世界は無

むかし、クリシュナムルティーの本に熱中した

ことがある。彼は「世界はあなた」だと言って、

「見る者は、見られるものだ」とも言った。 

この論説は、本当のことだ。

 

しかし世界は、

あなたを必要としていない

ことを

あなたは認めるか

 

あなたが高名な人であれ、偉大な哲学者であれ、

富と権力の中枢にいる人であれ、しょぼい人で

あれ、その彼が死しても世界は、なんの影響も

受けない。悲しみもしない。もし誰かが死んだ

として、世界どころか、ご近所さえ影響を受け

ないであろう。残念ながら、あなたは誰からも

必要とされていない。利害が絡む人が一時的に

悲しむだけ。

それを証明するために、死んでみるという人は

居るだろうか?

 

死ななくても、瞑想を深めてみるなら、宇宙は

鮮やかに掻き消えるだろう。その様な瞑想状態に

おいては、世界を見ようと想えば現れる。それの

関心を消せば、物質宇宙は消え去ったかのように

見える。それは、ひとつに振動数の問題だ。

この世の低い荒々しい振動数は、サマディーと

言う宇宙最高レベルの振動数の前で無に等しい。

サマディーに没入した者が観る世界は、広大な

意識界に投影された画像のようなものだと分かる

だろう。あなたの身体もマインドが投影した画像

だと言う事実が。

 

しかし、あなたは画像に欺かれていて、永遠の

実在を知らない。肉眼から見る世界は、やはり

画像なのだ。それは、永遠の存在・実在ではない

という意味だ。画像とは知らず、画像の世界と

関わろうとする人間という生き物が諸君だ。

 

画像であるこの世界は、事実上の無であり、

あなたを必要としていない。あなたも画像の

世界を必要としないのだ本当は。

諸君は画像の世界に背を向けて、自己の本性を

知覚しなければならない。自己の本性を知覚した

人は、世界が必要とする人なのだ。

 

画像の世界に関わる限り、人は世界と言うマーヤ

(幻影)に欺かれ続ける。

ラーラ沖縄の記事「反応しないこと」に書かれた

紫蓮さんの言葉にある通り、人は反応するから

マーヤの世界に巻き込まれる。反応しなければ、

マーヤは現れず、苦も欲望も消え去る。

 

この理から、世の中の何も信じてはいけないと

いう教えの意味は、この世は偽りが露わになった

まぼろし・マーヤだと言うこと。あなたの身体も

心もマーヤだと言うことを悟らない限り、障害や

苦しみが影の如く付きまとう。

 

この世界はマーヤだから、世界というマーヤには

関わるなということが理解できないのは、あなたの

身体と心それ自体がマーヤ自体であるだからだ。

このように、誰にも聞き捨てならないことを書く

のは、マーヤから目覚めて欲しいからだ。

 

何であれ、あなたが探し求めるもの、探し出す

場所は、あなたの内側にしかないという知識が

必要だ。それを知らなくても、どうして外側を

探すのか?

 

犬も歩けば、棒に当たるという言葉があるけれど、

その様なバカ犬は居ない。そのバカ犬よりも愚か

しいことを真面目にやっている生物は、ヒト化の

生き物、つまり人間と呼んでいるものだ。

世界がマーヤだと知らないとは言え、移り変わる

画像の世界を彷徨う生き物の中で、最も進化した

生物の頂点にある人間でありながら、犬や猿より

劣る知覚の間違いをする人間は、マーヤの世界を

探求しているのだ。これを「うろつく」と言う。

 

自分の内側を探す人は、それを見出すだろう。

だが簡単ではないけれど、画像を投影する源の

世界から、あなたは、すべてを手に入れる。

 

今までも、今でも、これからも

世界は、あなたを必要として

いない。世界は無だから。