存在証明

わたしは、山岡 源太郎です。

自称のイケメンであるが、何故か他人は

それを認めないのです。ぅぅ・・・

生まれは北国の秋田県であり、中学の頃、

家族と共にアメリカへ移住してより、

30年もの時が流れ、再び日本へ戻って

来ました。

 

皆さん こんにちは

僕は山岡 源太郎です。英語は得意ですが、

サンスクリッド語は出来ません。今までに

沢山のことを学び、人生いろいろ体験した

けれど、今も知らないことがあります。

それは、「生と死」の謎についてです。

肉体の死後、自分は存在するのかどうか

分からないのです。それについて、宗教や

スピ世界、Youtubeなどでは、様々なことが

語られているけれど、それらは根拠を示す

ことなく語られていて、語り手の各論には

統一性が無く、それらが世界に証明された

もので無いことが分かるわけです。

そのような分別無くして、毎晩のように

Youtubeを見る人達がいるのは驚きなのです。

なぜ、驚きかというならば、根拠のなき事、

証明されていない多くをそのまま受け入れて

信じてしまうと言う感性の人たちの偉大な

愚かさが見られるからです。自分から進んで

洗脳されているんだから、どうしようもない

ってことなのか。

また話しが飛んでしまった。。。 

翼を持つと、つい飛ぶのか?違うよね。

しかし、なぜ、偉大な愚かさなのか?

たんに愚かと言うと、失礼に当たるかも

知れなので、偉大さを付加しただけ。

 

そしてまた母体から生まれたと母は言う

けれど、僕は誕生の瞬間を知りません。

出産を見たわけじゃあないから。本当は

捨て子だったかも知れない。疑って考える

ならば。。。わたしはね、何年の何月に

生まれたよ、と言う人は、真実を語る人か

どうなのか分かりません。。。

 

生と死の問題について、また自己の存在

証明について、ユングなどの心理学者の

言うことを読んでみても、さっぱり分かり

ません。心理学上の存在と言う言葉、実在

という概念さえも明確な定義が無く思考が

生み出す概念でしかないように思うのです。

例えば、30年ほど前の心理学が説明した

実在論、存在証明の理論は、現代の説く

概念と違っているのです。それは、ころ

ころと変わるマインドが説く実在論である

から、ファンタジー性を帯びていると思う

のです。

なぜなら、人の考えにより、経年変化する

知識や概念から生まれたものが実在であると

言うような脈絡の説明を見るとき、あんた

頭は大丈夫かい?と、言いたくもなります。

 

自分にとっての大きな問題は、自分は、

どこからやって来て、どのように母体に

宿ったのか、そしてまた、肉体の死後、

自分が存続するのか滅びるのか、また

この生と死の中間期を人生と呼んでいる

けれど、生と死の中間期の人生について、

誰もが明確にしていないにも関わらず、

様々な自己存在論あるのです。

しかし、わたし山岡 源太郎は、生と死の

問題、滅びゆく人生の意味と自己存在に

ついての、真実を知りたいと思っている

のです。

 

心理学や哲学分野における、人に関する

存在論、実在論は実に幼稚な概念だという

思う訳は、人は存在するという実存論は、

詰まる所、誕生から肉体死までの「一瞬」を

持って、それの連続を「存在」だと言って

いる様なものだからです。この一瞬を分析

するならば、存在性を否定するに足りる

変化と消滅の連続性であるからです。

なぜなら心は、幼児の段階から知識の吸収

と変化の発達と言う連続を繰り返します。

そうであるから、存在とは、変化を認める

のもでしょうか?

より突っ込んだ言い方なら、存在とは、

一瞬一瞬の連続する変化であるということ

ですかね?

連続する変化が存在論の訳はなく、実在

であるわけが無く、変化が存在だとする

ならば、なにを持って存在と言うのか世界

に証明できる明晰な説明が必要なのです。

身体も成長に伴い、病んだり老いたりして

変化します。古い体験や情報も知識も捨て

去られ、そこに存在しなかった新たな情報

とか体験が起ります。

それゆえ再び存在とは、何でしょう?

生命を持つ身体の誕生前、そしてまた死後の

世界が「存在」か「非存在」かについては、

いまだに世界に証明された訳ではなく、存在

と実在の概念そのものもが、脆弱なものだと

考えざるを得ないのです。

 

いったい「存在」とは、なんでしょうか?

 

この、わたし山岡 源太郎が存在すると思う

だけではなく、皆さんも「自分は、存在して

いる」と思い、それを確信しているに違い

ないことであるけれど、いつも変化と破壊を

繰り返すところの あなたの考える「わたしは

存在する」という論拠は、なんでしょうか?

 

明確な理解の自己存在について、真実の知識と

その体験が無いならば、わたしは存在すると

言う言葉は、空虚なものであるのです。なぜ

なら、わたしは存在すると言ったその数秒後、

今まで存在していたはずのあなたは ころころと

変化するのだから。

もし、存在が変化の連続であるなら、日々の

変化を生み出す人生の意味さえも知ることは

出来ないのだと、わたし山岡 源太郎は考える

のです。

心理学のいう存在論は、人の存在性とは誕生

から肉体死までの時間を言うのでしょうか?

確かに あなたの身体は、必ず死を迎えるもの

です。

では、存在とは死することですか?

もし、そうだと答える人がいたならば、死する

運命の人生に意味があるのか、それとも無い

のか、それを示さなければならないのです。

 

どなたか明晰なる答えを示してくれませんか?