天から
背筋を貫くがごとき、莫大な情報が一瞬の内に蘇ったのだ。
それは、ウパニッシャドでさえ、形骸化していたのだという
こと。ラージャヨーガでさえそうだ。ということの会話に
なったのである。<中略>

TMを創設したマハリシは、大学まで出たようだが、既に
形骸化したウパニッシャド、ヴェーダ―を学んでいたから、
その知識はあったけれど、彼は解脱者ではないから、そこへ
至る本当の道筋を知らず、単にマントラを唱えよと言った。
そうだからTMをいくらやっても、人はゴールへ到達する
ことは無いだろう。TMから分派した他の瞑想も同じだ。
<中略>

紫蓮さんとの会話の中で、これから先、ヒーリングセミナーを
開催するため、何か資料が必要だという思いがあり、そして
また、セミナーで教えることは、このようなウパニッシャド、
ラージャヨーガという過去の歴史があると言うことを受講生に
伝えるため、その二冊は、第一期受講生に渡したのである。
しかしセミナーにおいて、ラージャヨーガの詳しい解説さえ
しなかった理由の一つは、誰にも難解すぎること。そしてまた
二段階か、一段階でいいものを八支則・八段階に現している
ことにある。<中略>

日浦が教えるものは、中学生にでも出来る第一段階の瞑想と、
同じく中学生でも意味を理解し、実践できる第二段階の瞑想
であり、第一と第二をつなげると、ひとつになる。
つまり、日浦が教える究極のメソッドは、唯ひとつであると
言うことも出来る。その唯ひとつは、総ての修練が含まれて
あり、隠された修練方法や隠された教えは無いと言うことで
ある。そして、オームやマントラの唱和は要らないのだ。

今回の体験レポートのコメントを書くために、ラーラ府中の
記事「心の観察」を待っていたのだ。彼自身が体験した心の
映像化について、他の瞑想教室では教えないだろう。それを
観た彼は、大きな進歩である。やがて自分の心だけでなく、
他者の想い、心を映像として観ることが出来るようになり、
原因と結果を同時に見るようになるだろう。それが霊眼の
開花へつながるのだ。それはまた既存の宗教やネット上の
スピリチュアルや瞑想は、ゴミ以下の有害なものだと分かる
ようになる。ラーラ府中は自主セミナーをやる上でも大きな
自信を得ているのだ。


1月のセミナーで教えたことは、ある意味での驚愕すべき
単純な事であるが、それを例えば、ラナママハルシさんも
説いていない。知らないから説けないのだ。つまり教えを
広めるためには、たとえ中学生でさえも理解し、それを
やり遂げるように単純化された物でなければならない。
1月セミナーでは、その奥義を明らかにしたものであり、
それがこれから先の各地ラーラ自主セミナーを通して広く
広まるであろうということだ。それはまた、目覚めた人が
多く生まれるであろうという予言の根拠になるのだ。
これこそが世界をより良く変えてゆく唯一の道である。
1月に公開した秘儀は、ある意味での危険を伴うから、
日浦の光りを受けるセミナー参加者にのみ公開するもの
とし、このブログでは非公開とする。

無知の破壊
読者には、もういちど言って置こう。世間の宗教とか、
何々瞑想だとか、すべてのㇶーリングは、その全部が
ゴミ以下なのだと言うことを。君たちは、偽りを求めて
満足するのか、それとも真実なるものを求めて満足する
のだろうか?過去において、騙された体験のある人は
大勢いるだろう。それは無理もないのだ。
本物と偽物を見分ける力が無い人を無知と言うのである。
宗教とか、何々瞑想だとか、他のㇶーリングをやる人たちは、
真実に対し無知ゆえであり、それは、マーヤに強く束縛されて
いる人達である。そんな彼らが出会う「これこそ真理だ」は、
すべてが偽りなのだ。この世は、まぼろしなのだから。
だから無知を破壊しない限り、人は悲しみと悔し涙を流す。
では、無知の正体は、いったいなにか?というならば、
それは、心であり、マインドであるから、心の観察により、
無知と言うマーヤは破壊される。だから心の観察をする
ことなく、外側の物事を信じる人は、誰もがマーヤに束縛
された奴隷なのだ。
「やあ奴隷君、元気かい?」

無知というマーヤを破壊するラーラ・ジャパンの教えこそ、
真実なる「宗教」であり、教祖と教団を有する必要のない
開かれたものであり、本当の自己に到達するための真実の
「瞑想法」であり、本当の自分の力の現れこそ、「メビウス
ヒーリング」である。ということが分かりつつある人たちは、
無知から解放される可能性がある。