乞食学生

両親が交通事故にあい、生涯的に寝たきり

状態になれば、日浦は介護しなければならない。

大学どころでは無く、ニューヨーク定住の夢も

壊れた。

下宿の家賃が払えずに追い出されるだろうと

いう思いは、勝手な思い込みであり、軽率な

考えであったのだが、自分がそのように思えば

こそ、その思いが自分のものだ誰もが思うもの。

借りた軽トラには僅かな荷を積み、行く当ても

なく下宿を去り、京都の街中を彷徨った。

三条大橋を通る際、その大橋の下に荷を下ろし、

借りた軽トラを返しに行て、遠路をトボトボと

歩いて橋の下へ戻って来たおバカな日浦だった。

19歳という若さで、住居を失い、路上の生活者に

なったという意外な体験は、学業や世間からの

束縛から解放された自由だと喜ぶ半面、いったい、

これからどうやって生きてゆくのかという一抹の

不安も生まれた。しかも所持金は僅かだったので

すぐさま喰うに困るだろう。

しかしながら心配しても事態は善くなりはしない

ものだと分かる。それが分かれば、心配は無用だ。

しからば、気楽に路上生活を体験しようと思った

アホな日浦であった。というか、幼少の頃から

生きることへの関心が極めて薄かったのだ。

眼前の鴨川を流れる水は、思いのほか汚れていて

飲めない。体を洗うに不適切であった。シャツを

洗うことも出来ない水質であった。およそ1ヵ月も

経った頃、髪もひげも伸びて、衣類は汚れて悪臭を

放った。その姿を知って「なんと!自分は一人前の

乞食になったなあ!」そう思って笑ってしまった。

小学一年の時、告知された激苦体験が記憶にあり、

このまま野たれ死んでもいいと思った。生きる

意味さえも分からないままなのだから。

だが時々、「生きよ」という想念がやって来て、

死を思いとどまらせるのだった。では、なぜ、

人は生きなければならないのか?と自問すれど、

その答えはやって来なかった。

やがて乞食の暮らしと風貌に慣れてゆく。

時々街を彷徨うけれど、飢えていてもコンビニの

ゴミ箱を漁ることはしなかった。他人から金品を

貰いたいという思いも無く、人の眼差しも気には

ならない。それゆえ他者との比較も消え去り、

自分が惨めだという想いさえ消えていた。

着飾る衣服は無く、食料を買うお金さえも無い。

大学は出ても出なくても、どうでもいいと知った。

社会に出なければ、という思いさえ消えていた。

それが不憫だと思わなくなった。生きる意欲さえ

無く、何かに成ろうと努力しようとする想いも

なく、病気や死を恐れる気配もまったくなかった。

それゆえか心は驚くほど澄み渡り、悟った聖者にも

似た平和な境地になっていたのだ。

そのような体験において、生も死も自分には何の

関係もないものだと知った。

しかし、昼と夜とが繰り返しやってくるように

死を望む思い、生きよと言う想い、それらが

揺れ動く振り子の如くに繰り返しやってきたが、

そのような心の動きもまた静かに消えていった。

そして、想いの総てが消え去ったところは、

絶望感でもなく、虚無でもなく、平和そのもの

だった。あの頃、乞食の暮らしが、なぜ平和に

思えるのか、不思議ではあった。

 

思うに、あのような平和な境地は、サマディー

(真我)没入への直前状態であったと知る。

ただ、サマディー没入の知識が欠落していた

のだ。と言うより知らなかったのだ。

日浦の体験のように人の誰もが日常的に苦楽を

体験しているが、それが導くサマディー没入と

いう知識・それへのテクニックが無いのだ。

しかしながら悟りは、テクニックじゃあない。

境地なのだ。その境地に至るためにか様々な

テクニカル理論が展開され、霊的な到達地点

への修行と言う概念も生まれたのだ。これが

分かれば、何かの修行は到達への絶対条件では

無くなる。紫蓮さんのおっしゃったこと

「何もしなくていいのです」の意味が明らかに

なる。

どんな苦悩であれ、その体験は自己解放への

貴重なチャンスで在り得る。なんとなれば、

人々が求める安定した平穏な暮らしならば、

自己解放への決意、その意思とチャンスは

やってこないからだ。

人はみな、快と苦・善と悪の二元性を持ち、

苦を避けて快を求める傾向を持つ。しかし

ながら快と苦は、あざなえる縄の如く一体

であるから快を求めるとき、必然的に苦が

やってくる。これ自然の道理なり。

ここに人生をより良く生きる秘訣がある。

もし、片方の快を拒絶するならば、快も苦も

共に消え去るのだ。それは一つのものだから。

そうであるからこそ、苦という苦悩は偉大な

グルの恩寵だと言っていい。