宗教考

太古から、様々な宗教が生まれ、

それにのめり込む人がいて、

荒唐無稽な教義を信じる者が

争いも生む。

概して、教祖が加害者になり、

信者が被害者となるのだ。

その被害者は、お金と時間を

教祖と教団に奪われる。

 

「宗教なき科学は、不自由なる

脚であり、科学なき宗教は、

見えざる目である」アインシュタイン

 

「科学と宗教の融合こそ、

真の宗教であり、真の科学である。

それは、真理のコインの表と裏」
日浦裕次

 

「神と言う言葉は、人間の弱さの

産物に過ぎない」アインシュタイン

 

「存在しない神を、人が空想

するのだ」日浦裕次

 

「聖書は尊重すべき書物では

あるが、それでも原始的な

言い伝えをまとめたに過ぎない

子供じみたものである」

アインシュタイン12歳の時、聖書を読んで、

聖書の多くは真実でないと結論。さすが天才。

 

「キリスト教一派の王国会館の

書籍には、聖書に5万か所のウソが

あると書いてある。それを承知して

いながら、なぜ聖書を信じよと言う

のか?おお、アーメン!」日浦裕次

 

「イエスが頼みもしないのに、

どこの馬の骨が書いたか知れない

メモ書を集めて、神が書いた聖書

いう人達を、キリスト教徒

呼ぶ。おお、アーメン!」日浦裕次

 

「私にとって、ユダヤ教は、他の

宗教と同じように子供じみた迷信に

過ぎないものである」アインシュタイン

 

「宗教は、無知と傲慢な教祖の

娯楽であり、信者が楽しみ苦しむ

集いである日浦裕次

 

信仰は、根拠なきものへの依存

に過ぎない。無知ゆえに、教祖も

信者も妄想虚言を生む」日浦裕次

 

「それが信仰と言えないが

これが信仰だ、これが神の心だ

いう魔訶不思議な人がいる

日浦裕次

  

「邪教を邪教と知らず、それを

信じることが信仰だと錯覚する

信者等は、邪教を信じない者を

信仰心なき愚か非難する。

なんという不思議か!日浦裕次

 

「自己の本性を見出すことは

自分の内奥をみれば良く、

信仰も神も不要であるのに、

荒唐無稽な神を信じることが

信仰言うは、世界の不思議
日浦裕次

 

「宗教は、教祖個人への依存で

あり、荒唐無稽な教義の奴隷で

あるから、彼らが悟ることは

望めない」浦裕次

 

「成熟した魂たちは、想・

無欲・無私という三宝を手にし、

宗教や神という精神的娯楽の

オモチャを放棄する」日浦裕次

 

「人が知るべきは、人の本性は

その誰もが、神を超えた至高の

存在であり続けている事実だ。

至高の彼は、人の内奥にのみ

輝き続けている。

自分の内を観て、至高の彼は自己

であり、自己は至高の彼だと知覚

せよ。外側の世界は、まぼろしで

ある。宗教も、まぼろしである。

ただ自分の内を観よ。それが真理

に至る道であり、真の信仰なのだ」
日浦裕次