心の浄化

【 無断転載・流用を禁ず 】

ここでは、皆さんが解放のジャンプ台に立つための、

またそこへ立てないことの幾つかのエレメントを

明確にしておこう。

今まで、自我の消滅、エゴの消滅、想念と思考の

観察と消滅、カルマの消滅を説いた。そして、

欲望の消滅と感覚の制御も必須になる。それらを

まとめると、上記を包含するところの心という

働きの消滅ということである。

 

魂を身体に束縛する主要なエレメントは、カルマ

であり、無限量のカルマを貯蔵し、それを再生する

場こそ、新たなカルマを蓄積するところの心と呼ぶ

不可解な空間である。

心の消滅と心の浄化は、言葉の違いがあり、意味も

違いがあるように思えるだろう。両者の意味は、

心の働きの浄化によってのみ心の働きである思考や

想念が消滅するというものだ。

しかしながら、このように心を観察したり、消滅

させるべき幾多のエレメントがあると知れば、

それの修練がひどく難しいものだと思えるだろう。

出来る訳が無いとも思う。そう思えばこそ、次の

ような想念が湧いてくるだろう。

「そんなに難しい修練を強いるなら、確かに非苦も

あるけれど、楽しいこともある人間のままでいい

じゃあないか・・・」

これが皆さんの魂の解放を妨害する「成りすまし野郎」

のセリフなのだ。皆さんは、このような声なきセリフ

に耳を傾けたり、従ったことは無いだろうか?

続く

ラナママハルシさんは、真我実現の様々な修練方法を

語ったが、神への明け渡しがいいと言っていた。明け

渡したら、中断は許されない、想念を使ってはならない

と言っている。この説明は、明け渡す対象としての神、

明け渡す者の自我を語っており、二元論を持って展開

したのであり、本当は、一元論を持って説明しなければ

ならない。二元論はいつまでも二元性を超えられない。

明け渡したならば、想念を使ってはいけないと言うが、

矛盾である。

なんとなれば、想念を使わずにいることが出来るなら、

即座にゴールへ導かれるのであって、明け渡す必要は

ないからだ。このように、ヒンズー教やヨーガの教えに

よれば、神との合一と言う二元論からなる説明であり、

二元論を超えて、唯一というそこへの到達が非常に

困難なものになる。

そうであるから、マハルシさんは、自我の消滅は、

苦闘の苦闘、激闘に継ぐ激闘、バトルロイヤルだ

と言ったのは、葛藤を収束しない二元論に囚われて

いたからだ。

 

では、一元論の展開はどうなのかと言うならば、

自己という唯一実在を知覚するためには、ただ

単にエゴを放棄するだけである。というものだ。

単に放棄するとは、反応しないという事であり、

そこには、苦闘も無ければ、激闘に継ぐ激闘も

無く、バトルロイヤルも不要だ。

それゆえ日浦の教えには、二元論の展開はなく、

一元論を持って語っているのである。

 

さて、魂を束縛する幾つかのエレメントは、

その修練方法に順列を与えることにより、

一つのものに置き換えられる。そのひとつを

修練するならば、他のエレメントは、ドミノ

倒しの如く自動的に消滅してゆくからだ。

先ず束縛の主要なエレメントはカルマであるが

そのカルマは、放置して良いのだ。心の消滅も

抽象的な概念になるので無視しよう。

では、難解に見える修練を簡単にするための

ドミノ倒しの最初は、一体何だろうか?

しばし、それを考えたらいい。自分を解放する

ために、皆さんは自分で考え抜く力が必要なのだ。

だから、安易に答えを書くのは、皆さん自身の

ためにならないと言う事。

このことから、ドミノ倒しの最初は、いったい

何だろうか?というクイズも生まれる。

その答えは、なにか?