究極の瞑想

古代インドは、特別な磁場を持って、様々な宗教が

花開き、幾多の学派によるヨーガも生まれ、それが

多くの聖者・神仙・解脱者を生みだしてきた。

その修練過程を俯瞰すると、瞑想の「定番」と言える

もは、有ってないようなものと言える。何が良くて、

よくないモノは何かという問いへの答えも難しい。

人に適切な修練方法があるけれど、何を適切とする

のかを決めるのは難しい。指導者のグルがいたなら

正しく導かれるが、グルを得ることは稀なのだ。

なぜなら、真剣にグルを求める人がいないから。

  

簡素系の一例。

インドにシバ神がいた。彼は躯体を持って解脱を

得た人物である。彼が身体を放棄して帰天する際、

妻たち(複数の妻がいたが身体関係はない)に伝えた

簡素なメソッドがある。それは、「吸う息と吐く

息との合間に賜物がある」というものであり、

「それを3日もやれば解放される。そうならない

者は、不純であるからだ。」と語っていた。

これは、「心の浄化」と「呼吸制御」だけでも

解脱が可能だと言うことを暗に示している。

修練方法は単純でありながら、教えは難解だ。

 

真我探求 

広く普及したラナママハルシさんの本には、

真我実現への様々な修練方法を述べている。

だが読者の多くが、難解だとか、さっぱり

分からんと言っている。日浦の受講生もまた

難解であり、意味が分からないと言っている。

書籍は、読者等の質問に答えないから理解する

ことに限界がある。

その一例「神の恩寵により、浄化された心は、

修練を成し遂げる」とあり、「強烈な瞑想が

成熟をもたらす。」とあり、[集中ではない」と

否定したり、時に「強烈な集中」だと言ったり、

「真我探求は、心を消滅に導く」とある。

また、「真我は何かと瞑想することが為すべき

事のすべて」とあり、「真我を探し求めることが

心の制御である。」とあり、また「心の制御など

できるわけが無い」ともあり、「真我を発見した

時、心は存在をやめる。」とも書かれてあり、

「神に自分を明け渡せ、明け渡したら、中止する

ことは出来ないし、想念を使ってはならない」と

書かれている。皆さん、マハルシさんの教えは、

すっきり分かるだろうか?

誰であれ自己の本性は、真我であるから、誰が

誰に明け渡せと言うのか?マハルシさんの言う、

明け渡したなら、想念を使ってはならないという

のもおかしいのだ。なぜなら、想念を使わないで

いられるなら、それだけで解放されるのだから、

明け渡す必要もないのである。

真我を体現した者は、誰でも人を導ける訳ではなく、

まして人を解放することが出来る訳ではないと言う

ことである。マハルシさんは、書籍を出したから

読者から有名になったというだけのものだ。

 

究極の方法

解脱することにおいて、真我を体現することにおいて、

「なにもしなくていい」と教えた紫蓮さんの教えが

ある。その意味をよく聞いてみれば、確かに何もする

必要はないのだと分かる。この説明は、長くなるので

省くが、この要点は、「何もしなくてよい」という

意味を深く理解すればいいというだけの事だ。この

意味を解すれば、難しい瞑想と厳しいヨーガの修練も

必要がなく、呼吸制御さえも要らないことが分かる。

だから、文字通り「何もしなくていい」のだ。

過去の偉大な神仙でさえ、このような深い教えを

残していない。偉大なるかな紫蓮さんは。。。

もし、この教えを中学生が聞いたら、簡単に成し

遂げるかも知れない。

何もしないという紫蓮さんの教えは、セミナーで

教えているのであって、ここに書かない理由は、

何かしなければならないと言う強迫観念を壊し、

何もしないという本当の意味を伝えるためには、

数回のセミナー受講を必要とするからです。