唯一が欠ける

こんばんは、◯◯◯です。答えではない
ですが、こんな気持ちです。
比類なき
真の教えは
語られる
感涙ととも
こころ流れよ

揺るぎなき
確信いたる
確信を
すでに受けるを
恩寵としる

こんばんは
いつも ブログ記事の拝読をさせて頂き 
学びになります、ありがとうございます。
先生だからこそ 真理の真実を語られる
内容には 毎回圧倒されますが、この度の
記事も ズバッ!と全宗教界を斬る圧倒的
な記事に爽快感がありました。本当に凄い
です!という漠然とした感想ですがいつも
言葉足らずですみません。

 

【 無断転載・流用を禁ず 】

千手観音の記事のなかで、行者の話しを出したのは、

行者が取り組む山岳宗教の修験道等は、それ自体が

発祥元ではないと説明するためである。

地上の霊的修練の流れを俯瞰するとき、インドが

発祥の地である。最古の文献と言われるリグヴェ

ーダが現されるより先に、生じた霊的修練方法は、

幾多ヨーガよりも先駆的なモノがあった。それは、

秘匿されて伝承されてはいない。ウパニシャドの

中にさえないのだ。

ヨーガは広く拡散され、それゆえ様々な学派が生じ

衰滅し、その繰り返しであった。秘密を隠し持つ

システムが確立するまで、試行錯誤の長い時代が

必要だったのだ。後世へ引き継がれたヨーガは、

禁令が定められ、一般に公開されない。

公開したとしても、唯一の確信が隠されている。

なんとなれば、ヨーガは、秘密主義であるから。

というか、ヨーガも唯一の確信を知らないのだ。

 

ヨーガは、アジアの諸国に伝播して、各地固有の

文化と同化した。それらが旧約聖書、ユダヤ教、

仙道や密教、日本書紀、真言密教、神道、山岳

宗教その他、エトセトラ。世界の四大宗教でさえ

唯一の確信が入っていない。これらが人類支配の

ネタ元・シード(種子)になったのだ。

隠されたシードの唯一確信への修練方法を明らかに

するなら、それが客観性を持つので、すべての霊的

修練方法は、秘密を持たない原初の状態へと解体さ

れるのである。そしてまた地上にある宗教の全てが

唯一を知らないインチキであるとして、転覆する

時代が近いのだ。

それは、なんであるか、読者も気づきつつある。

 

リグヴェーダよりも前に現れた、唯一確信の種子は、

総ての宗教の中に入っていない。唯一の確信が再び

説かれたのは、ゴーダマ仏陀の教えである。それは、

身体に束縛された魂の解放なのだ。この日浦が語って

いる内容がそうなのだ。

何故かって?

日浦は、ゴーダマ仏陀のサブを務めた霊的存在である

から、誰よりも実像のゴーダマ仏陀、その教えの真髄を

知っているからである。

これとは逆に、唯一確信の種子が無い宗教・宗派なら、

人を目覚めさせる力はなく、真理と言えない。非真理の

宗教思想が地上を覆っているのだから、人類は人生と

言う夢の眠りの中にいるのであって、寝ても覚めても

夢の中にいるのだ。

そしてまた、目覚めよ!と言ってウソを刷り込む者が

絶えないこの世界。まぁーやぁーだねえ。。。

 

密教は、阿修羅を祭る秘密の教えであり、力の獲得が

目的である。ゆえに仏教に在らず。それは、オカルト

パワーであって、唯一実在の種子が無いから、真我の

力ではない。加持祈祷の真言密教は、いったい何か?

それは、カルトなのだ。

実像のゴーダマ仏陀の教えには、加持祈祷や真言など

無かったのである。真のヒーリングは、真の宗教には

加持祈祷など要らない。有ってはならないものだ。

それゆえ加持祈祷など無くして、望みをすぐさま成就

する教え、それがゴーダマ仏陀の教えなのだ。

日浦の教えにも加持祈祷は無く、祈りや真言さえ無く、

それらを戒めているのは、ゴーダマ仏陀の流れを汲む

からである。

仙道や神道、山岳宗教の修験道もやはり唯一確信の

種子が入ってはいない。彼らが求めたのは、知らずと

オカルトパワーであった。なぜなら唯一の確信と言う

種子が無いからこそ、求めたものがオカルトパワーに

なったのである。

オカルトパワーを獲得すると、感覚器官が極度に高まる

ので、驚くほど苦痛が激増するのである。自業自得と

言う事である。このオカルトパワーを定義するなら、

「エゴと力の結合」であり、それは、「力を渇望する

エゴ」であり、それが悪魔の性質なのだ。それが権力

志向を生み、自分と他者を害するのである。密教が

求めた悟り、霊的力、加持祈祷などは、唯一の確信と

いう、その本質が知られていないからこそ、偽書の

経典を読み、読経し、念ずる行為は、すべからく

破壊すべきマインドの運動であったのだ。つまり

マインドを破壊すると言う唯一確信の種子の知識が

無かったからである。地上の歴史は、すべからく

そのような流れがあった。もちろん今もなお。

 

日蓮宗は、仏教に在らず、日蓮教である。なぜなら

日蓮は、ゴーダマの教えに直接触れない赤の他人で

あるから。同じく、原始仏教、大乗仏教、小乗仏教、

チベット仏教、上座仏教などの「仏教」という冠を

持つ宗派のその総てが、ゴーダマ仏陀の教えに触れて

いないから、仏教に在らず、固有の宗教である。

大乗、小乗、原始というのは、ゴーダマの仏教では

ないことを暗示しているのである。

にもかかわらず、最初の偽書(パーリ・仏典)の

知識を採り入れて、自説を加えたものに「仏教」の

冠をつけるのである。なぜ、そうなったのかと、

人は考えなければならない。考えても答えを得な

いかも知れない。人は、他者の模倣によって自己

主張する生き物であるからだ。

現実は、仏教宗派に様々な違いがあり、それらの

教義と仏典類は、みな異なるのである。それは、

唯一の確信を知らず、ゴーダマ仏陀の教えを知ら

ない証拠であると言っていいのだ。

例として、チベット仏教の間違い(魂が人に生まれ、

六道輪廻する)とか、テーラワーダ協会の「魂など

無い」というウソの教えの間違いについて過去記事に

書いたように、その両者にも、唯一の確信が入って

いないのは明らかだ。他の宗派も全部そのようなモノ

であるから、仏教の冠をかぶるものの、所詮は固有の

宗教である。

仏教思想の中で、悟りの彼岸に到達する、或いは、

涅槃の境地に到達する、と書いてあっても、それは、

抽象的概念であり、単なる言葉でしかなく、それらは

当のものでは無いことを分からないのだろうか。

何となれば仏教者でさえ、涅槃とか解脱は、ニルバー

ナーと異なると言っているから、仏教理論の曖昧さと

矛盾を露呈しているのだ。ニルバーナーとは、神様の

名称だと言う学者もいるから、その無知さには、開いた

口がふさがらない。このように宗派が乱れ異なる経典を

持つこと自体、仏教各派は、唯一の確信が明確ではない

という指摘が生まれる。

仏教に疑問を持つ人よ、この説明によって、スッキリ

納得できるのではないだろうか。

北極星の教え?

地上の旅をするとき、地図も無い昔の時代であれば、

星を頼りにしただろうが、現代のように緯度、経度を

示すほどの正確さに欠けていたのだ。

弟子:親愛なる師匠よ、ニルバーナーとは、何ですか?

   また涅槃とか、解脱とも異なるものですか?

師匠:難しいことを聞くものでは無い。悟れば分かる。

弟子:では、どのようにすれば、悟れるのですか?

師匠:悟りの彼岸がある。そこへ行け。

弟子:悟りの彼岸は、どこに在るのですか?

師匠:あっちだ。あっちへ旅せよ。

弟子:あっちとは、どこですか?

師匠:いまここではないことは確かだ。北極星を見ながら

    旅をしろ。そうすれば、いつの日か分かる。

弟子:(ああ、こんな師匠から離れよう)では、北極星を

   見ながら旅をします。師匠よ、さようなら。。。

このような過去の旅の仕方であれば、先ず始めに目的地を

明確に具体的に知らなければ、そこへ到達することは不可能

と言える。この例えは、地上にある宗教の在りようを指して

いるのだ。歴史に支えられた宗教と言え、ただ歴史という

膨大な時が流れただけであって、最初から明確な目的のない、

しかも緯度経度の示された地図なき旅のようなものだった。

それが、あっち、という「北極星の教え」⇦ 響きいいね。

緯度と経度は、国と人種を超えて、また時代や宗教宗派を

超えて、誰もが到達すべく唯一の確信のことだ。

これを不二、二元性を超えた一元性・単一性とも言う。

それが唯一のこと。唯一・単一には、宗教の違いや思想の

分離も対立も起こり得ない。相対性も多様性も超えた無限

なる絶対なる者。それ故に、「唯一の確信」と言う表現を

使うのである。ここに書いたのが、ノンデュアリティでも

あるのだ。

無知な ノンデュアリティ

ノンデュアリティをネット検索してみたら、6ページ以上
あった。一応は目を通してみた。しかし、誰も分かって
いないファンタジストばかり。エックハルトも悟った人
じゃあないんだよ。彼の「思考は本当の自分では無い」
発言は、ラナママハルシさんその他からのパクリでしか
ない。それでいて、わたしは、こう考えますなどと言う。
大和田菜穂のファンタジー冷笑^^
唯一の確信は、生命現象を超えていることを彼らは知ら
ない。ノンデュアリティを語る者はみな、言葉の根拠を
隠す人たちだ。あっちへイッチャッテル人。これをスピ
風に言うなら、イッチャッテル星人?彼らがこのような
人達だから、日浦の論説を読んで、それを引用して真似
して欲しくないんだ。そうだから、「無断転載・流用を
禁じ」ているわけさ。
ネット上のノンデュアリティなんか見てはいけない。
馬鹿になりたくなければ。。。

 

キリスト教の欺瞞

唯一確信が説かれていない偽書である聖書を、真実だ
と主張する牧師は多くいる。これは某牧師のブログの
引用だ。「聖書が正しいのは、2.000年の歴史があり、
世界中で最も多く読まれているものだから、聖書は
正しいのだ」とある。
この牧師の間違いは、聖書は1.000年の時を経ながら、
どこの馬の骨が加えたのか分からないモノであるから、
2.000年の歴史があると言うのは、ウソになる。事実は
1.000年の歴史なのだ。
そのむかし、地球は平らで在り、太陽が地球を廻って
いると世界が信じた時代があったことを知るならば、
世界中で最も多く読まれているから、聖書は正しいと
言うのは、なんら正当性がないのだ。
牧師たちは、ただ信じたいから、盲目的に信じている
だけの無知な愚か者だ。その証拠とも言えるのは、
キリスト教の一派である王国会館の書には、「聖書は、
5万か所もウソが書いてある」と書かれてある。
そんないい加減なものを、一体、どうして普及させる
のか?彼らは、頭が悪すぎる。悪質でもある。

 

皆さんは「唯一の確信」について、このブログを通して

知ったのだ。緯度経度を示す正確さを持って。

皆さんは、そこへ行くことになるだろう。「そことは、

どこか?」と聞かないように。繰り返し、様々な語り

口を持って、このブログに書いてあるのだから。

 

 クイズ

皆さん、自分の成長を促す学習のために「唯一の確信」と

いう言葉の意味を文章にしてみよう。要点を抽出するよう

なるべく短文がいい。今回は、賞品はないよ。

後日、ここに模範解答を書くか、書かないか。 。。