十字架

 霊的シンボルとしての

「十字架」の意味について

 

水平線

人には、毎日の暮らしがある。働く人も、

働かない人にも毎日がやってくる。

いつも通り朝になれば、日がまた昇り、

そしてまた、すぐさま頭上に太陽が昇る。

僕の影は、どこへ?

影は、足元に。

その日、あなたは、どこで何をする人か。

あなたが何をしようと世界は変わらない。

なんでもいいから、人は好きなように

生きればいい。

だが、あなたが何をしようとしまいと、

世界は何も変わらない。あなたさえも。

わたしは変わる、変わった、変わらなければ

そう言うのはエゴが言う幻想と言っていい。

いつも同じ軌跡を描いているのだから。

しかも何百万年と言う長き時を繰り返して

いる。

 

夕方になれば、広大な西の空を紅に染めながら、

空を飛ぶ鳥たちが巣に帰るように、人々もまた

家路につく。家がある人、ない人も。

家族ある人、無い人も。

愛する人が待つ人、待ち人いない人も。

そして、日はまた沈む。

あの太陽は、何処へ?

夕焼けの美しさに感動した君は、そのような

感動を何百万年も繰り返している。

同じ太陽を何百万年も繰り返し見ているのだ。

 

たしか、昨年も体験したような肌寒いが

それでも暖かい春が巡り来て、また桜を見た。

陽光に映し出される昼桜も良いが、

夜桜も綺麗なものだ。

しかし、すぐさま暑い夏がやって来て、

そしてまた夏が足早に去って、紅葉の秋が

静かに忍び寄る。いつの間にか。

たまには

ひなびた温泉旅館への一人旅。

愛する人と入る露天風呂もいい。

そのような体験もまた、数百万年も繰り

返していながら、繰り返す過去を知らない。

 

知っているかい?

雪国の冬は、世界が真っ白に変わるのだ。

何処の世界であれ、変わりゆく四季の姿は、

本当に美しい。

 

しかしながら、この宇宙、自然界、人の

社会は、本当は非情なものであって、

冷たく生気のない画像の世界なのだ。

本当の姿は。。。

ただ、あなた(魂)が関心を持つからこそ、

あなたの意識、感覚、エネルギーが、人社会、

自然界へ投影される。

それゆえ世界、この自然界は感覚的に生き

生きとして生命があるかのように見えるだけ!

それは、心が作る錯覚なのだ!

森羅万象は、なんの拠り所も無いただの画像だ。

それが不可知な真理。

人はみな勘違いしていることを知らない。

人もこの世も幻影(マーヤ)だと言うことを。

もちろん、あなたも幻影から成るのだ。

嫌いなあいつも、愛しい人も画像だ。

だが、身体に接合したあなたは、

わたしは生きている、と勘違いして、

あらゆる画像に関心を示す。

時に泣いたり、笑ったりしながら。

 

人が生きるこの世界はマーヤと呼ばれる

幻影であり、蜃気楼のようなもの。

それを投影するのは、あなたの感覚的な心なのだ。

あなたの心がマーヤの正体なり。

これがマーヤの生成原理だと人は知らない。

 

巡りくる四季のように、また眠る夜があり、

目覚める朝が繰り返してあるように、

あなたは、人だと勘違いしながら、いったい

どれほどの年月を繰り返すのか。

その果てには、死がやってくる。

死を迎えるあなたは、過去のすべてと、

未来とをすべて奪い取られる。

確実に。

そのような人の生と死は、すでに何百万年も

繰り返されていて、これから先の何百万年も

同じことを繰り返す。

そのことを人は気づかない。

 

無限的に無意識的に生まれ変わる輪廻の

束縛から自由になる人は、極めて稀だ。

 

だが、誰が死のうと、世界は何も

変わらない。あなたさえも。

なぜなら人の死は、終わりではないから。

ただの無駄な繰り返しの画像なのだ。

生まれて死ぬと言う映画にようなものだ。

しかも終わりの来ない無限連鎖の。

そのことを人は知らない。

それは、あたかも巡る季節が無限的な

連鎖であるように、何の意味もない。

この連鎖の生を止めなければならない

ことを人は誰も知らない。

同じことの繰り返しである連鎖的な生は、

無限長さを示す「水平線」のようなものだ。

水平線は、見えざる「十字架」の「横線」だ。

 

この水平線を、あなたは、幾たびも歩いて、

また歩き回りて、いったい何千万回、この地球を

廻ったのだろう。

それでもあなたは、今でもゴールへ到達しない。

ただ同じ繰り返しの軌跡をグルグル回るだけ。

それさえもあなたは知らない。

 

垂直線

100億人にひとりかふたり、奇特な人が

稀にいるものだ。

それは、無限的に連鎖する人生の中にも、

観えざる垂直道があると気づく幸福な人。

観えざる不可視の垂直道は、無限的水平線の

延長線上にいつもある。点の連続が水平線

であるから。

ただ人はそれに気づかない。

無限的に繰り返す水平線は、観えざる垂直線と

いう点の連続だ。無限の水平線が終わるところ、

それが霊的な十字架という形の象徴・シンボル

であり、観えざる垂直道と無限の水平線とが

交差する不可視な位置。

その不可視なる垂直道とは、唯一実在への至福の

扉のようなもの。不可視な垂直道は、あなたが

留まったとき、そこに開く。ハッキリと静かに。

誰もが毎日まいにち四季を繰り返しながら

不可視な垂直道の上にいる。

この垂直道をみいだして、それを昇らない限り、

人は誰もが無限の転生輪廻を繰り返す。

死ぬほど苦しい!と言ったり、

人生は楽しい!と言ったりしながら。

 

本当は、生きることは苦の連続なのだ。

何故なら有情の実在の魂が、非情の世界に

幻惑されているからこそ、思い通りの人生が

得られず、本当は苦が生じるのである。

その苦を隠すものがいるのだ。

それは、生きよう、生きたい、生きねばならない

という刹那的衝動だ。その衝動は、あなたのものでは

ない。そのことを誰も知らない。気づかない。

だから切りがない連鎖の連続する人生。

人の生と死の無限の繰り返し。

しかし、切りがない人生に終わりを

もたらすものがある。それは、水平と垂直が

交わる霊的な「十字架」だ。十字架は、クリス

チャンのシンボルではないよ。

太古から存在する霊的スクランブル。

霊的な十字架が意味するのは、生と死の交わる

場所。輪廻の連続が終える場所、人の苦が消え

去るところ、過去と現在と未来とがひとつに

束ねられた処、マーヤの脱出場所、至高の自己へ

帰る秘密のスクランブル。

摩訶不思議な不可視なる霊的十字架。

それは、いつ、どこにでも存在する。

すべての人、すべての生類が帰天する秘密の

入り口。生と死のスクランブル。

 

読者の皆さん、この霊的な「十字架」の意味を

いつも忘れないようにね。

特に不可知な垂直道があることを。そこが、

あなたを解放する霊的なスクランブル。

 

 この「十字架」の記事をもって、ブログ記事の

書き込みを中断します。それは、ブログ閉鎖では

有りません。

 

付記

記事を中断するけれど、まだ身体を放棄する

訳ではないので、毎月のセミナーは予定通り

行います。

各月セミナーの申し込みメールはいつでも。

 

6月セミナー終了後、編集委員と打ち合わせが

始まります。