内を観よ

この世にある人や物事、つまり森羅万象と

いうものは、あたかも四季が自然に生じるが

如く、ただ立ち現れるだけもの。

好ましいことも、嫌悪することも。

 

この世のすべては、速やかに移り変わりつつ、

そのすべてが過ぎ去ってゆく。

愛する人も、大切な体験も、辛いことも

若さも過ぎ去ってゆく。

この流転の変化を止めることは誰にも出来ない。

だからこそ、その流転そのものが、この世の

本来のあり様なのだ。

流転の変化を知っていながら、人は物事に執着し、

悲しみを抱き残す。

 

あなた自身が知っていながら、あなたが気づ

かないことがある。

あなたは、非物質の純粋な気づきであり、

久遠の光りそのものだということを。

だから、あなたは生まれた身体ではないから、

生まれたこともなければ、老いたことさえも

死んだことも無い永遠の存在なのだ。

あなたは知識に満ちた光りであり、物質の

身体ではない。ゆえに身体は、あなたでは

在り得ない。

 

あなたが「わたしは身体だ」という感覚に

囚われたとき、この世の楽しみや苦しみを

体験する。それら体験のすべては、あなた

でがない身体の知覚と認識の間違いによって

生じる画像の様なものだ。

生命と森羅万象、これをまぼろしと言う。

まぼろしを見抜けば、貴方を掻き乱すものは

何もなくなり、貴方を傷つけるものはない。

それに気づくには、自分の内を観ればいいのだ。

少しばかり根気がいるが、心の動きを観れば、

内に光り輝く不変の自己が存在する。

それは、生まれず老いず、全能であり、いつも

自由な自己であり続けている。今でさえ。

 

内を観る意味、その方法さえ人は知らない。

なぜなら、いつも外側世界しか見ないから。

いつも外側のまぼろしに困惑されたり魅了

されたりするから。

 

外側をみれば、悲しみと苦しみが生じる。

それは、内を忘れたから。