義務の消滅

義務と言う語について、辞書によれば、従うべきと

されることを意味するらしい。義務の根拠として、

理性、道徳、倫理、宗教、法制度、社会的、他の

慣習などが挙げられ、これらに反した場合には、

制裁があるとされる。このことは、飴は無くとも

鞭だけがある法治・管理・社会を意味する。

国民の義務として、教育の義務・勤労の義務・

納税の義務の3つを定めている。

昔は兵役義務もあった。だから将来的に徴兵義務

など無いとは言えない。

他には、親の義務、社員の義務などなど、う~んざり

するほど多くの義務に縛られる。

しかし、諸々の義務を誰もが苦痛と思わず、うんざり

することも無いだろう。むしろ日本の場合、治安が良い

自由な国だと思っているのではないだろうか。

 

それは、幻想ではないのか?

 

例えばの話し。裁判所とは、決して正義を行うところでは

ないとは、某裁判長の供述だった。そのことについて、

ここには書けない。

敗戦した日本は、二度と再びアメリカに敵対しないような

軟弱な国家・国民をつくるために財閥を解体したり、

国民の奴隷化(愚民化政策・スリーエス教育・スポーツ、

スクリーン、セックスのオープン化)が実施されたという

噂話は、本当のことだ。

その政策と教育の効果は、絶大なものであり、今日では、

老いも若きも爪と牙を抜かれた虎のようでもあり、大空を

飛ぶ翼を退化させられて、家畜用の太った鶏になった鷲の

ようでもあり、或いはまた、死をもって敵艦に体当たりする

ゼロ戦のパイロットのような目的と気概とを失った家畜的な

生き方になつた国民。すでに大和魂が死語になったように

「平和ボケ」という言葉がぴったし。

なぜ、平和ボケというのか?人はみな、身体とマインドが自分

自身だと信じている。しかし、真実は違うのだ。

身体とマインドが自分だと言う人はみな、自己の本性を殺して

いるのだから。人はみな、自己を悟ることを忘れた危機にある。

この危機を知らず、マーヤの世界に愛着する人はみな、無限的な

輪廻を繰り返しながら目的を見失い、自分の人生を嘆いている。

 

すべての知識と強大な力を持った自由な魂達は、地上に生まれて

より、人と言う無力な生き物になり果てている。そして、あの世も

無ければ、魂も無いという者も大勢いる。隠された真実は、あなたは

地上の身体に生まれてさえいない。生まれていないなら、あなたは

何処にいるのか?

 

主にメディアを通して、知らず知らずの間に、誤情報を刷り込まれて

それに洗脳された思考を形成して、社会に馴致させられて、ペット化

された国民の多くが、ワンコや猫のペットを飼っているという、実に

切ないながらもお笑いの時代劇が現代だ。今や戦後の洗脳を知らない

社会になり果てた。

 

これがあれば、それが生じて

それが起こる。

 

人が悟れば、地上のすべての義務は崩れ去り、それに伴い、

すべての責任も消え去り、自由になる。なぜなら魂達には、

いかなる束縛もありはしない。魂が義務に束縛されたとき、

地上の身体に縛られる。

人が魂を悟る時、身体は、この世に有っても従来通りに働き、

難なく仕事をこなし、また家庭を維持してゆくだろう。

そして、いかなる病気にもなりはしない。なぜなら悟った人の

身体は、悟る前の身体ではなくなるのだから。

また、真実の知識と強大なる力を持つ自由な魂は、地上の身体を

保持するために、経済的な困窮さえも解消する。それゆえ愚痴を

言いながらブラック企業に勤務して、企業のルールに支配される

ことも無くなるし、時給が千円にも満たないバイトなんかして、

惨めな気分になることもないだろう。いま使っているマインドで

はなく、もし知覚した魂が望むなら巨万の富をも容易に創り出す。

何となれば、何の束縛も制約も無い自由こそ魂の本質だから。

 

この上記のような話しを、読者の多くは信じないだろう。

しかし、悟った人の身体には、それが生じて起こる。何が生じて

起こると言うのか?あなたは唯一を悟って、本性の自己に生きる。

それは、如何なることにも束縛されない真の自由に生きる。

悟ったあなたのマインドは、想念を排除しているから勝手気ままな

思考を持つことなく、不安や恐れも無くなり、妄想や虚言もなく、

魂のあなた自身の命に従い、超越的な力をもって、あらゆる障害や

問題のすべてを消し去る。だから、悟った者は、自由なのだ。

あなたは何もしなくていいのだ。何の努力も頑張りも要らないから、

これほどまでに安楽な平和な自由な生き方は他に無い。

 

しかし、あなたが何かをしようとか、問題を解決しようなどと思う

からこそ、一時的に解決したように見えてなお、新たなトラブルも

生まれる。切りの無い連鎖がマインドの特徴の一つ。

 

ウソのような本当のこと

 

悟ったマインドと共に身体は、従来通りに動くだろうが、本性の

あなたは、仕事に行かなくていいのだ。なぜなら身体とマインドが

会社へ行って、難なく上手に仕事をこなすから。マインドと身体が

仕事に行っても、あなたは、仕事に行かなくて済むと言うことだ。

自由なあなたは、カフェでお茶でもするか、映画をただ観するか、

ワイキキの浜辺を歩くのか、瞑想やヨーガを教えるか、あるいは、

彫金を習うか、これを自由と言う。

 

マーヤの世界にあって、社会から洗脳されて、それが真実の世界だと

思い込み、無数の習慣ややらなくていい義務によって、ペット化された

惨めな自分から、解放されようと思わなければ、いつまでもマーヤの

住人のままだ。定年退職したら悟りへ向かうという人がいたなら、

定年後も雑用に追われていることだろう。悟ったら多くの人は、

この世(マーヤ)には、興味が無くなるだろう。なぜなら、この世は

幻影だと見抜くからだ。

だがしかし、だからこそ、世界の国家全体に、そしてまた、個人個人に

対して、大きな利益を生み出すことが出来るのは、悟ったあなたが

超越的な力を持って、存在するゆえのことだと知らなければならない。

 

現状の国家や政治、法律や経済は、あなたを決して自由にしてくれない。

あなたを様々な義務が縛るが、飴はくれないよ。お金もくれない。

いや、年金をもらっているよ?という人は、自分が積み立てたお金だと

言うことを忘れたおバカさん。

だからこの世界には、何も期待してはいけない。期待すると、様々な

条件に縛られて、自由を失うから。それと同様に、スピリチュアル世界も

宗教もまた、或いは哲学も、あなたを自由にしないだろう。ただ洗脳して

束縛するだけだ。バカバカしい。。。

 どんな宗教であれ、それを信じたあなたは。莫大なお金と多大なる時間と

心身エネルギーを吸い取られて、人生を終わるだろう。しかも、そのような

無駄な悲惨な人生の体験が、来世も似たような運命を繰り返すカルマになる

だなんて、バカバカしい。。。

 
だから、この社会、つまり外側の世界(マーヤ)を信じてはいけないという

古来からの教えは、人を自由にするためのものだ。

 ならば世界に対し、背を向けろとは言わない。世を捨てろとも言わない。

会社や家庭を捨てたら、すっきりするだろうが、別の障害も生じるだろう。

だがしかし、反応してはいけないのだ。なぜなら反応自体があらゆる種類の

思考や想念を誘発し、あなたは奴隷の如く、想念や思考に支配される。

それが諸君の習慣になっていることを知ろう。

 

ただ期待していいのは、あなたが自分自身によって、悟れるという事だけだ。

何の束縛も無い自由こそ、人の本性として、今でさえあなたの中に在るから。

だから外側(マーヤ)をみることなく、マーヤに反応することなく、自分の

内側(永遠の実在)を観れば、どのように内側を観るのかという問いは残る

けれど、内側にいつも自由な自分がいるのだ。だから自由を希求せよ。

自由になるために、あらゆる束縛を無力化せよ。