瞑想の目的

   動機と目的の一致

人が何かの行為をするとき、その動機と目的が

あるものだ。だが、動機が不透明であり、目的

さえも明確でない場合が様々な局面にある。

人の行為は、無目的と言えるような曖昧な動機と

目的とが不透明なケースが多くある。

こうした場合、迷いが生じたり、行為の中止とか、

目標の変更が起こりえる。そのことにも気づきが

無い場合も多くあるもだ。人の行為は。。。

 

しかし、瞑想修練に取り組む場合、動機と目的は、

異なってはいけない。目標と動機が同一であり、

明確でないといけない。つまり心の赴くベクトルを

直線的にしなければならない。そうしなければ、

人生行路に例える大海原をゆく小舟が羅針盤も舵も

無いもののようになる。目標地点が定まらなければ、

目標へ到達末うことも無く、期待すべく成果さえも

分からないまま、迷走状態へ流れてゆく。それは、

今生の人生だけでなく、時代をもまたぐ。なぜなら

無目的と迷走状態がカルマになるからだ。

 

昔からある例え話。

ある弟子と師匠とが旅をしていた。川のほとりに

腰を下ろし、弟子に水を汲んで来いと言った。

弟子は、川へ向かう途中、若いおなごに出会い、

一目ぼれした。水を汲むことも忘れ去り、弟子は

おなごと共にある集落へ行った。<中略>

その弟子は、おなごと結婚式を挙げて夫婦に

なり、師匠のことなど完全に忘れ去り、数人の

子供を産み落とし、そのまま人生を終えた。

その弟子のある転生の際、師匠から水を汲むよう

言われた記憶が蘇り、自分が何をしていたのか、

断片的な記憶が蘇った。

水を汲みに行った時から数百年を経ていたことを

想いだし、大いにショックを受けたという話し。

このような事例は、世界の各地に沢山あるのだ。

諸君も時代錯誤していないだろうか?

 

記事「瞑想序論-2」に書いたことの詳しい

説明は必要ではあるが、さほど重要なもので

ないため、あえて省略する。

 

紫蓮さんとの出会いを持った最初のころ、

日浦自身のオーラーと、過去世について、

彼女がどれほど正確に読み取れる人なのか、

それをテストしたことがある。その一部は

ブログに公開した通りだ。

紫蓮さんは日浦をみて、固まったと言って

いたが、その実、日浦も固まったのだ。

それは、恐ろしいほど正確な描写能力であり、

比類なき霊眼の持ち主であったからだ。

 

そしてまた、

「日浦さん、あなたは真に人を導くことの

できる方です。」と言い、さらに「遥かな

遠い昔に究極へ到達された方です。」と言い、

更には、「到達して尚も、あらゆる苦行、

あらゆる霊的修練をいやというほどやられた

方です。」そう言っていた。

その告知を聞いた途端、恐るべき苦行と

高い霊的修練をやり通した自分の過去世が

想起された。その崇高なる生き様をみて、

日浦自身が固まったのだ。

 

真我に到達した魂は、すべての修行が脱落し、

自分を改良すべきことも、進化させる必要も

なくなるのだ。努力のすべてが脱落する。

しかし彼は、他の聖者や神仙たちと、大きく

違っていて、到達した超越的な力を持って、

真我の領域をスピンアウトし、誰もやらない

高いレベルの霊的修練に明け暮れた。

その理由は、いつの日か人類を丸ごと解放する

ための桁違いの力を獲得しようと言う目的があり、

それが動機となり、想像を絶する厳しい修練を

繰り返してきた過去世がある。

誰も為し得ない高い霊的修練は、鳳凰、龍、

黄金の大鷲、白虎などの神獣を日浦の守護神と

して、配下に収めたことも修練の成果である。

このような神獣を支配下に置く存在は、この

広大な世界に、日浦ただ一人であることも

事実になった。

こうした自分の歴史を顧みるならば、動機と

目的とが同一であり、それが一直線上にあり、

それが熱望になっていた。それ故、その成果を

地上に現すため、今生の身体を持ったのだった。

諸君も彼のように努力せよ。

そうすれば、高く高く昇れるのだ。

自己を愛するなら、

また自己を偉大なものに

進化させるために、

はやくマーヤを超えよ。

 

諸君の瞑想に関する動機と目的は、彼のものの

ように、純粋であり、直線的になればいいのだ。

そうすれば、目標へ到達する。

 

瞑想の大目的は、マーヤを超えて真我へ戻ること。

瞑想の中目標は、エゴ性、心の消滅にある。

 

この目的以外の瞑想は、人をゴールへ導かない。

脇道にそれる。

 

巷の瞑想は、この明確な目的(真我体現)が無く、

理念が無く、単なる自我の欲望充足に流されている。

という事実を皆さんも認めるだろう。

自我が行う瞑想は、様々な迷走路を開くものだ。

霊的修練の歴史を俯瞰するならば、ほとんどその

ようなモノだ。だからゴールへ到達せず、おかしく

なるものが絶えない。

 

遥かな過去でも、或いは現代でも、瞑想者を終局の

ゴールへ導くための真の瞑想が隠されている。

自分を解放しなければならない、と知った諸君、

終局のゴールを目指せ。