時空を超えて

【 無断転載を禁止 】

 

        《 時間と空間を超えた自由 》

読者の皆さんが知る「時間」と言う、その本質は、

なんでしょうか?

時間は、心の動きのひとつである思考と記憶と、

その再生と反芻と言う観念の集積です。無限に

連続した過去から、未来永劫へつながるという

時間の集積ではなく、観念の連続性が時間です。

想念とか思考という観念の作りだすものが時間の

観念を生むのであって、もし、思考が無ければ

記憶(カルマ)も無く、時間も空間も生じません。

カルマが無ければ、苦悩も無く、思考と行為の

制約さえなく、自由なのです。想念とか思考の

連鎖的記憶の再生原理であるカルマこそ、想念と

して現れる時間の正体です。

それ故、記憶を残す想念や思考が排除されたなら、

そこに存在するのは、時の影響を受けない無限的

過去であるカルマが作用せず、永遠に不変なる

実在が露わになるのです。

不可知なる実在の世界を、実在の永遠の自己だと

知覚した魂には、時間と空間も消え去ります。

つまり、マーヤである宇宙は消え去るのです。

悟った魂は、時間と空間の観念は、滅びゆく思考の

産物であったと知り、過去と未来という観念が生み

出す無限的な時間は、現在と言う一瞬に在ることを

悟ります。現在を悟った魂は、時間と空間を超える

ので、時に支配される生と死とを共に超越し、

自分は不死である永遠なものと悟ります。

あなたは、永遠の不死なる霊的存在だからこそ、

マインドが、何百万年もの永き転生輪廻を繰り

返した膨大な記録もまた現在に在るので、それを

一瞬で知ることができるのです。

この様にして、マーヤを打ち破った魂は、永遠の

自己は全能であることをハッキリと想いだすのです。

彼は、時間と空間というマーヤの超越者になり、

自分自身が、マーヤの支配者であることを想いだす

のです。それを想いだした彼は、時間と空間を支配

する力を手にします。

マーヤの支配者になった彼は、マーヤという世界の

物質を支配するので、物質宇宙のすべてを手にしたと

同じことなのです。それは、宇宙に存在するモノの

すべてが自分の手中にあると知るからこそ、欲しいと

思うモノは何もなく、それゆえすべての欲望も消え

去るのです。人間が抱く様々な欲望に束縛される

ことも無くなるのです。これが揺るぎない平安と言う

境地です。

時空を超えた彼は、宇宙生成の時から、地球が

生成された全歴史、それらは現在に在るので、

そのことを知るのも一瞬なのです。

時間を生み出す思考を超えて、物理的な時間と

空間を超越した魂の演算速度(演算しないで

直接の知覚である)には、100年先の未来型

スパコンでさえ、追従できないのです。

現代のAIが生み出す近未来のスパコン神話など、

悟った魂の前では、古代のソロバン程度のモノで

しかないのです。そうであっても、スパコンは

有益な道具に違いないけれど、それを皆さん

個人では持てません。言う間でもなく、莫大な

お金が掛かり、家の何倍もの広い設置空間が

必要であり、莫大な電気代も毎月かかり、

新たな情報を入力するプログラマーに払うお金も

莫大です。情報を入力しなければ、パソコンも

金属の粗大ゴミです。入力した情報は日に日に

古くなるので、常に情報を管理し、入力しないと

いけないのです。遠からず意識や自我を持たせた

パソコンが誕生し、それらは人を支配するのです。

だから人は、パソコンにも束縛されてゆくのです。

しかし、時空を超えた彼には、パソコンの様な

情報入力など不要であるし、機械も電気も要る

訳がなく、100年先のパソコンを凌駕している

のです。

 

かつて紫蓮さんとの出会いの中で、不思議だった

ことの一つは、「なぜ、この人は全宇宙の出来事を

一瞬で知ることが出来るのか?」というものでした。

見た目の身体は、ごく普通の人でありながら、あの

お方こそ、本当に時空を超えた偉大なる魂であり、

過去に現れた聖者を超えた人だと知ったのです。

人は誰もが「唯一」だと静かに語られた紫蓮さん。

彼女のメッセージは、読者の皆さんのすべてが

「唯一」の存在なのだと言う事です。今でさえ。

それを皆さん、確信して欲しいのです。

 

この世に住む多くは「わたしは自由だ」と言う

けれど、言わずとも思っているけれど、病んだり

老いたりする不安定な身体を持ち、ころころと

変わり続ける移り気な心に振り回され、いつも

一喜一憂しながら、非論理的な思考にも振り

回され、耐え難い苦悩と苦の要因である快楽を

味わい、あわただしく、日々の時間に刻々と

追われながら、色んな空間の場に縛られて、

仕事、家庭、宗教、学校、対人関係などにも

縛られながら、さらには、膨大な過去の情報

であるカルマ、それらの再生原理という無限

の想念に束縛されているのであって、人である

限りは、決して自由ではないのです。

人が言う「俺は自由だ」とは、エゴの妄想です。

「僕は、しょぼくて惨めな人間だ」というのも、

成りすまし野郎であるエゴの妄想です。自由の

本来の意味は、魂の自由にあるのです。人の

抱える制約をすべて超えて、時間と空間という

自然の法則にも支配されない自由です。

魂を悟ったら、この世と言うマーヤも幻影では

なくなり、この世においてさえも、何でも自由に

好きなことをしていいのです。あなたが莫大な

富や名誉を持ちたいと思うなら、超越的な力を

持って、その様に成るでしょう。愛人を10人も

抱えたいと思うなら、そうなるでしょう。

むかのしインドに生まれたシバ神は、多くの

奥さんが居ました。それらの関係性は、性的

欲望を超えた純粋なプラトニックなものであり、

世間的な男女の関係を超えていたのです。

そのような関係は、自己の本性である魂を

知覚したものに許される本当の自由なのです。

しかも何をしようと、思考を使わないから、

記憶を残さず、カルマにならないのだから

実に素晴らしい生き方なのです。

この世における富や名声、権力の頂点を極めた

人たちの幸福感や自由は、歴史が示して来た

通り、他者から搾取して奪い取り、他者から

奪い取られ、他者を破壊し、他者からも破壊

されたりします。

こうした他者支配的な競争原理に生きる体験が、

来世のカルマになる苦の生き方なのです。

つまり、賢い生き方では無いと言うことです。

しかし、自己の本性を見出したもの、すなわち、

自然の法則(マーヤ)から解放された魂自体の

超越的な力を体現した者の前では、この世の

権力や裕福層の自由と幸福など、無に等しい

ものです。

それは、自己の魂を知覚したなら自身がそれを

ハッキリと理解します。それが自己証明であり、

他者からの証明は要らないのです。

だから皆さん、この世における様々な物事とか、

色恋だとか富や権力に関心を持って魅せられる

ことなく、それらは、まぼろしであるから、

身体に束縛された自らの魂を解放しましょう。

それの実現は、「欲望・思考という物質性から

の自由であり、自己に到達するまでは、それらに

反応しないこと」です。

もっと簡単なことは、想念のすべてを否定し、

いかなる想念や思考と同調してはいけない。

そして、「身体は自分だ、心は自分だ」という

偽りの観念を日々壊す努力するだけです。

なによりも解放されたいと言う願望を抱き続ける

ことです。なぜなら皆さんは誰もが唯一の実在へ

還るべき重い宿命を背負っているのです。

その重荷を手放しましょう。

 

日浦 裕次