わたしと言う嘘

 

 【下記、無断転載を禁止】

このセミナーでも、「身体は、あなたでは無い」という

テーゼを出し、更に「心さえもあなたでは無い」といい、

また、あなたは身心の結合した自我意識でもないと言い、

更には、この世の社会、また自然界という森羅万象も

本物ではなく、あなたに関係のないマーヤと呼ばれる

幻の世界なのだと教える。

早い話しが、この世的に信じられている人間存在を

全的に否定することから、人の本性に関する真実の

教えは始まるのだ。なんとなれば「じゃあ、俺達は、

いったい何なんだ?」という自分への問い掛けが生まれ

なければならばい。この日浦が7歳の小学1年の下校途上に

おいて、「わたしは誰か?」との問いを発した如く。

 

先の記事では、眠りの中で夢を見るのは、あなたの心で

あるけれど、それが、わたしであり、自我とも呼ばれると。

進んで、目が覚めたあなたもまた、自我であり、本当の

あなたでは無いということが、真実なのだと教える。

このような説明では、益々分からないかも知れないな。

 

別の言い方を末うならば、おぎゃあと叫びながら生まれた

身体は、実のところ、あなたでは無く、自我・エゴその

ものと知るべし。

そして、身体の成長と共に発達する自我意識は、自我

そのもの(笑)

それゆえ人はみな、生まれた時から自我・エゴであり、

エゴが人生を体験しているのだ。その肉体死に至るころ、

エゴは言う。「いい人生だったなあ」とか「まあまあ

だったなあ」とか「恵まれない境遇下に生まれて、

不幸な人生だった」とか、エゴの感慨は様々だ。

この意味をしっかりと覚えないといけないよ。

 

先の記事に書いた顕在意識と呼ばれる世界は、エゴの

世界であって、そこに暮らすあなたは、エゴであり、

本当のあなたは、実在の唯一に在りて、この世には

いないのだ。それが、あなたは生まれて来ていないと

言う意味だ。

 

じゃあ、エゴの身体が死ねば、エゴは消えるのか?と

いう人はいないよね?このブログを読んでいるならば。

繰り返せば、身体もエゴ、心もエゴであって、肉体死の

後も、エゴは別の身体(心)を持って、あの世で活動する。

これ益々分からないかな?

 

結論から先に言えば、この世とあの世に生まれ変わる人、

それの転生輪廻を繰り返す当人は、心、マインドがやって

いるのであって、本性のあなたは転生輪廻をしていない。

だから、あなたは生まれていない。

え?この世に生まれた、このわたしは誰・・・?

と思う人は、それは、あなたじゃあなくて、エゴなんだよ。

やだ!わたしがエゴだなんて!

そういう思いがある人は、漫画の主人公みたいだね。

 顕在意識の世界に生きるのは、エゴ。超越意識の世界へ

行くと、わたしと言う観念は、とても薄くなる。

 

唯一という究極の世界は、この物質界の大宇宙、動植物、

鉱物類、生類の総てが、その形と名称を離れて、一つに

集約された世界。すべてがひとつ、という摩訶不思議な

霊的世界であり、そこが永遠に変化しない破壊されない

実在の世界。

そこはまた、時間と空間の幻想による物質宇宙・マーヤを

紡ぎだす源。しかしそこは、何も無く、すべてが在る世界。

その唯一なる世界は、説明することも出来ず、また聞いて

理解することも出来ない摩訶不思議な世界。しかし体験が

出来る世界だ。唯一の世界から、放射される莫大な電気的、

磁気的エネルギーの摩訶不思議な運動によって、広大なる

意識界をスクリーンとして、莫大なエネルギーが投射され、

いわばエネルギーの凝縮した画像が投影される。

 

意識世界とは、例えば、大気の広大な空間のようなもので

あるから、そこへ投影された画像のエネルギーもまた、

立体を形成することになる。

唯一の実在から遠く離れた意識世界の空間へと放射された

電磁的、磁気的、電気的エネルギーは、振動数が荒くなり、

波が粗雑になり、ついに次元が低下してしまう。

その低下した立体画像が、この宇宙であり、宇宙を投影する

観念が生み出した画像であり得る。

それゆえ、この地上に生まれるすべてが、電磁的、電気的

エネルギーの凝縮したものであり、古代インドのヨーガは、

それをプラナーと呼んだ。その一部が、我々人なのだ。

だから肉体は投影された画像だと言っていい。しかも五感の

感覚を伴う立体ホログラムだ。感覚を伴う画像ゆえ、人は

それを本物の世界だと信じてしまう。

そのような、いわゆるシステムがあると言うこと。

 

人類がの殆どが、知覚の間違いという大きな勘違いを作り

だして、様々な問題(戦争・差別・貧富などのすべて)が

地上に生まれたのは、その画像・ホログラムに興味をもって、

一つの肉体へ、個々の肉体へ、本性の自己意識を投入した

ことによる。これは、高い霊的世界の意識が、粗雑な最も

低い低いレベルの肉体と接合した状態なのだ。

霊魂と物質(宇宙と肉体)の接合という悲劇が生じている。

 

かくして、投影された身体と言う画像に意識を投入すると、

自分は肉体を持つ生物として知覚認識される。これが知覚の

勘違いだ。

肉体から生まれた観念が「わたし」という自我意識になる。

人が、わたしを認めるとき、相対的な他者をも存在するもの

とみなす。本当は、すべてがひとつでありながら、ひとつの

全体から分離独立した自分と言う観念が生まれる。これが

知覚認識の根本的な間違いだ。

そして、肉体へ意識を陥入した自己の本性自体は、ついに

自己の本性を完璧に忘れ去る。これが世界の悲劇の元凶だ。

なぜなら、霊的存在の魂自体が、自分は低次元の肉体だ、

心だと勘違いするからだ。

自己が自己を忘却するシステムがあるから、身体と心は

自分だと言うのは、自己の忘却であり、たんなる画像の

たわごとのようなもであり、魂が感覚に欺かれた証拠だ。

これが、「あなた(魂)は、マーヤの世界の身体に束縛

された状態にある」という意味なのだ。

この説明が、わたしという観念は、自我意識、エゴであり、

非自己のエゴが言う「わたし」は、大きな大きなウソだと

いう説明だ。

そしてまた、エゴのわたしは、思考を基本とする。だから

脳とか思考は、マーヤを生み出すエゴであり得る。

 

唯一の世界は、そこへ帰り着いた魂達は、わたししか

存在しないという、人には理解不能な感覚をもつ。

他者の魂、それと異なるわたし、という観念(霊的な無知と

言う微粒子)が消え失せて、全体がわたし、と言うような

認識になる。この端的な説明は、

「全体を包含した、わたししか存在しない」というもの。

これが唯一という言葉の説明の一部。

ここへ帰り着いた魂は、他者をも自分の一部とみなすので、

すべての生類を等しく愛する。だから人間のように他者を

騙したり利用したり、奴隷化したり、差別したりすることが

出来なくなる。唯一に到達した魂は、本当に信頼できる人だ。

唯一へ到達したら、悪い想念はもたない。

人間のエゴのわたしとは、まったく異質だ。あなたのエゴに

よるエゴのわが人生(笑) それを永遠に繰り返す転生輪廻は、

まったく意味が無ければ、なんの価値もない。

あなたの人生は、なんの意味も価値もないという意味において、

無駄な人生の生まれ変わりを繰り返してはいけないのだ。

すべての存在がひとつ、それがわたし。

以上の説明を持って、表題の「わたしと言う嘘」についての

概説を終える。

 

誰であれ、一日も早く、肉体から抜け出して、ゴールへ

到達したほうがいい。