思考の彼方

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記事「唯一が欠ける」の中には、四大宗教その

他の宗教には、「唯一」の確信がないと書いた。

それは、哲学や心理学、政治や経済、教育も同じ

である。時代を問わず、人種を問わず、国を問わず、

職業を問わず、あらゆる分野における思考と知識

それ自体、「唯一」の確信を知覚できないのだ。

なぜか?

その理由は、人に心があり、思考があるからだ。

この世の知識のすべては、思考の産物だと言う

現実は、皆さんも認知するだろう。人が科学的、

理性的に思惟することにより、今日の文明も

技術も進歩したと言う現実を見ながら、それでも

唯一の確信が欠落しているのである。

唯一の確信については、その意味を言葉や思考に

よって語り、また、それらを思うことができる。

しかし、思考それ自体は、消し去るべきマインド

の産物であり、唯一の実在では有りえない。

人の理性も思考であり、本能は、体験した過去の

記憶であり、推論や仮定は、思考であることを見る

なら、人が何を考え、何を努力しても所詮は思考の

手中にあるのだ。誰もそこから抜け出すだすことが

出来ない。

とはいえ、心、思考を消滅した人は、実在の唯一を

知覚する。

密教の真言や加持祈祷は、思考と思考の言葉その

ものであり、それらはやがて、知識になる。経典を

書くのも読むのも思考である。思考や知識によって、

唯一の確信という思考の彼方へ行くことは出来ない。

記事「宗教考」において、宗教は、教祖の娯楽だと

書いたのは、そういう意味である。すべての宗教は

他者の思考が生み出した過去の知識と自分の思考に

よって練り綴られたものであり、思考の彼方へ到達

していない。思考に捕獲されたままなのだ。

それゆえに宗教は、ファンタジーだと言ったのは、

教祖の思考(ファンタジー性)という意味なのだ。

 

このブログでは、宗教批判と言うより、教祖それ

自体への批判が語られている。それは、なぜか?

唯一を体験しない者達たち、教祖たちは、神や魂、

あの世を語ることは出来ないのだ。実在の唯一を

体現しないまま、それらに関することを語るから、

宗教は荒唐無稽な言説だと言うのである。知らない

くせに、知ったかぶりする者は、人を騙すのだから、

批判されるのだ。

唯一を説く教祖は、どこにいるのだろう?日浦は、

そのような教祖を見たことが無いのだ。皆さんは、

見たことがあるのだろうか? 

臨死体験のウソ

人の思考は、いったい何かというならば、それは、

物質の素粒子群の結合と反応であるから、観えず、

聞こえず、また触れることは出来ない。それゆえ

思考によっては、非物質の「唯一実在」を知覚し

認識することが出来ないのだ。非物質なる「人の

本性である唯一の確信」は、思考が介入することは

出来ない。

にもかかわらず、神が存在するとか、あの世は有る

とか、無いとか言い、臨死体験をしたとか、転生

輪廻は無いとか、有るとか言い、魂は無いとか有る

とかいう。それらは、すべて思考である。

ネット上で、ノンデュアリティを語るも単なる思考

である。思考は、実在ではない。

 

臨死体験の報告は、天井あたりから、ベッドの上の

自分の身体を見たといのが多い。だがしかし、天井

あたりにいたのは、素粒子から成るマインドのボデ

ィーなのだ。これをエーテル体と呼ぶ人も居る。

心とは、エーテル体を言うのである。マインド・心は、

微細な物質である。心に思うことのすべては、微細な

物質に反応である。

本能や感情、思考も理性も。物質は、非物質を知覚

できない。マインドが臨死体験をしたと言っている

のだから、臨死体験も思考の産物なのだ。それは、

臨死体験とは言えない。らマインドは、疑似的な

臨死体験をすることができると言うだけのことだ。

身体が崩壊した時、あの世へ行くのはマインドの

ボディーである。これがエーテル体だ。マインドが

行くあの世は、微細な物質の世界であって、非物質

なる唯一実在とは異なる。あの世も階層があるのだ。

皆さんの多くは、マインドさえ観ることが出来ない。

なぜなら肉眼で、素粒子を観ることができないから。

物質である思考の働くことの出来る活動範囲は、

物質的世界のモノに限定される。思惟したり、推論

したり、憶測したり、空想することである。思考の

マインドが見る夢は空想そのもの。だから皆さんは、

目覚めていながら偉大なる空想家でもある(笑)

つまり、マインドが有る限り、人は非物質の自己を

知覚することが出来ない。思考がある限り、自己を

悟ることは不可能と言える。

それ故、マインド・思考を持つ人は、神を語ること

さえ出来ないのだ。本当は。マインドは微細な物質

であり、唯一実在は非物質であるから。 

にもかかわらず、この世界には、思考による神を

空想的に説く詐欺師的な宗教者が大勢いて、死後の

世界を、ああだこうだと真実っぽく語る宗教者もいる。

それ自体が詭弁なのだ。そんな輩に限らず、虚言を

真実っぽく語る人達が沢山いて、日々色とりどりの

マインドのウソ花が咲き競う。咲いては散り、

散っても枯れても咲くウソの花。

つまり、世界とは、ウソから成ると言ったように、

マーヤは、事実上のマジックショーなのだ。

 

然らば、思考の彼方とは、どこか?そこは北極星でも

指し示さない。彼は物質だから。

 

結語:唯一実在である自己に還り着くためには、

思考を完全消滅させればよいということ。唯一

実在は、思考も超越している全能だから。