心と苦の消滅

【 無断転載を禁止 】

 

人の苦悩は、なぜ生じるのか?世界に蔓延する悲嘆、絶望、

不条理など、この根源的な問いについては、実のところ宗教や

心理学も知らない。古くは、フロイドもユングに語っていた、

名言「精神分析において、人を治せると思うな」というもの。

彼らほど精神分析の無力さを実感した者はいないでしょう。

それでも職業とした心理学はやめられなかったわけです。

 

ユング自身も長い間、精神を深く病んでいて、患者を診ることが

出来ないなか、裕福層の奥さんが経済的に支えたからこそ、

極度な鬱になっていられたのです。精神分析の大家自身が、

自分の心理が分からなかった!ということ。

しかも複数の愛人を持つことによって、ユングは精神の崩壊を

押さえていたわけ。やがて世界的に有名になったけれど、それは、

ユングの心理学が正しいから有名になった訳ではなく、奥さんの

経済支援があったからこそ、ユングの語る物珍しい理論が世界に

広まっただけということ。

 

ユングは、南インドの聖者・ラナママハルシ師を訪ねていますが、

師の説くことを理解できず、すごすごと去っていったようです。

心理学者として有名であることと、心を深く理解していることは、

別物です。

 

現代も新たな心理学が発達しているようですが、やはり心を

知らないのです。何故なら、そもそも存在しない心が存在する

と大前提に立って考えるからです。それと心に生じるカルマの

要因を考慮していません。また人の感覚器官が作る観念が心だ

という理解が無く、心に実体がないことを認めていないのです。

更に、霊的な憑依も心理学は知らないでしょう。憑依にも似た

マインドコントロールの実体も知らないでしょう。思考や想念の

出どころも知りません。それゆえ心理学は、いまだに科学と呼べ

ないもので、学問と言えない低レベルな分野です。

 

 

精神を病んだ患者と多く接することで、精神科の先生が心を

病むのは、いわば心が感染するからです。

こんな事例があります。

家族から精神が病んでいるから精神科へ行くよう言われた

女性がいて、病院へ行くと診察室のドアーが閉まっていて、

ドアーに大き目な張り紙があり、「自己診察中につき、新患

お断り。◯◯医師」と書いてあったそうです。

待合の人に尋ねたら、「先生は、深く精神を病んでおられるので、

新患お断りです。民間の◯◯◯医院へ行った方がいいですよ」と

言われたそうな。「先生が病んでいる!?なぜ皆さんは診察を

受けるのですか!?」と問えば、

「心を病んでいる先生だからこそ、病んでいる私たちの心を理解

してくれるのですよ」そう答えたそうだ。

うーん、心を病んだ人が行く先は、同じく心を病んでいる先生が

いいのかなあ~違うと思うけどなあ。。。

 

同様に心理カウンセラーの肩書を持つ人の多くが、やはり病んでいる

のも現実です。こんな事例もあります。

登校拒否している子供の母親は、自分の子供の心を知っていると言い

ながら、子供と対話が出来ず、赤の他人である心理カウンセラーに

相談すると言う愚を犯し、愚かなカウンセラーは、子供と対面する

こともなく、母親に対し、アドヴァイスしているのです。

おかしいと思いませんか?

おかしくないとよ!言う人は、警戒しなきゃあね。

 

心理学者、心理カウンセラー、それに属する職業の人は、解脱者に

ならなければ、人の心理を理解することが出来ないのです。

 

太古の昔から、心が知覚する物事において、嫌悪したり、魅せられたり

するとき、人は束縛されていると言う教えがありました。今日の文明は

高度に発達しても、人の心は古代から科学されることなく、ずっと暗闇の

中を混迷したままです。

 

世間では、心が大切だと言いますが、心は、それ自体が病的なものです。

理由は、心というマインドは、自分が身体だと思い込むこと。それ自体が

病気なのです。マインドは心が自分だと思うこと。それゆえ利己的な怒り、

憎しみ、憎悪、暴力、迎合と対立、主観的な見方の善と悪、快楽と苦痛、

怠惰と勤勉、正直と嘘つきなど、列挙すれば、切りの無い無秩序があります。

これが二元論の根幹を為しているのです。心が二元論を展開する元凶であり、

マーヤの作り手なのです。そのような破壊的な支離滅裂な心が、どうして

大切だと言うのか。。。心が大切だと言う人の心は、実に摩訶不思議なもの。

 

読者の皆さんも摩訶不思議な二元論者なのです。だから喜びと悲しみとが

同居するのです。心の二元性を単純化してみれば、次のようになるでしょう。

自分に優しさと憎しみとが入れ代わり立ち入る。ウソと本当が混在してしまう。

勤勉と怠惰が入れ替わり立ち代る。A子を愛しているよと言ったかと思えば、

E子とラブもする。A子とE子から吊るし上げられる。元気が出たと思えば

鬱になったりする。鬱かと思えば、明日は躁病にもなる。

一体君はどっちやねん?

 

楽しいと言うのは心であり、苦しいと言うのも心であり、楽しさも苦しさも

記憶と感覚の反応であることを観るなら、利己的であり、破壊的でもある

無秩序な心は、有ってならないものだと思い至るでしょう。

「いいや違う、そうであっても心は大事だ!」という皆さんのマインドは、

なかなかの筋ものです(笑)

 

自分の内面にある心の暗闇(利己的な怒り、憎しみ、憎悪、暴力、迎合と対立、

裏切り、主観的な見方の善と悪、快楽と苦痛、怠惰と勤勉、正直と嘘つきなどの

二元性)は、心自体が観ないのです。観たくないからね。人の心を詮索すれど、

自分の心の闇は観ない。観たくないからね。

だから観ないから、人は自分の心をよく知らないということ。

心が苦悩も作り出している事実を観ないなら、苦悩は、影の如く付きまとう。

悲しみとか苦悩の消滅は、闇に住する心の消滅以外にありません。その消滅は、

心理学や宗教は教えていません。なぜなら知らないから。哲学や思想も同じ。

 

無知の暗闇に住する心を消し去れば、知識の光りを放つ自己の本性(魂)が

輝き出るという太古からの教えが日の目を見るのです。あなた自身が不幸だと

思うのは、社会や他人のせいではなく、自分のマインドが二元性を作り出して

いるからです。苦悩を消し去ることは、出来ない相談です。あなたに出来る

ことは、苦を生じる二元性の心の動きを止めることだけです。

 苦の消滅に関し、人が思考することが必要なことではなく、どれだけ愚かな

ことか、また無駄なエネルギーの浪費なのか、いまなら論理的説明ができる

けれど、その説明を読者の思考は認めないでしょう。