スタート

第三期
メビウス・ヒーリングセミナー
開始

1月セミナーは、25日土曜日の11時集合です。

参加希望者は、申し込みしてください。

 

ジャンプ台に立つとは

二サルガダッタマハラジさんの書籍には、

「グルは得られるが、弟子がいないのだ」

という言葉がある。グルとは、唯一実在を

悟った霊的存在を言い、地上の身体に束縛

された魂達を解放しようとする幾多存在を

言うのです。

一方の弟子とは、地上の身体とマインドと

マーヤとに束縛された魂でありながら、

幸いにも解放のジャンプ台に立った人を

示唆しているのです。つまり、解放への

準備を整えたとき、ジャンプ台に立った

弟子の資格を得たと言う事です。

 

このことを別の視点から言うならば、

キリスト教的な表現になる「救い」は

解放のジャンプ台に立った人に起こる

恩寵であり、ジャンプ台に立たない人は、

いく百万回、「イエス様、救いを与えて

ください」と祈ろうと、その声は実在に

届かないのです。キリスト教に限らず

全ての宗教もまた同じなのです。

 

また彼は、「視覚化しなさい」と言って

いたけれど、その意味と具体的な方法を

説明していない。彼の言う視覚化とは、

「気づきの太陽を昇らせよ」という別の

言葉を持っても語っていたが、それは、

日浦の表現である「霊眼を開花せよ」と

言う意味と同じである。

しばしば語ったこと。それは、心は無知と

いう暗闇を彷徨っているのであって、霊的な

実在である真実を見ないということであり、

人が用いる肉眼とは、実在の霊的な真実を

観ることが出来ない物質的なものであること。

だからこそ、あれは何だ?それは、どういう

ことか?どーうしてそーうなるんだい?との

疑問が絶えない。だからこそ認識と判断に

間違いも起こる。人との不和も。生き方の

間違いも。時に自分が分からなくもなる。

 

この世というのは、唯一実在と言う真実が

物質によって覆い隠される闇のようなもの

だからこそ、それが、マーヤ・幻影の世界と

呼ばれている物質世界なのである。

そこに霊的な知覚の「気づきの太陽」が昇る

なら、暗闇と言う物質性の無知は消え去り、

あるがままの真実を観るのだと彼は言った

のです。そして、だからこそ「視覚化せよ」

と言う別の言葉が与えられたのである。

 

気づきの太陽と、視覚化と霊眼とは、言葉が

異なれど、同じ意味である。なんとなれば、

唯一実在と呼ぶ霊的世界を観る力、それを

「視覚化」して知覚する力、それが「霊眼」と

言う言葉をもって語られているのであり、

低レベルなスピ世界の霊的力とか、心眼など

では無いと言う事。

 

皆さんの誰もが、今でも非物質なる唯一実在の

存在で在り続けていながら、マーヤとも呼ばれる

物質の身体が自分だ、身体の属性になっている

心が自分だと、大きな勘違いをしているのである

からこそ、誰もが解放への準備が整えられた人に

ならなければならない。

この言葉を少し変えれば、解放へのジャンプ台に

立たなければ、ずっと解放される見通しが無い

からだ。なんとなれば、過去に何百万年も輪廻を

繰り返してきたにも関わらず、輪廻したことを

知らないモノのは、一体だれか?

その彼はまた、何の目的も無く、無限的な輪廻を

繰り返すだろう。これが糠に釘と譬えられたモノ

の正体なのだ。

あなたは、一度たりとも輪廻したことが無いのだ。

これから先も輪廻などしない存在なのだという

ことを揺るぎなき確信としなければならない。

この揺るぎなき確信こそ、ジャンプ台への第一歩

であるが、揺るぎない確信の意味を知らないモノが

人のなかにいるのだ。それは、誰か?と問えば、

皆さんは、それは、「成りすまし野郎です」と

答えるであろう。それは、一つの正解であるが、

答えがあまりにも浅すぎるのだ。なぜか分かる

だろうか?