想念を観る

 

心の観察について

実例をひとつ。

信次の会社に勤めた時、新製品開発の命を受けた

という話し。いきなり丹沢山中へ10日間の断食瞑

想を決意した。4日目か超越的な力がやってきた。

眼を閉じても、開けても、世界が360度の視野に

入っていた。遥か遠方も自在に観えると不思議。

大脳か、眉間か、思考と言うものがそこから飛び

出していた。まるでシャボン玉のように。

球の中は、それぞれ単一の想念があり、それが

立体画像に観えた。この時、マーヤの仕組みを

観たのだが、その知識がなくて理解しなかった。

様々な超越的な力がやってきて、「自分は体を

持っているけれど、人間ではない」と確信した。

10日間の瞑想を終わり、アパートの畳に座り、

眼を閉じると、仰天するような霊的世界が開示

され、「やっぱり人間じゃない」と再確認する。

皆さんの本性もそうなんだ。

 

想念を透視する

話しは、ここからだ。

そのころは、瞑想が何か知らなかったけれど、

すぐさま「心の観察」をしたことを覚えている。

心の観察には、何のテーマも要らない。心の中を

ただ観ることだ。<中略>

観察の過程において、社員にケチ付けする自分を

見た。まあ相手側に非があった訳だが想念を観た

瞬間、その想念を生み出した自分が消えた。

すると、体中から白い霧状の微粒子が噴き出して

全身を覆った。

この時、何を観ても、動じてはいけないと言う

ことを知っていたので、マインドは動いていない。

ここで、心を動かしたなら瞑想は失敗に終わる。

 

超微粒子は目の前に集まり、凝縮して大きな

霊狐になった。大きな尻尾が二本もあり、尾の

先から顔までは、タタミ縦方向よりも長かった

から、2mくらいだろうか。

霊菰の体を撫でてみれば、思いのほか柔らかな

毛であって、心臓はどくどくと脈を打っていた。

霊的なモノであるけれど、生き物だという知覚が

あった。

霊狐との対話があったが省略する。

 

苦の原因と消滅

心の観察についての重要な視点がある。

それは、想念を画像として観るとき、自分の

内側に生じる想念を観ているのであり、それが

外側に現れる原因だと理解した体験だ。

これが転じて、不幸や悲しみが去来するのも、

対人関係や、仕事がうまく行かないことも、

原因となる想念が自分の心の中に既にあり、

その反映が外界に現れるのだ。その逆である

場合もある。従って、外側に直接的な原因は

ないのだ。しかし人はみな、外的なことが苦の

原因だと思うだろう。そうではないのだ。

 

丹沢山中でのこうした超越的な瞑想体験は、

ゴールである真我に到達した訳ではない。

何となれば、小学一年の時に告知されたボロ

ボロのボロボロになるための激苦体感が、

後の人生に控えていたから。

想念を明晰な画像として観ることができる

なら、瞑想のプロセスを省くことが出来る。