真空の心

【無断転載を禁ずる】

 

記事「無思考」がなぜ偉大か。

この世の人は、誰もが「人は考える生き物だ」と

考える。子供の頃から「考えなさい」と教わって

来たし、時には、考えない奴は「バカだ」とか、

バカの考えは休むに等しいなどとも言われることが

ある。ゆえに思考は脅迫観念だ。

 

実際的に、多くの人を感動させる偉大な文学を

生み出すのは思考であるし、科学分野における

長足の進歩も思考がもたらし、自分の生き方さえも

思考を使っている。だから物心ついてから無思考で

あり続けた人はいないだろう。もしいたとしたなら、

その人達は、重度な脳障害者と言われる人だ。

 

思考は文章であり、想念は単語のようなものだと

説明した通りである。無思考とは、想念が無いこと、

それゆえ思考と言う文章になり得ない状態であり、

無思考と無想は同じこと。それは、心が真空である

という意味。心を真空にするとき、想念は生じない。

ゆえに思考も成立しないという日浦の話しを聞いて、

もし読者が「それでは、まるバカを意味するのか?」

と言うなら、それも想念に過ぎない。だから疑問を

もつこと自体が、想念消滅を理解できないだろう。

 

Youtubeを見ていたら「心を空っぽにすると、

タヌキやキツネが憑依する」という笑える文言が

あった。それは、斎藤ひとりさんのユーチューブで

あるが、それは、インチキ教祖だった高橋信次の

言説なのだ。彼らの言説は、本当ではない。

 

遥かな太古の時代から、インドでは、無数の聖者や

賢者が輩出し、解脱者(本当の悟りを体現した人)も

生まれた歴史的事実がある。そのように悟った彼らの

教えることは多々あれど、教えの要点は「心を真空に

せよ」と教えて来たのだ。心の真空とは、心を空っぽに

するという意味である。故に真に悟った聖者や賢者が

教えることとは、真逆な言説が信次らの教えだ。

 

真空な心、心の真空とはなにか?

ラーラ沖縄の記事「11月セミナー」に書かれたこと。

日浦先生は、ヴィヴェーカーナンダさんの書いた

ラージャ・ヨーガという本の中の「思いがおこるや

いなや、それを取り除き、いかなる思いがマインドに

入ることも許さないで、マインドを完全な真空状態に

する・・・本当にこれをすることができた時、まさに

その瞬間に我々は解放を成し遂げるであろう」という

一節を引用され、マインドが真空状態になるとは

どういうことなのか、また、そうなると何が起こる

のかについて解説して下さいました。<中略>

 

真空な心とは、無念無想という空っぽな、しかも

清らかな心でもあり、それは、何の欲望も生起しない

自然な状態を言うのです。人に、タヌキやキツネが憑依

する、と言うことはあり得るけれど、そのような憑依が

起こるのは、心が不純な欲望に渦巻いているからです。

本来は空っぽな純粋な心の中に、色とりどりの様々な

欲望、恐怖、無知が満杯だからこそ、心の中に在る想念

と同調した想念が集められて、人は苦しみと楽しみとを

享受しているという事実。

 

なるほど!と納得できるよね?

 

想念と言い、思考ともいう欲望に憑依されているのが

人間と呼ばれる生き物。生理学的には、動物の頂点に

あり、万物の霊長とも言われているけれど、それは

身体的な側面を言い、内面の心は、下等な動物たちと

ほとんど代り映えがないという意味であり、それが

世相に反映しているということ。

 

さてさて、人が心を空っぽにするとき、心を真空に

するとき、まるバカになるのではなく、人の想像を

超えた大きな大きなサプライズが生じるということ。

そうであるからこそ、心を真空にしなさいという教えが

太古から説かれてきたと言うこと。

しかしながら、そのサプライズは、親も教育者も教えた

ことがない。心理学者も哲学者も知らない。だから誰も

聞いたことも無いし、想像さえしたことが無いもの。

だからこそサプライズなのだ。

良い意味での驚愕すべくサプライズが生じるからこそ、

心を空っぽにしなさいという教えがあり、サプライズ

無くして心を空っぽにはできないという受け止め方が

あるのだ。

 

心を空にする、真空にする、心を消し去る、心を消滅

させる、心を死滅させると言うのは、みな同じ意味だ。

 

すでに紹介した柳式を発明したのは、IQ200超えの

知能ゆえではなかった。何故なら軒先に連なるツララ、

一滴の水滴を見た瞬間、日浦の思考は完全に止まった

のだ。思考が止まったとき、そのことがハッキリ分かる。

思考が無い時、脳のIQも働かないということだ。

それゆえに、IQが高いから、すごい発明が生まれたわけ

ではない。いわば無思考状態において、偉大な真理を

知覚したわけ。

なにゆえ偉大と言うのか?それは、柳式と命名した技術は、

後に追従するあらゆる類の技術、知能をあらかじめ超えて

いたからだ。だから言うのだけれど、IQが低い人と言う人、

頭がよくないと言う人たちは、思い違いをしている。頭は

要らない。いや頭蓋骨は要るな。頭という頭脳に鎮座する

のは心だから、思考と心の動きも止まったわけだ。

心の動きを破壊できれば、その人は全知全能と呼ばれる

知覚を得る。それは、心の知能を凌駕している。

 

想念、思考と言うものは、自我とかエゴと呼ばれるものが

核となり、それが、カルマを表面意識に再生する。それが

サプライズを破壊しているのだ。