オウム

むかし、麻原彰晃のオウム真理教があった頃、

ある女の子から質問されたことがある。

「オウム真理教って、電気関係の団体ですか?」と。

そういう勘違いもあるのかと笑ってしまった。

 

ヨーガでは、しばしば、オームが登場する。

発音は「A U M」であり、無言で唱えるのが最上と

言われている。ラージャヨーガの本にも登場するし、

パラマンサヨガナンダさんの師匠であったスワミ・

スリ・ユクテスワさんの現した「聖なる科学」では、

「オウムを唱えることが解脱への唯一の道である」と

書かれてある。それは、本当か?

 

日浦が解脱を果たしたころ、約5千年も前であるが、

誰もオウムを唱えてはいないのだ。だからオームを

唱えなくても解脱はできるのだ。

ラナママハルシさんは、オウムを唱える必要はない

と言い、紫蓮さんもまた「オウムの唱和は、必須では

ありません」とおっしゃった。それでも、オームを

唱えたければ、唱えればいいよというだけのものだ。

だから、「オウムを唱えることが解脱への唯一の道で

ある」発言は、いささか問題になるのだ。このように

真我を悟った魂でさえ、適切さを欠いた教えを説く

ことがあることを知っておこう。

高いレベルの瞑想は、何かを唱えることの音さえも

締め出して行うものであるから。

 

最も権威あるものとされたラージャヨーガとは、

ヨーガの中でも、誇大から最高のものと言われて

きたものである。そのテキストでは、オウムの

唱和を説くが、しかし、「離欲こそが解脱へ至る

唯一の道である」と明確に示されている。それが

正しいのだ。だからこそ、離欲を無くして唱える

オームは、また、欲望を抱えたままオームを唱和

するのは、オームの効果が期待できないだろう。

 

世界には、様々な教え、色んな異なる説明があり、

それらに関心を持てば、人は混乱をきたすのだ。

皆さんが求めて来た、いわゆる真理とか真実は、

どのようなものだったのか。期待外れではないか。

多くの書籍を読んでさも満たされなかったはずだ。

結果は、彷徨いの連続と言う心の旅ではなかった

のか。

そしてまた、何を、誰を、どのように信じたら

よかったのか。

これから先、どこへ往けばいいのか誰も知らない。

しかしながら、人生と言う旅には、万人に共通する

隠れた目的があり、またゴールという終着駅がある

ことを誰も知らない。仕事や何かの達成はゴールでは

なく、肉体死さえ人生のゴールではなく、終着駅でも

ない。肉体死は、あの世への旅立ちなのだ。

 

【 無断転載・流用を禁止 】

探求に終りがある

探求と言う語は、何に由来するのか?それは、

古代ヒンズー教などで語られた言葉、それが

真我を探求するという言葉の意味である。

自己実現、神との合一と言う語も同じことを

示している。

大いなるゴーダマ仏陀(お釈迦様)のサブを

務めた日浦の教えは、ゴーダマ仏陀の教えと

同じである。探求を超えて、真我を体現すること、

すなわち人生という旅の意味を説き、至福という

終着駅があることを示している。

人の誰もが到達すべき終着駅、終局の地点。

そこが、あなたの定住する霊的世界だ。

では人間社会は、いったい何かというならば、

単に間違って誕生した物質世界でしかないという

こと。しかしながら物質世界や身体が悪ではない。

知覚の間違いにより、人間だと勘違いしている

のだ。このことを偽りの情報を発信する宗教とか、

同じくスピ世界に汚染された人が、理解するのは

難しい。というより出来ないだろう。

日浦のセミナーに来る人は、本当に幸福な人である。

究極の目的地を明確に示し、そこへ還る道筋を知る

からである。そして、今生において解脱を約束される

からである。

解放の扉の鍵

人がその本性に帰り着くためには、身体感覚から生ま

れる欲望を放棄することである。なぜか?その理由は、

あなたは今でさえ身体ではないのだから。生まれてさえ

いないのだから。それゆえ離欲とは、文字通り欲望から

離れることを意味する。それは、既に持っている欲望を

離れること。つまり欲望を捨て去ることにある。

では、なぜ、欲望から離れなければならないのか?

その理由は、先に述べたように人の本性は、人の想像を

超えた偉大な霊的存在であり、想像を超えた素晴らしい

存在であり、非物質なるエネルギーの創造の源において、

全てを所有するのだから、何の欲望も無いのである。

この無欲の境地は、自我意識さえなく、わたしと言う

個体観念も無く、自分と他者と言う分離間隔も無く、

全体性をひとつの自己とするのである。そこへ帰り

着くためには、抱え込んだ欲望を捨て去るだけで良い

ということを理解すればいいのだ。

本性の自己に到達することが、真我の体現である。

動物類を含めたすべての人間、その誰もが本性に

おいて、至高の唯一という一者に帰属されている

のであって、宇宙間で、最も偉大な存在なのだ。

「わたしは人間である」という人類が抱く共通の

観念は、偽りなのだ。「わたしがいて、無数の人が

いる」も偽りである。「わたしは、非物質なる唯一

実在の自己である。わたしだけが永遠の実在である」

これが誰にとっても正しいのである。このことを

人は誰もが体現しなければならないのだ。

この目的(非物質の自己を悟る)のために地上へ

生まれて来るのであり、それは、過去に数百万年も

繰り返されているのだ。だから、もういい加減に

目覚めたらどうか、ということである。

人生は、夢の世界だ。誰が夢を見ているのか。。。