新宿乞食 1

国際クラブ「べラミ」の体験記事が、

「とても面白かったです!」という

女性がいた。それはまた、日浦が乞食学生

だったという過去の話し。

それがどうしたんだ?ということなのだが、

実は、この新宿へ来た時も乞食になって

しまったと言う話しをしよう。その体験談は、

時空を超えてとか、ハルマゲドンの戦いなど

よりも面白いかも知れない。⇦ 言い過ぎ?

 

先ずは、時を超えて、という訳けではないが、

あの、リーマンショックから最後の最後の

事業が転落してゆくという切ない事態の流れを

書いて、それでいて、なぜ、新宿へ来たのか、

無一文になって、どうやって新宿へ移転できた

のか、なぜやって来た新宿でも乞食になった

のか、乞食が好きだからか?まさか。

 

リーマンショック以前の経済状態は、転落の

始まりは、40歳を過ぎてから、離婚が生じ、

次いで初回の会社倒産(60社の特約店から

乗っ取られた)から、既に15年くらいの年月が

経っていた。この間、幾度も会社を立ち上げて、

潰されて、また再建して頑張り、また潰される

というパターンが続いていたのである。5回、

6回と叩きのめされると、さすが人は弱くなる

ものだと思った。

それと同時に、幾ら叩きのめされても、

すぐさま新商品を生み出し、相手にして

くれない銀行に頼らず、事業資金と人を

集めて事業再開する自分の底力にも驚いて

いた。ある新聞社の社長は、「君は不死鳥

のようだ」と言っていた。

しかし、心身ともにかなり疲弊していたので

ある。というか限界を超えていたのであった。

初回の倒産体験において、60社の特約店等が

流布したウソ(二億円を持ち逃げして会社を

倒産させたという嘘)は、世間に知れ渡って

いたのだから、無理して再建などせずに、

すぐさま故郷を離れれば良かったのだ。

本当は。。。

だが、故郷を離れたらなら、流布された

ウソが本当になってしまい、親戚、友人、

娘たちに泥をかぶせることになるとの思い

から、無駄な頑張りを示していたのだ。

無駄な苦闘だと知るのは、ずっと後なのだ。

幸い会社のホームページを奪われなかったので、

そこから時々は、設計管理の仕事が来た。

もちろん収入は不定期である。

 

死線を超える不死鳥

新潟には、元北越銀行があり、今はで社名が

変わったそうだが、その北越銀行へビジネス

プランをプレゼンして、その結果、北越銀行が

僕の商品を売ることになった。過去にそうした

事例は無いのだと銀行は言っていた。

そして、銀行員さえも知らない儲かる画期的な

事業計画だと、銀行からも大いに称賛された

プランであった。

それらの準備は整い、新聞1面をすべて使った

3回の広告は、劇的な販売促進の効果があり、

商品は飛ぶように売れて、大金が舞い込むと、

今まで、悪口を言っていた同業者たちもすり

寄ってきた。世間は、そんなものかと思った。

県内の大手建築業者さえ、次々とフランチャ

イズ契約を結び、傘下に収めて行った。また

しても飛ぶ鳥を落とす勢いが蘇った。業界人

からは、死線を超える不死鳥だとも言われた

りしもた。

 

しかし、これさえも叩き潰されるのだ。

伸びる業績とそのプランに嫉妬した某支店長と

副支店長は、どうやって日浦をつぶそうかと

半年かけて会社を破壊するための計画を立てた

と言う。

確かに彼らの会社の破壊計画は成功したのだ。

その会社がダメになったとき、銀行のせいだ

として、支店長と副支店長を解雇してもらった

のだが、解雇された二人が挨拶にやってきて、

語ったことは、「あなたは高名である。商品の

評判は良く、もはや過去のゴシップは消えていて、

このまま進めば、大きな会社になるだろう。

我々は、あなたを崇拝していたけれど、それが

やがて嫉妬に変わったのである。あなたよりも

我々の方が頭がいいと言う事を示すために、

いかにして、あなたを潰すかを半年もかけて

計画した。そしていま我々は、高名なあなたを

打ち倒したから、我々の方が頭がいいという

ことをここに証明したのです。我々支店長と

副支店長を首にしても、銀行は不滅である」

そういっていた。

読者の皆さん、どう思う?

 

死ぬほどの苦労をして、高く高く昇りつめた

そこから、一気に下落した落差による痛みは、

とても大きいモノだった。世間は、以前にも

まして、冷たくなったのはいうまでもない。

 

それからどうなったのか、記憶が曖昧なのだ。

覚えているのは、今度こそ死のうとしたとき、

生きる糧だといって、なんと、可愛い彼女が

できたのだ(笑)

日浦58歳のとき、33歳も年下の可愛い彼女が。

四年間、共に暮らした年月は、苦渋の人生の

なかで、最も大きな幸せであり、一度も喧嘩

したことがない。

しかし、そんな素晴らしい彼女さえも奪い取ら

れてゆくのだ。それがリーマンショックによって

生じた最後の破壊であった。(何が最後か分から

ないのだが)25歳の誕生日に出会い、仲を引き

裂かれたとき、29歳になった彼女は、可愛いし、

才があり、素晴らしくよい性格であるから、

また新たな出会いのチャンスを作らなければ

ならない。そう思った。

「絶対に別れない。バイトしてあなたと暮らす」

そう言ったけれど、バイト先は見つからない。

大不況の大嵐が吹いていたのだから。

すでにマンションの家賃も滞納になる状況だし、

やがて追い出されるのであるからと、心を鬼に

して、残金の300万円を渡し、無理やり実家へ

帰らせたのだ。マンションを去る時、絶叫した

彼女の言葉が今でも記憶に残る。

恋愛は、愛は、辛いものだと思った。

<中略>

まさに死にゆくそのとき、なんとも不思議な

もので、毎月の生活費を援助してくれる人が

現れて、しばし命をながらえた。この時でさえ、

本当は、生きる必要は無いのだと知ってはいた

のだが。。。

朝顔のヒーリング
やがてクリスマスがやって来て、そしてまた

雪が降った。何気なく、ベランダに立つと、

足元の、僅かに積雪したプランタンから小さな

芽が出ていた。それは、彼女が毎年の夏に育てた

朝顔の芽であった。発芽したのは、ただひとつ。

別れた彼女の形見、想いでか。。。

「おまえ、今ごろ芽を出してどうする?

仲間はみな、夏の終わりに去って行ったのだ。

夜には凍死するぞ。俺ももうすぐ死ぬんだ。

だからお前も大輪を咲かせてから死ねばいい。

さあ、すぐに見事な大輪を咲かせよ」

雪面から顔を出した長さ5㎝ほどの芽の先端に

直径10㎝を超える美しい大輪が咲いた。それは、

つまようじの先端に朝顔の大輪が咲いたような

ものだ。この話しを読者は信じないだろうが、

本当のことなのだ。

ある日、ベランダに立ち、なぜ、僕の人生は

どうしてこうも波乱万丈なのか?と思ったその時、

「その訳は、お前自身だ」という声が背後にあった。

振り向けば、そこに彼がいた。彼とは不可視なる

霊的な存在だ。すべて、自分が間違っていると言う

彼の言葉は、すんなりと受けとることが出来ないが

そうなのだろうとの思いもあった。

 

それから数日後、確実な死がやってきた。だが死に

ついての描写は省略しよう。

そしてまた再び、生き返ってしまうのだ。

なぜ生き返ってしまうのか?生きたいとは

思っていないと言うのに、生きよう、生きたい

生きねばならない、という得体のしれない

生への欲望がやって来る。この不思議がまだ

理解できてはいなかった。ただただ思うに

「新宿へ行きたい、新宿へ行こう」という

まったく実現性の無い強い願望が去来した。

それは、数日、いや数週間も続いたのだ。

なぜ、新宿なのか?

ふと日浦サイト時代に知り合った同郷の

人物が東京の中野に居ることを想いだし、

彼に事情を話した。

「顧問として、ぜひ迎えたいので、給与は

60万円だします。マンションは会社が用意

するから、ぜひとも上京してください」と

いう話しになり、彼から資金援助を受けて、

引っ越ししたのは、東新宿にある新築マン

ションであって、そこから彼の会社へ通う

運びになった。またしても活路が開かれた、

そう思った。ところが、、、