偉大な無思考

先の記事に書いたこと。それは、「日浦の眼線と

水滴と太陽とが直線的になったその瞬間、偉大なる

真理が開示され、それが物質真理として、日浦の

意識に概念化された。それは、膨大な情報を開示

していたが、それの理解は一瞬だった。」

 

この説明は、何年もかけて知るべき膨大な情報を

知るための膨大な時間経過が、一瞬であると言う

意味であり、思考なくして、膨大な時間経過を

伴う膨大な知識を得られること自体、読者には

矛盾的であるだろう。

一瞬とは、1秒か3秒だ。その一瞬間に得た膨大な

知識を脳に伝達したり、図面化したり、人に伝える

言葉にするために数か月はかかった。

知識人と呼ばれる大学教授や雪氷の研究者たちは、

柳式の屋根構造を見ても理解しなかった。それを

詳しく説明しても、分かるまでに長時間かかった。

何年もかかって理解する人もいた。

 

この発明時の体験が物語るのは、

未知なる膨大な知識を知ることに

ついて、思考は、その必要性が

無いということだった。

 

しかし読者諸君は、様々な局面において、脳を使い、

あれやこれやと考えあぐねて、俺は頭がいいなどと

嘯きながら、その結果、またしても思い違いだった!

という体験に生きているだろう?

ご苦労さんだね!(笑)

とは言え、日浦も常々無思考だった訳ではない。

無思考の偉大さを幾たびも体験していながら、

その偉大な価値に気づいていなかっただけだ。

なぜなら無思考という体験は、何の記憶も残らない

からだ。しかし偉大な発明は、無思考から生まれた

のだ。このような偉大な無思考を壊すもの、無力化

するものは想念と言い、思考なのだ。だから思考は

無くていいものだけでなく、有ってはならないもの

だと言うこと。

無思考は、悟りの世界だけに必要なものではなく、

日常の暮らしにおいて、誰にも必要なものだ。

そして、現実の日常において、皆さんも無思考の

時があるけれど、それが生じるのは、マイクロ

セコンドの時間であるから、思考が無かったと言う

事実は記憶に残らない。だから無思考に気づかない

だけだ。

 

柳式が誕生して、雪国には融雪市場が形成された。

柳式の模倣技術は、雨後の竹の子のように生まれて、

それの類似した特許出願件数が700件を超えていたし、

何々工法、何々システムと呼ばれるもの、つまり

柳式の追従システムは、市販されたものが500件を

超え、更に700件を超えているという報告が、

東北電力の総合研所から寄せられた。

しかし、2018年の今もなお、柳式を超える技術は、

何一つとして排出していないのが現実だ。それゆえ

世間は柳式が偉大なる工法だと長年かかって認めた。

内心では認めるものの、同業者や建築業界はみな

敵に廻った。社会とは、そのようなものだった。

 

笑い話がある。

柳式と命名した技術が誕生した時、仮に聖霊と

呼んでおくが、その彼曰く「改良の余地なき

究極を生み出したお前は、世間から叩かれる。

だが100年も経てば、これが在来工法として、

幾何級数的に世界中へ広まる」と言っていた。

それを聞いて「100年先だって?それまで僕は、

どうやって仕事を得て食っていくのか?」と

噛みついていた(笑)

聖霊曰く「お前は、100年も生きない。だから

100年先を考える必要はない。のだ」と。

 

無思考とは、文字通り無想の状態であり、無限の

知識の源である真我の領域に生じる時の無い世界

なのだ。真我実現の障害は、思考であり、感覚で

あり、また生存欲求から生じる諸々の欲望なのだ。

真我実現は、思考がもたらす全知識を凌駕する。

あなたは、今でさえ真我なのだ。