個人相談

今日これから、個人相談が控えている。あしたも

別の個人相談がある。今日の相談者は、友人から

聞いて、個人相談の運びとなった。

 

面談者は、「先生は心の内をずばり見抜くよ」と

紹介者から言われていたようなので、期待と恐れが

混在し、かなり緊張していた。相手の緊張は、寒い

おやじギャグによっても、緩和されることもある。

だから日浦は、相談者の心中をズバリと指摘せず、

聞かれたことに答える。

 

この人は感受性が強い方なので、良くも悪くも

人の言葉や社会の現象に左右され易く、それゆえに

揺れ動く心の苦悩を抱えていた。

面談時は、明るくふるまってはいたが、自分を

制御できない状態だった。相談しに来た季節は

暑い夏ではあるけれど、彼女の心中は、寒い冬の

木枯らしが吹いているかのようであった。

心がとても苦しいのだ。

 

この人は、日浦のブログを読んではいない。

しかし、日浦の胸にある護符ペンダントを気に

していて、ある種の恐れを持っていた。それは、

強い感受性ゆえだ。

「これ手にしてみるかい?」

「いえ、結構です。」

そう言いながら護符ペンダントを気にしていた。

 

個人相談とは、実のところ、その相談者が抱える

苦悩の中身は、詳しく聞く必要がないのだ。

なぜなら、個々の人の悩みはみな異なれど、その

根っこは誰も同じものだからだ。だから苦しみが

生じる理由、苦悩の消し方を教え、また心と言う

ものが、どれほどの恐ろしい力を持っているのか、

それの実例を幾つか示した。

しかし、心の力が日常に現れる恐ろしい実例に

驚きながらも、それをすぐさま理解することは

出来ない。言葉は大した力を持っていないから。

 

だが、不思議が起るのだ。

話の途中「・・・先生、私に何かしましたか?」と

聞く彼女の目には、時々涙らしきが見えた。

「何もしていない。」と日浦は答えるが、「そんな

はずはありません」というので、寒いぎゃくを言う

のだ。「日浦は霊能者でも超能力者でもない、ただ

普通のおじさんだから、何もしていないね」と彼女に

言えば、「そうですね」と笑いが生じた。

 

あなたが幸福になれば、家族や友人も幸福の影響を

受けるのから、自分が不幸だと言う想いを取り除き

なさいといえば、その意味を不思議がりながらも、

それが望みです、と答えた彼女は幸福になる資質を

既に持っているのだ。

 

不可視なる解放の光り

面談中、「私に何かしたのですか?」と、3回も

言葉にして不思議がっていた感受性の強い彼女。

しかし、日浦は何もしていないのだ。理由として、

太陽が地上に光りと熱を自然に放射するが如く、

彼から自然に放射される強大な癒しと解放の光り

とが相談者の抱える苦悩とカルマとを消し去って

いるのだ。ただそれだけのことなのだ。

感受性の強い人は、この光りの性質を知らない

からこそ、恐れだと感じたりする。

だから、いつもは、パワーのスイッチを切って

対応するのだが、それでも怯えと感じる人もいる。

 

あるセミナーの時、パワーのスイッチを入れ、また

リミッターを外してみたら、すぐさま紫蓮さんから

注意が促された。「日浦さんが、ご自身のパワーの

スイッチを切っていても、力に怯える人がいます。

ですから、そのような強烈なパワーに怯える受講生

たちがここにいます。ですからパワーのスイッチを

切って下さい」と。

 

不可視なる解放の光り、そして、そのエネルギーを

恐れたり、時に拒否したりするのは、人の心なのだ。

心の別名は、想念とか思考と言い、それが自我と言い、

エゴであるということを人は、ハッキリと知る必要が

ある。もし、これが明確に知られたなら教えの要点は

単純であるだ。心を消し去れば、人は終局のゴールに

到達するのだ。

 

面談も終わりに近づいたころ、なんと彼女は用意した

お金を出し、数種類あった護符ペンダントの中から、

迷いながらも、日浦が身につけていたペンダントを

買った。相談に来る前から購入する意思があったのだ。

それを首にかけて帰途に就き、帰りの電車の中から

メールをくれた。「心が穏やかです」と。

そしてまた、家に着いても「心が穏やかです」との

メールが来た。

その翌日もまたメールがあり、心の穏やかさは継続し、

現在辛いと感じていた状況も変わってきつつあります

と書いてあった。善いね。人は不幸に苦しむよりも、

心穏やかな平和が良い。