真理とは

このブログは、ひとつのこと、ただ一つの

ものについて、それは、万象万物とそれらの

源について、そしてまた、人と宇宙の関係に

ついて、全てを包含する「唯ひとつの真理」に

ついてを説明するために異なる視点から語って

います。説明上手とか、下手はあるけれど。。。

 

ネット上では、真理を求めようとする人がいて、

また、真理を語ろうとする人がいて、これが

真理だと言い切る人もいる。だが彼らの多くは

詐欺師なのだ。

何となれば、真実の真理を知らずに、真理とは

あーであるとか、こーであると言っているから

である。それらは個人の思考に過ぎない。そんな

他者の根拠なき言論に興味を持つ人が溢れ返って

いるのだ。自分を知らない人達は、他者の言論に

興味を持つのである。

もし、それらの各論・根拠なき論説が真理である

なら、世界はとっくに平和になり、多くが不幸や

悲嘆から解放されているだろう。しかし現実は

どうか?

 

今から、十数年前の日浦サイトを運営した時、

仏教はファンタジーであり、ファンタジーに

よっては、人を悟りに導く力はないのだという

事実を書いた。もし記録に在る仏教が本物なら、

数億の仏教徒は、すでに解脱しているだろうとも

書いた。すると、ホームページの掲示板には、

実に多くの批判が書き込まれたのである。

しかし世界には、仏教だけでなく、色んな宗教

宗派があり、それらが様々に異なる教義を語る

のであるが、そんなものが、いったいどうして、

同一人物の仏陀の教えだと言うのか?

だからこそ、これが仏陀・お釈迦様の教えだと

嘯く仏教徒を自認する者達よ、君の頭は大丈夫

かい?と言いたいのだ。

同じく、クリスチャンにも同じことを言いたい

のだ。「イエスは、こう言った」「これがイエス

の教えだ」「これがイエスの愛だ」と言うのは、

実在のイエスを知らない人達の妄想虚言である

からだ。クリスチャンは、これに反論するだろう。

「聖書に書いてあるから事実だ」と。その聖書も

偽書であり、5万か所もウソがあると知れべられて

いるのである。主人公であるイエス自身が聖書の

編纂になど、まったく関わっていないことは、

あほなクリスチャンも知っているだろう。

 

同様に様々に異なる仏説・各論説のそれらは、

仏陀の名声を騙るだけの個人のファンタジーで

あることを物語っているのだ。

という気づきが仏教徒に無いのである。

宗教も同じである。この宇宙間において、真理は

ひとつでありながら、無数の色付けされた真理を

騙る宗教である「これが真理だ」という論説がある

だろう。そのような競い咲く宗教は、真の真理で

あるわけが無いのだ。

しかも、そのように認識する理性的な人が少ない

社会であればこそ、ファンタジー仏教、詐欺宗教が

競い咲き、また溢れかえるのである。それゆえに

騙される人、被害者も絶えないのだ。

 

読者は、このブログを読んで知ったと思うが

唯ひとつの真理を覆い隠すものがそれぞれの

人の中に在り、それが唯一の真理を破壊して

いるということを。

或いは真理を人が歪曲し、各自の好みに色付け

していることを。

それは、どういうことか?

人が真理について考えること、人が考える真理は、

単なる言葉であり、本当の真理ではないのだ。

真理の前では、排除すべき個人の思考であり、

それは、ファンタジーなのだ。そして、心とか

思考とか理性では、真の真理を捕らえることが

できないのだ。

にもかかわらず、これが真理だ、これが仏陀の

教えだ、イエス・キリストは、こう言ったと

いうとき、それが真理ではなく、ファンタジーの

非真理だということ。なぜなら彼らが言うことは

各自の思考であるだからだ。非真理は、意図せず

ともウソである。嘘は真理では有りえない。

 

ここまでは、読者の皆さんも分かりましたか?

 

再び、世界の誰にも共有でききる「唯一の真理」

とはなにか。人の思考と感覚を超えて、内奥に

隠された不可知なる不変の自己の本性があり、

それが万物・万人に共通な「唯一の真理」であり、

それがまた完成された至高の知識であり、永遠に

変化することのない安定したものが存在するの

です。それは、物理学上に説かれる普遍的宇宙の

法則性を超えたものであり、人の思考を超えたも

のなのです。名と形のマーヤが、この宇宙を投影

しているのだから、宇宙とか宇宙物理学もやはり

マーヤ・幻影なのです。なぜなら、必ず崩壊する

物質だから。

 

唯一の真理を明らかにするには、思考や理性を

超えなければならず、身体の感覚を超えて、

物理的な法則性をも離れなければならないと

言う事を人は知らない。そのことを仏教徒も

クリスチャンも、宗教家も知らないのです。

古代インドの哲学者が幻影と呼んだこの世、

つまりマーヤを生み出すものが、心であり、

感覚であり、それらのマインド自体が「唯一

の真理」の破壊者であるからだ。

 

むかし何処かの数学好きは、「こういう公式

だから、神は存在するのですぞ陛下」と言った

そうだし、近年でも、神は数学だという学者も

いる。このような論説は近未来の物笑いになる

だろう。何となれば、数式を作り出してそれを

演算するのは、人の思考(マーヤ)だから。

ゆえに思考による数学は神ではない。しかも

神自体も存在してはいないのです。

そんな彼らを畳み込む理論は、思考は神では

ない。身体と心を有する者は、神を見れない。

と言うべきか。

 

数学も物理学も自然科学もマーヤの性質を

数式的に現すものであり、それが究極という

唯一の真理ではありえない。数学も物理学も

超えたところの比較類推することの出来ない

究極の単一性こそは、すべての学問が探求の

終点となる。という結論に至るのである。

現在は、数学も物理学であえもファンタジー

であり得る。

 

人は、まぼろしを生み出すマインドそれ自体

の状態でありながら、これが真理だ、しんり、

真理だと言っているのだから、それでは永遠に

真理を知ることが出来ないエンドレス状態なの

です。

 

早い話しが、思考か、もしくは、思考する

あなたが消え去ったときにのみ、残るものが

不変の自己と言う唯一の真理であり、それを

愛とも呼ぶそのもの。このことから、世界を

信じるな、特に宗教やスピ世界を信じるなと

いうのです。

 

真理は、あなた自身の内奥を

通してのみ知覚され得る。

あなたの外側を求めても

知覚されない。

 

この真実なる教えに反し、人は自分の外側へ

関心を示す。関わってはいけない外側・マーヤと

関わり、多くの嘘を発信し、また信じ込む。

それへのお返しか自分も多くの嘘を伝える。

 

あなたの本性(真理)を殺しているものが

あなたの中にいて、それがエゴとよばれる。

そのエゴの本性を見出しなさいと言うことが

真理の入り口。

 

唯一の真理は、あなたを

自由にする唯一のもの。

しかしながら真理を

破壊するのはあなただ。

だから真理は、エゴの

あなたを破壊する。

 本当の真理は、人にとっては劇薬の毒物の

ようなものだ。身体感覚のあなたにとっては。

心が自分だ、と言うエゴのあなたを殺す毒物

の様なものが真理でもある。ようなものと言う

より、思考と感覚に欺かれたエゴがある限り、

エゴには、真理が毒薬なのだ。

唯一の真理を中途半端に聞くと、心は幻想や

苦痛を生み出しもする。その心が「唯一の

真理」を覆い隠すマインドであり、マインドを

持つ人は真理を騙ることは出来ても知覚する

ことは出来ないのだ。

あなたの内奥に光り輝く不可知なる存在こそ、

宇宙と万物と万人に共通な「唯一の真理」なの

です。それを、あなたの外側の世界に求めては

いけない。騙されるだけだ。

内を観よ、そこに光り輝く永遠のあなたがいる。