世界はウソから成る

 

この物質的宇宙の始まり、起源は、宇宙物理学者の

ファンタジ―であり、生命の起源も人の推論である。

それらの起源を辿り、それが起源だということを

証明することが誰にも出来ないからだ。

にもかかわらず、起源はこうだ、ビッグバンは

このようにして生成した、という断定的な言い方を

する人が多くいる。

誰にも断定できないことを、なぜ断定するのか?

ハッタリをかませるためか?

 

物理学者に限らず、存在しない神を語る宗教

関係者もまた事実と推論とを混同する人が多い。

宇宙の始まりを、神と言うものを、直接見たり

体験したりしていないものが、ああだこうだと

断定的に語る様は、妄想虚言者の言論と、どこが

違うと言うのだろうか?

真実を知らないのに、あたかも見たり体験した

かの如くに知ったかぶりをする人間たち。

たびたび引き合いに出すけれど、仏教徒の多くも

間違いを犯す。ゴーダマ仏陀は、「こういった」と

言うことが断定できるのは、ゴーダマ仏陀本人から、

直接の教えを聞いた人だけに許されるもの。

そうではないかい?読者諸君。

 

宇宙の起源を探求しても、人の幸福には貢献しない。

生命の起源についても同じだろう。それらの探求は、

学者たちの娯楽だといっていい。アルファとオメガの

説明は、時を超えた領域の事ゆえ、その年数が必要ない。

時間と空間が認知されるのは、物質世界の事であり、

非物質なる世界は、始まりも終わりも認めることが

出来ない。それを科学も認めてはいる。エネルギーは

不滅であるとの定義づけがそれだ。にもかかわらず、

宇宙には起源があると言う不思議な学者たち。

起源があると言う言葉は、不滅性を否定するものだ。

 

ビッグバンさえ解明されていないなか、ああだ、

こうだと断定する感性は、いかなるものぞ?

憶測や推論を排すべき科学の学者らしさを失った

学者先生たち。それが楽しいのだろうね。

学徒は、ウソを真実だと思うよう仕込まれる。

だから、ウソのエントロピーは止まない。

 

自分は学者ではなく、仏教徒でもなく単なる庶民だ

という君よ。庶民の定義とは、何ぞや?思考を基軸と

する時間と空間に束縛されている人は、いつ生まれた

といい、成長したとか老いたとか、病気をしたなどと

言うけれど、それらは妄想虚言ではないか?

何故なら、あなたは今でさえ生まれていないのだから。

人の本性たる非物質なる魂と呼ぶものは、性別がない

ので、男でも女でも中性でもなく、親も無ければ兄弟も

いない。死ぬことも生まれることも出来ないのだ。

それが事実だ。

この事実に基づくとき、自分の戸籍情報をああだ、

こうだと語るのは、科学者たちと似た妄想虚言者

なのだ。そのような妄想虚言者は、なにも君だけでは

ない。

人類のほぼ全員が、自分の戸籍や経歴を事実だと

信じ込んでいる。そしてまた、わたしは男だとか、

僕は女だとか言って、一喜一憂の人生を体験する。

だがしかし、生まれていない者には、戸籍も経歴も

あるわけが無い。このように、この世は、全人類の

ウソから成り立っている。真実の相が押し隠されて、

ウソと偽りが露わになっているこの世界を古代

インドの哲学者は、マーヤ(幻)と呼んだ。

 

身体に生命があるから、私は生まれただろうと

思う君よ。生命現象に生起する者は、人の生死で

あるけれど、生命そのものに寿命はないのだ。

けれど肉体の活動には寿命という終わりがある。

この区別が出来ない人間たち。

 

人の転生輪廻の起源は不明であってもいいのだ。

重要なことは、輪廻転生には終わりがやって来る

ということだ。その時、個々の生命における

アルファとオメガの秘密が開示される。

 

人生は楽しくて面白くて、

意義あるものだと言う君よ。

個々のウソから成り立つ人生に

何の意義があるのだろう?

 

ウソに生きるのが楽しいって・・・?